タイトル 猿の惑星 キングダム

公開年

2024年

監督

ウェス・ボール

脚本

ジョシュ・フリードマン リック・ジャッファ アマンダ・シルバー パトリック・アイソン

主演

オーウェン・ティーグ

制作国

アメリカ

 

「猿の惑星」と言えば、その衝撃的なラストから全世界で大ヒットし、その後シリーズ化されたSF界の金字塔。ただシリーズ化作品の御多分に漏れず、回を追うごとに“凡作”“駄作”“愚作”と劣化を繰り返し、1973年の「最後の猿の惑星」を最後に終了した。その後、74年からテレビシリーズが作られたが、製作費が高い割に視聴率は低迷し14話で打ち切られることになる。更に75年からアニメ版が「まんが猿の惑星」が放送され2シーズンが予定されたが、不人気でこれも1シーズンで打ち切りとなる。

その後、リメイク企画は浮かんでは消え状態だったが、2001年になり、ようやくティム・バートンにより「PLANET OF THE APES 猿の惑星」が公開の運びとなる。映画はヒットしたが肝心のバートンは続編を作る意思はなく、また結末も批判を浴びたためシリーズの中で浮いた話となっている。

あまりに有名な「猿の惑星」のラスト。その後の作品は、このシーンの呪縛に捕らわれているといって過言はない

 

そこで企画が練り直され、2011年にリブート版として「猿の惑星: 創世記」が公開され、主人公のシーザーの魅力もあって大ヒット。その後「猿の惑星:新世紀」「猿の惑星:聖戦記」の2本が制作されいずれも評価、興行とも成功を収めた。

ただ日本では、「猿の惑星: 創世記」こそヒットしたもののその後は右肩下がりに興行成績は落ちていくことになる。本作は、シリーズ第4弾となり「猿の惑星:聖戦記」の300年後を描いたもので劇中にもシーザーが触れられているが、新シリーズのように宣伝されているのはそうした事情があるのだろう。ただ、300年も間が空いているので前シリーズを見ていなくてもあまり問題はないと思われる。ただ、別の事でこの“300年問題”はやり玉にあがる可能性はある。

リアルならいいという訳でない事が実感させられるファーストシーン

 

前作から300年後。猿に驚異的な知能を与えたALZ113だったが、それは人類に死をもたらす危険なウイルスだった。かろうじて死を逃れ生き残った人間達の知能が、かつての猿並みに低下して、地球は猿が食物連鎖の頂点に君臨する様になっていた。

鷹狩を生業とする猿の部族の青年・ノア、は、幼馴染のアナヤとスーナと共に鷲の卵を取りに行った帰り、人間の血が付いた毛布を発見する。急いで村に戻りその事を父に報告するノア。彼らにとって人間は凶事となっていた。説明されていないが、鷲の卵は成人式に使うようだ。

夜ノアは食料を探しに来た人間の少女と出会い、卵を潰されてしまう。仕方なく再び卵を取りに行くノアだったが、そこに狂暴な軍隊を発見する。軍隊はノアの村を襲い抵抗する者は殺され、捕らえられたものは連れ去られてしまう。復讐に燃えるノアは、村人を救い出すために彼らの後を追い、途中で、オラウータンの学者ラカと人間の少女と出会う。ラカによると、かつての英雄シーザーが生きていた頃は人間とサルは共存していたという。

旅の途中で、野生化した人間の集団を見つけ少女を引き渡そうとするが、そこに軍隊が襲撃する。彼らはノアたちが連れている少女を狙っているようだった。間一髪のところを少女はノアらに助けられる。そして彼女は言葉を発したのだ。メイと名乗る少女は2頭と旅を続けることにした。

その後、急ごしらえの橋を渡る途中例の軍隊に襲われ、ラカは軍隊のボスに突き落とされ、ノアとメイは捕らえられ彼らの本拠地に連行される。そこは、プロキシマス・シーザーと名乗る独裁者が支配する王国で、各地からさらって来た猿たちが暮らしていて、ノアの仲間たちもそこにいた。そして、人間のトレヴェイサンがプロキシマスに古代ローマ史を教えている。プロキシマスは、かつて人間が築いた巨大な鉄製の扉を開けようとしていたが、頑丈すぎてサルたちの力では如何ともしがたい。そこで、メイをさらってその扉を開けようと考えていた。メイの話だと、その扉の中には人間の武器や色々なデーターが収められているらしい。ただ、何故プロキシマスが扉の中身を知っているのか。そして、メイがその扉と関係があるのかを知っているのかは劇中描写がない。

本作は145分と長尺の割に、説明がほとんどなされていない。見ているとなんとなくわかるのだが不親切。それに扉をいくら引っ張ってもびくともしないのに、その扉のある崖を登るとぽっかり入り口があったりする。それにプロキシマスの王国は、人間の文明の遺物を利用していて300年たっても新たな文明を築いている様子はない。やはり猿は馬鹿なのか?それと300年たっているにもかかわらず、扉の中の施設は電気が通っている。普通300年もたてばバッテリーも上がってしまうし、発電機があっても燃料は劣化して役に立たなくなっているはず。かといって、自動管理システムや核融合炉があるようにも見えない。この施設の電力事情はどのような設定なのか疑問しかない。終盤の人類の事もあって、300年後というのは盛り過ぎだったと思う。例えばひと世代後でも何ら問題はなかったはずだ。それでも長いが。

ちなみに猿のメイクは「猿の惑星 創世記」から特殊メイクではなく、モーションキャプチャーで表現され、本作でもそれが踏襲されている。ピーター・ジャクソンが設立に加わったWETAデジタルの技術力は高く、その為よりリアルに猿の獣感が表現されていて、人間の演技はよりダイレクトに猿の動きに投影されるようになった。その一方で、あまり演技力が無い俳優がやると、やはり微妙になったりする。前シリーズでシーザーを演じたアンディ・サーキスの演技は素晴らしく、猿のAIメイク越しにも圧倒的なカリスマ性を発揮していたが、本作のオーウェン・ティーグはまだ25歳と若く見劣りして頼りなく思えるし、あまり特徴が無く猿たちに交じると分からなくなる。一応本作はノアの成長物語としてシリーズ化が組まれているようなので、これは今後解消されるかもしれないが、本作に限っていえば問題点となっている。ぶっちゃけて言えば、出演シーンが全編特殊メイクですらなく、AI が作った顔になるのだから、スタークラスは勿論、演技力のある実力派も出たいとは思わないだろう。またリアルすぎるが故、あまり進化していないような違和感を覚えるにもなっている。ここは、功罪相半ばするといったところだろうか。

以下はかなりネタバレになるので、未見の方はブラウザバックを推奨する。

 

前述の通り、145分と長尺の割には状況や設定の説明がほとんどない。それに前半はテンポが悪く見ていると眠気を催す。村の襲撃の辺りは盛り上がったが、その後プロキシマスの王国に行くまでがまたテンポ悪い。それにメイが本格的に登場するのが物語半ばあたりで、これも物語のだるさに影響を与えている。メイを演じているフレイヤ・アーランは以前紹介した「ガンパウダー・ミルクシェイク」で主人公の少女時代を演じた女優で、テレビドラマが多く映画で重要な役は本作が初めての様だが、なかなかの好演だったと思う。

ただ、彼女が演じたメイのキャラは謎が多い。ラストに登場した地下施設の女性は防護服を着ていた事から、あの施設に住んでいるのはウイルスを生き残った人類の子孫で、メイは野生化した人類の中から誕生した、ウイルスに抗体を持ったものだと推測できる。プロキシマスの台詞で、メイが他のものといたがそれらは殺されたとあったので、少なくとも当初は他にも抗体を持った人類はいたのだろう。そうすると、今後は連絡手段を持った人類の反撃!とはならず、ワクチンを開発して外に出る手段の模索となり、その中で旧人類にも、ノアたちにも属せないメイを中心とした話が予想されるが、ノアの成長物語とどう折り合いをつけるのだろうか。それに300年間も旧人類たちが地下で文明を維持できたというのも、謎の施設同様どんな設定になっているのだろうか?そしてメイが抗体を得た野生化した人類だとすれば、施設の事を何故知っていたのか疑問だし、地下の旧人類で抗体を得たとすれば、最後に別れたのが疑問だ。これらの疑問は、今後のシリーズで解消されればいいのだが、本作を見るとあまりそうしたことに脚本家は、興味が無いように感じる。

ビジュアル面では文句がつけようが無く、猿の見た目や動き。そしてロケを多用して自然光を取り入れている事から、映像の明るさと美しさは見ていてうっとりするほど。ブルーバックで撮っていると、どうしても明るさが中途半端になってしまうが、本作ではそんな事は一切なかった。これはぜひとも映画館で見るべきだと思う。

それに比べ、脚本は前述の通り、色々と問題がある。本作はシリーズ化が前提で本作は序章でしかなく、さあ。これからというところで終わっている。製作側は、シリーズの事ばかり考え、本作を面白くすることにあまり関心なかったように感じたが、こけたらどうするつもりだったのだろうか。前シリーズも続きものだったが、「猿の惑星: 創世記」はそこで終わっても問題ないように作られていた。正直本作の場合、見終わって「続きが楽しみ」とはならないのではないか。しかし、後半になってからは盛り上がってかなり面白く見る事は出来たし、ビジュアル面では圧倒的に素晴らしい。Rotten Tomatoesではまずまずの評価なので、前作程度はヒットすると思う。製作費が1億6000万ドル程度なので、実際5億ドルぐらい稼がないとシリーズ化は難しいだろうがクリアするだろう。

ともかく本作の評価は、次回作次第と言ったところだ。