タイトル マンティコア 怪物

公開年

2022年

監督

カルロス・ベルムト

脚本

カルロス・ベルムト

主演

ナチョ・サンチェス

制作国

スペイン・エストニア

 

2014年の劇場デビュー作「マジカル・ガール」で第62回サン・セバスチャン国際映画祭グランプリ&監督賞を受賞したスペインの鬼才カルロス・ベルムトが、人間の心に潜む闇に踏み込んだサイコスリラー・ラヴストーリー。“サイコスリラー・ラヴストーリー”とはなんぞや?と突っ込まれるかもしれないが、あえて本作をジャンル分けすると、そういうくくりにしかならないと感じた。

色々と考えさせられる本作だが、肝心のベルムト監督が今年の1月、同意のない性行為(所謂レイプという奴だ)を強制したとして3人の女性から告発されたというニュースが流れて騒然となった。これに対しベルムトは「乱暴な行為だったが、すべて合意の上だった」と反論した。ところが2月になると、更に3人が告発に加わることになる。これを受けて、スペイン文化省は同月、芸術分野での暴力やハラスメントに対処するための相談窓口を設置すると表明した。現時点で続報はないが、一人ならジョニー・デップとアンバー・ハードの事もあるかもしれないが、6人となるとかなり厳しい事になりそうだ。

そこで昔の体験を思い出した。かつて、映画祭で田原総一朗を招いてのシンポジウムが開催されたが、田原が監督した「あらかじめ失われた恋人たちよ」の、明日はラヴ・シーンの撮影という日の夜、主演女優の桃井かおりが、「ラヴ・シーンの撮影は初めてなので、どうやったらいいか分からない」と相談に来たので、困惑した田原は「あなたの思ったとおりにやりなさい」と答えた。その後大分たって、某長時間討論番組で知り合った、某映画監督にその話をしたところ「『手本を見せてやる』と言って、何故抱かなかったんですか」と言われたことがあったと話していた。当時はまだ#MeToo運動のはるか前なので、笑い話として話せたのだろうが、あの運動が起きる前の映画界のモラルなんて、そんなものだったのだろう。

ゲーム会社のクリエーター・フリアンは、空想のモンスターのデザインをしていた。内気で人づきあいが苦手。これまで真剣に人を愛したことが無かったが、隣家の火事からその家の息子クリスチャンを救った事から、彼は自分の隠れた性癖に気が付く。その夜、密かに会社のソフトを使ってクリスチャンの裸の3D画像を作り上げた。

その後、同僚の誕生日パーティで美術史を学ぶ若い女性ディアナと出会い、次第に彼女に魅かれ、遂に愛するようになる。しかし彼女はどれだけ親しくなっても、彼を家に呼ぼうとはしなかった。何度か誘った結果根負けした彼女は、フリアンを自宅に呼ぶが、彼女は父親をかいがいしく介護をしていた。しかし不思議な事に、普段の介護は人任せな事もあり夜は飲みに行くことも多い。

そんな時、会社の人事部から呼び出しを受けたフリアン。以前、クリスチャンの裸のデータを作ったことがばれ、幼児性愛者として会社から解雇されてしまう。更に、その事がディアナにも発覚して拒絶された。絶望したフリアンはクリスチャンの家を訪れるのだった。

マンティコアとは、インド由来ともアフリカ由来ともいわれる伝説の生物の一種でライオンのような胴体に人のような顔を付けた怪物。恐ろしい人喰い怪物と伝えられている。映画のラストでクリスチャンが虎の体に、フリアンの顔を付けたキメラ生物を描いていた。勿論クリスチャンはフリアンから「子供の頃、虎になりたかった」と聞いて描いたもので、全く悪意が無かったのだが、結局、そのグロテスクさがフリアンの心を映し出している様に見えて、彼は取り乱すことになる。本作のマンティコアは、獣の様な性癖を持った人間を指したものだ。

フリアンは、最初児童性愛の感情は持っておらず、クリスチャンを火事から救った事でその感情が芽生えた様だ。そして次第とそれは内部で肥大化するが、ディアナの出現で収まったかに見えたが、彼女を失った事でそれがついに外に向け爆発するが、それを自覚したのがクリスチャンの出現。そしてフリアンが何とか抑え込めたのも、原因となったクリスチャンだった。この大まかなプロット自体は古典的で、新味はないといえる。ただ、その後でそれまで古典的な映画のヒロインのように見えたディアナもまた、別の性癖を持っていた事が明らかとなり、かなりぞわわとして終わることになる。

この様に、本作は性癖(性愛)が大きなテーマとなっている。フリアンがクローズアップされているが、ティアナも介護による性愛という人に言えない性癖を抱えている。フリアンを家に仕方なく呼んだ時、垣間見えた様子からそれが伺えた。そして、父の訃報に接したティアナの反応には、肉親を亡くした以上の感情があるように思える。実を言うと、私も約5年間、認知症で足が悪い母を介護して、最後の3年間は仕事を辞めてつきっきりだったが、亡くなった後で、悲しさが沸き上がったのは葬儀を終え帰宅して、もう使う者がいない介護ベッドを目にした時だった。それだけにディアナの反応に若干違和感を覚え「カルロス・ベルムトは看護したことないんだろうな」と思っていたが、その意味は見終わって分かる事で見ている時は、私を含め分かる人は少ないと思う。最後に、フリアンは意識で抑制できない性愛を抑え込め、ディアナも新しい性愛の対象を見つける事が出来た。その意味で本作は、ハッピー・エンドなのかもしれない。ただ、監督にハッピー・エンドは訪れそうも無いが。