なんか映画以外の話題を書くのは久しぶりですね。一応映画をメインにしたブログですが、他の事もたまに(稀に?)書きますので、よろしくお願いします。

連休明けの5月8日から、2泊3日で金沢へ行ってきました。多少なりとも被災地にお金を落として復興に役立てようとの瀟洒な心掛けもありますが、前から一度行ってみたかったということが主です。いや、ちょっとカッコつけて見ました。連休明けにしたのは無論、安くなるから。GW中の高騰は半端ないです。

 

飛行機で福岡空港から小松空港まで行きましたが、乗ったのがANAのDHC-8-Q400。DHC-8-400というのが正式名称ですが、日本では何故かQをつける事が多いようで、何とプロペラ機。今から30年ぐらい前に壱岐、対馬に仕事で出かける時は、YS-11でしたがそれ以来のプロペラ機。揺れたり振動したりで、なかなかデンジャラスでしたね。ただ、帰りは全くそんな事が無かったので、行きは天候が悪かったことが原因だったようです。

空港から金沢駅行きのリムジンバスに乗車し約50分余りで金沢駅に。

初日は近江町市場ヘ行きましたが、この日は雨だったので市場からは一歩も出られず、遅い昼食後に約1時間散策していったん金沢駅に戻り、ウィンドショッピングの後ホテルに向かいました。

金沢駅からほど近かったのでそのまま歩いてホテルにチェックインしました。宿泊したホテルは広からず狭からず。手入れも行き届いていて快適に過ごせましたが、オーガニックに力を入れているとのこと。私はオーガニックに価値を見出していないので、どうでも良かったのですが、好きな人にはいいでしょうね。ただ、エレベーターにハーブのミストが定期的に撒かれ、香りがするのは少々ドン引き。

朝食は例によってブッフェスタイル。和と洋の両方ありましたし、食品ロスを心がけているとのことで、割とメニューは絞り込んでいました。ただ、二日ともメニューは少し変えていて工夫はされています。

翌日は金沢城から兼六園。そして武家屋敷界隈を散策。すべて徒歩移動だったので、昼食で入った店の仲居さんは驚かれていました。ホテルに帰って万歩計を見ただ、18000歩となかなかすごい結果が。

前日の近江町市場を含めて、全く問題なく見る事が出来ました。金沢城は何か所か立ち入り禁止区域はありましたが、別に石垣が崩れている様子はなく、念のための措置みたいでした。それにいずれも、観光施設から遠く離れているので隅から隅まで回りたいという人を除いて問題ありません。それより金沢城は現在二の丸御殿の再建のための調査が行われていて、そっちの方が目立っています。普通の城の中枢は本丸に置かれていましたが、金沢城は寛永8年(1631年)の寛永の大火をきっかけに、中心は二の丸に移り、以後藩主の住まいや政務の中枢を占めるようになったとのことで、それを再建しようという事のようです。熊本城も、本丸御殿を再建して観光客が増えたので、完成すればかなり観光客の増加が見込まれる。というオトナの思惑もあるのでしょう。

兼六園は、庭園が中心だったけいか、特に立ち入り禁止地区は見当たりませんでした。成巽閣にも普通に入る事が出来ます。

その後で兼六園の東側にある和食料理店で昼食。先客の香港の団体客がいましたが、仲居さんの話だとその後岡山に向かいそして大阪にも行くという弾丸ツアー。パワフルだわー!

そして金沢城西側、百万石通りの更に東側にある武家屋敷跡に。ここは野村家跡や高田家跡、前田土佐守家資料館等、旧前田藩士の武家屋敷跡が密集している区域。これらも面白かったですが、個人的に興味をそそられたのが一番北側にある金沢市足軽資料館。これは、最下級武士の足軽屋敷2棟を移築再現した建物です。彼らの日常生活の解説・展示がなされており、当時の雰囲気を醸し出しています。上級武士の事はともかく、こうした下級武士の事は分からない事が多いので貴重です。それにだいたい足軽は、長屋住まいが多かったと思うのに、加賀では拝領屋敷が与えられていたのが意外でした。吉報の使者は玄関から、凶報は勝手口から入る習慣があったというのが面白かったです。二日目はここまで。

足軽屋敷の厠

 

GWは大変な人出だったようですが、明けても人出は相当なものでした。目立ったのは、昨日の近江町商店街でもよく見かけた外国人観光客と修学旅行生。それも欧米系をよく見かけましたね。GW中はアジアからの観光客が多かったとのことでしたが、この辺りそれぞれの価値観の違いなのかもしれませんね。

金沢城の階段。ほとんど梯子

 

最終日は、JR七尾線で七尾まで足を延ばしてみました。七尾の一つ先に和倉温泉があるせいか車内はそれなりにいました。

金沢市内は震災の爪痕は皆無と言ってよかったですが、ここまで来ると流石に見受けられます。車窓から目立ったのは、ブルーシートをかぶせた屋根。特に一番上の部分だけを覆っているのが多かったです。それも、瓦ぶき屋根ばかり。スレートぶき屋根には全く見られませんでしたが、熊本地震の時も瓦ぶき屋根が地震に弱い、といわれましたがどうやら本当だったようです。そして海岸に沿った道路の脆弱さもよくわかりましたね。これでは大量の救援部隊を送り込むのは無理だし、送り込んでも食料すら運べないのは明らかです。

金沢城の立ち入り禁止区域

 

二泊三日でしたが、楽しんで旅行をする事が出来ました。金沢市内は全くと言っていいほど、地震の影響はありませんので、もし今後、例えば夏休みなどに旅行を計画されている場合、候補に挙げてはどうでしょうか。現在なお震災で苦しんでいる地域の為、募金やボランティアをやるのも大事です。ただ、被災地支援でできることはボランティアや募金だけではありませんし、募金したところで、金沢の旅館や料理店は何の恩恵もありません。金沢など、直接被害を免れた地域に出かけ、現地でお金を使うことも被災地支援になります。そして、スーパーなどで必要なもので石川県産と他県のがあれば、石川県産を選ぶのも支援になるでしょう。

今回、能登牛を食べなかったのが今となっては心残り