タイトル 盲獣VS一寸法師

公開年

2004年

監督

石井輝男

脚本

石井輝男

主演

リリー・フランキー

制作国

日本

 

本作は、江戸川乱歩の2編の原作「盲獣」と「一寸法師」を基に、盲獣と一寸法師によるふたつの猟奇的犯罪に挑む、名探偵・明智小五郎の活躍を描いたエログロ・サスペンス映画。監督は同じ江戸川乱歩を原作とした「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」の石井輝男。この時点でお察しだが、観客の期待に違わぬエログロ満載のカルト映画に仕上がっている。

映画の冒頭は、ある美術館で、一人の男が浅草レビュー「ムーランルージュ」の女王・水木蘭子をモデルした彫像を撫で回しているところから始まる。そこに現れた蘭子は 不快感を催し、男に詰め寄るが「御心配は要りませんよ。幾ら顔を近付けても見えません」と サングラスを外し、自分が盲目であることを明かす。

その夜、蘭子のレビューを見に来た作家 の小林紋三は、会場に蘭子を無視している客がいる事に不信を抱くが、それは美術館の盲人だった。更に、劇場を出て公園で休んでいた紋三は、一寸法師が歩いていることに気付き後を付けると、一寸法師は女性の腕を落としていく。

私なら警察に届けるが、この門像は江戸川乱歩作品によく登場する、よせばいいのにこうした事に首を突っ込み、ドイヒーな目に合う“猟奇の男”。たいてい自分で事件は解決できず、明智などの名探偵に助けられる羽目になるのはお約束。

その頃蘭子が行方不明となった。彼女は壁に人体の一部を模した、彫刻が無数に飾り付けられた、悪趣味な部屋に監禁されていたのだ 。その館の主こそ、あの盲目の男。最初は嫌悪していた蘭子だったが、次第に感覚が狂い彼に歪んだ愛情を抱くようになる。水木蘭子を演じる藤田むつみは石井輝男のお気に入りで、本作でも脱ぎっぷりの良さをいかんなく発揮している。

紋三は一寸法師が消えた養源寺を訪れるが、タバコ屋の女将の話ではそこには和尚しかおらず、小人など見たことが無いという。その後紋三は、知人の山野百合枝と遭遇し家出した義理の娘三千子を探す為名探偵・明智小五郎を紹介して ほしいと頼んできた

しかし明智は、蘭子の行方不明事件に興味があって断られてしまう。そもそも明智小五郎に家出娘の捜索を頼む方がどうかしている。それでも土下座までしての頼みに断り切れず、仕方なく明智は友里恵に会うが、話を聞いているうちに次第に興味が出始めていた。

明智の調査で、三千子は運転手の蕗屋と自堕落な関係があり、それも蕗屋には女中の小松という恋人がいたのに、奪い取った事が判明。その頃、明智からすっかり忘れ去られた蘭子は、盲目の男に殺され、更にその夜、質屋に忍び込んだ女怪盗が、自らの腕を切断して逃亡する事件が発生した。ただ、このシーンはどう見ても「自分で腕を切断した」様に見えないし、しかも後で明智から「あれは質屋に酷い目にあったサンカの娘がやったこと」と本筋と関係が無い事が判明する。さらに三千子は運転手の蕗屋の件は突然明智の口から語られ「いつ調べたんだよ」状態。正直この辺りは何が起きているのかよくわからず、完全にエログロ描写の為だけに事件が起きている状況。しかもタダでさえ尺が短いのに、余計な部分が多くて混乱する。なお、蕗屋を演じているのは及川光博。本作は出演者だけ見るとえらく豪華だ。ただ、本当に芝居が出来る出演者は少なく、本作が映画初出演のリリー・フランキーに塚本晋也。そして園子温、手塚眞など畑違いの出演者ばかり。実質ヒロインの橋本麗香なんて、全編棒読みで出てくるたびに笑ってしまった。ラストに超大物がカメオ出演するが、その部分だけ逆に変な感じがした。

突然の超大物登場!さすが石井輝男。顔が広い

 

いつもなら後半まで粗筋を紹介するが、そうした場合本作はいつもの3倍ぐらいの量を必要としそうなので、途中で辞めて、さらに一部割愛したのが上記。

石井輝男の江戸川乱歩という事で、大半の観客は予想したであろう様な方向の映画に仕上がっている。その意味では「観客の期待通り」の映画といえる。

終盤に明智の口から事件の真相が語られるが、彼が語る内容は、そこまでに明智が聞き込みをやる事もなく、事件現場や周辺を調べたりして、ヒントを観客に提示していないので、みるほうは「???」となってしまう。しかもその推理さえ整合性がとれていないので、「犯人は女中の小松」と言っておきながら、直後に「殺されたのは三千子ではなく小松」と言い出すとか、もうメチャクチャ。まあ、どっちも間違っていないだけど。

それと本作最大の問題点は、盲獣と一寸法師は対決しないこと。「タイトル詐欺やん」と言いたくなるが、2つの話が交わることさえ無い。盲獣と一寸法師の二人が起こした事件は交互に描かれ、並行して進んでいく。しかもその中に、サンカの娘の事件のように関係が無いエピソードまで挿入されてしまい、そのせいで、流れがブツブツと途切れまくっている。

普通にやれば「一寸法師」だけを映画化すべきだが、それだと刺激が足りないと判断したのだろう。そのおかげでエログロ度は増したが、その分話は分かりにくくなった。もっとも石井輝男は最初から、本作を分かりやすいミステリーとして描く気なんてさらさらなかったのだと思う。本作は2001年に完成したが、なかなか公開が決まらずに、2004年に持ち越されたのも、本作の様々な問題点が影響したのだろう。ただ本作に関してはエド・ウッドのように「期せずしてなってしまった」のではなく、最初から狙って作ったのだと思うので、その意味では「してやったり」の出来だったのかもしれない。