タイトル 大魔神逆襲

公開年

1966年

監督

森一生

脚本

吉田哲郎

主演

二宮秀樹

制作国

日本

 

今なお根強い人気がある特撮時代劇の名作、「大魔神・シリーズ」の第3作にして現時点では最終作。森一生から「女と男はつまらない。子供好きだから子供でやりたい」という話で子供たちが主役に据えられ、少年の純真な信仰心が大魔神を動かす物語となっている。これまでクーデターや卑劣な闇討ちで正当な嫡子が流転の人生を歩み、御家復興を果たそうとするのを大魔神が(結果として)手助けするという、一種の貴種流転のドラマがメインだったが、流石に3作続けるわけにはいかなかったようだ。興行成績はパッとしなかったが、これは冬休みが始まる前に上映が打ち切られたからで、その事に森はかなり厳しく会社上層部に抗議したようだ。4作目も予定されたが、こうした事もあり結局打ち切りとなった。

今日に至るまで何度かリメイクの話が浮かんでは消え、2000年代になると角川映画が改めて再映画化を企画されたものの企画は凍結。その後、テレビ東京系の深夜ドラマとして「大魔神カノン」が放送されたが、内容は別物となっていてファンを失望させた。

映画は、大魔神が暴れるのをそれを人間は自然の驚異と考えるというシーンがあるが、それこそこのシリーズの原典だ。シリーズの中で唯一、冒頭で大魔神が描かれる作品となっている。全身は全く見せないが。

その後で、木こりや漁師が住むとある山村に、行方不明となった男が傷だらけで戻ってくるところから始まる。彼の話だと、隣国の領主・荒川飛騨守が火薬を得るためリン鉱山で働かせるために、木こりや漁師をさらっているのだという。しかし、現場まで村部との誰も恐れて近寄らない魔人の山があったので、誰も行きたがらない。

主人公・鶴吉の父親もさらわれていたのだ。そこで弟杉末と同じように父親が行方不明となっている大作、金太ら4人で、魔人の山を越えて父親たちを救いに行こうとした。途中の魔人の山で、老婆に止められるがすきを見て通り抜け、遂に魔人像に到着。祈りをささげると、先を急ぐことにするが、途中で荒川飛騨守の配下に追われ難行苦行に遭遇しつつ、4人の協力と魔人の使いとされる鷹の働きもあって何とか逃れてきた。

主人公の鶴吉を演じているのが二宮秀樹。同年「マグマ大使」のガム役で人気となる。また最初の「大魔神」にも花房忠文の幼少期の役で出演している。

遠近感をうまく出している秀逸なカット

 

しかし濁流を超えている時金太が流されてしまう。悲しみを乗り越えて先を進む3人だったが、天候が急変し山中は一面の銀世界となる。疲れた二人は気を失いこのままだと死んでしまう。そこに飛騨守の配下が現れ鉄砲で狙いを定めた。その時鷹が現れ、3人とも倒してくれたが、鷹も鉄砲を受けて命を落とした。二人とも気が付かない事に絶望した鶴吉は、魔人に「自分の命と引き換えに二人を助けてください」と言って、崖から身を投げた。

その願いが届いたのか、二人は息を吹き返す。更に魔人像が動き出し二人の前に現れると、手には鶴吉を抱きかかえていた。

その頃硫黄の採掘場では、作業を終えた者たちに山の抜け道を教える様に迫り、教えなければ硫黄の池に落とすと脅されていた。その時地響きのような足音が聞こえ飛騨守の前に大魔神が姿を現したのだった。というのが大まかな粗筋。

鉄板の悪役二人

 

2作続けて貴種流転のお家再興ものだったので、思い切って本作では路線の変更が行われたが、その試みは成功したと言って良いだろう。4人とも大人顔負けの名演技だが、その中でもやはり二宮秀樹の演技力は頭一つ抜きんでている。何よりも立ち振る舞いが美しい。さすが前々作で、お殿様の少年時代をやっただけの事はある。

一方本作の悪役は安部徹。そして腹心は名和宏という、これ以上の悪役は望めないというゴールデンコンビ。相手が抵抗できない木こりの時は尊大にふてぶてしく振舞うが、大魔神が現れると慌てふためき、一切の攻撃が効かないと知るともう逃げ惑うばかり。この過剰ともいえる逃げの演技で、観客は一気にカタルシスの境地に至る。そして最後には、大魔神は初めて宝剣を抜き、安部徹の胸に景気よくぶっ刺して観客のうっ憤を晴らしてくれる。これこそエンタメだぜ!と言わんがばかりの面白さ。

第1作では山、第2作は水。それに続き本作では雪が舞台となるなど、ワンパターンになるのを避ける工夫も撮られ、今見ても十分に面白い第1級のエンタメ・シリーズとなっている。ただ、第4作まで作られていたら、元々ストーリーのバリエーションが限られるだけに、失速していた可能性が高いと思うので、3本で終わったのは良かったのではないかと思う。日本の時代劇・特撮映画の最高峰という地位はいまだに揺らいでない名作シリーズだ。