イトル 大怪獣ガメラ

公開年

1965年

監督

湯浅憲明

脚本

高橋二三

主演

船越英二

制作国

日本

 

本作は大映が「ゴジラ」の向こうを張って作り上げた、初の本格的怪獣映画。大映は「宇宙人東京に現る」等の特撮映画(と言って良いかは疑問だが)の経験があったので、自社でも「怪獣映画」を製作すべく1963年に、巨大化したネズミの大群が東京を襲うというSFパニック映画「大群獣ネズラ」を企画したが、撮影のために大量に集められたネズミからノミやダニなどが発生するなど、すったもんだの末に制作中止になった。このため、次なる怪獣映画企画として、大映社長の永田雅一の声がかりで本作品が製作されることとなった。個人的に「大群獣ネズラ」の方が見たい気がする。それぐらい本作の出来は良いとは言えない。

この時期、東宝の独壇場を阻止すべく、日活は「大巨獣ガッパ」(1967)、松竹は「宇宙怪獣ギララ」(1967)、東映は「怪竜大決戦」(1966)などを製作。その中でも、本作は一番出来が悪いが、唯一シリーズ化されている。

第3次大戦待ったなしの状況だが、何故かその後、この話はスルーされる

 

日本の調査隊が訪れたエスキモーの村の上空を、国籍不明の爆撃機が飛ぶところから始まる。米軍は早速迎撃機と飛ばし、無反応の爆撃機を撃墜。しかし爆撃機は核爆弾を積んでいた事から核爆発が起きる。第3次世界大戦待ったなしの状況だが、この件はその後特に問題となっていない。また終盤のZ計画も米ソが協力しているのでこの爆撃機はソ連ではなかったのか?すると、いったいどこなのか?

その頃エスキモーの村で日高教授らは、アトランティスの伝説として伝わる、巨大な亀の調査を行っていた。そこでエスキモーの長老からガメラが描かれたと思われる石板を渡される。

普通ならこの石板の調査の結果、ガメラの存在が明らかとなるという構成にすべきだが、いきなり出現させてこの石板の重要性が低くなっている。

その日高らを連れてきた砕氷船ちどり丸が厚い氷河を割って出現した巨大亀に襲われ沈没した。冒頭から突っ込みどころ満載だが、まだこの頃は「時代だから」で納得できる範囲だ。

日高教授は、出現したガメラについて「放射能でもうすぐ死ぬだろう」と根拠のない発言をするが、その後日本各地でUFOが目撃されるようになる。

その頃、異常なまでに亀が大好きな北海道の灯台守の息子・俊夫の目の前にガメラが出現した。灯台に逃げた俊夫は転落するが、ガメラが前足を出してキャッチすると、俊夫を地面に下ろしどこかへ消えた。この事から「ガメラは味方だ」と勝手に思い込んだ利夫は、その後もガメラが出現する場所に出現し、何かと邪魔をするからうざいことこの上ない。そもそもこのシーンもたまたまそうなっただけなのかもしれないし、利夫を灯台まで追い込んだのはガメラだ。

全く変わらない浜村純

 

その後、地熱発電所へ向かうガメラを迎撃すべく自衛隊が集結。日高は高圧線に最大電力を流してガメラを感電させようと提案するがあえなく失敗。そこで、自衛隊が攻撃するが、ガメラにエネルギーを与えただけのような結果に終わる。日高は古生物学の権威・村瀬教授に助言を求めると、人類の武器ではガメラに歯が立たないだろうと告げた。

ここも構成が悪い部分で、まず自衛隊の攻撃が効かず、その後で電流攻撃をすべき。しかもその最中に村瀬のエピソードが描かれるから、見せ場のはずのガメラとの戦いが散漫になっている。更に作戦が失敗した後、自衛隊の現地指揮官の判断で米軍に、核兵器の使用が求められるというトンデモ展開が起きている。日本のシビリアン・コントロール大丈夫か?

そのあと、カメはひっくり返ると自力で起き上がれないという習性を利用し、自衛隊が極秘で開発していた冷凍爆弾でガメラの動きを封じて、その隙に爆薬でガメラをひっくり返しが死を待つという、何とも気の長い作戦を立てる。しかし冷凍爆弾なんて何のために開発したのか?作戦は無事成功し悦ぶ一同。しかし、ガメラは頭と足を引っ込めたかと思うと火を噴きながら激しく回転して飛び去った。日高は石板に描かれていた図柄が、ガメラが空を飛ぶことを暗示していた事に気が付き、臍を噛むのだった。って、あの石板の存在価値はこれだけか?なお、脚本の高橋によるとガメラが火を吐き回転しながら飛ぶ姿は、ネズミ花火のイメージから着想を得た様だ。

 

ガメラの脅威に世界各国は協力し、伊豆大島に建設中の実験設備Zプランの使用が提案される。その頃、東京にガメラが出現するのだった。というのが大まかな粗筋。

11年式軽機関銃を自衛隊が装備!いや、小道具の使い回しだろうけど

 

粗筋でも述べたとおり、本作は当時の状況を考慮しても突っ込み所だらけ。かなり雑な構成で作られている。

当時は既にカラー映画の時代を迎え、ゴジラも1954年の第1作と翌年の第2作は白黒だったが、3作目からカラーになっている。同時期に作られたライバルたちの作品もすべてカラー。その中で本作だけがモノクロなのは予算の問題。すでにこの頃、大映の経営は傾き始めていたので、海のモノとも山のモノともわからぬ映画に回す、潤沢な予算はなかった。

翌年公開の大魔神は最初からカラーだったが、それは本作のヒットを受けての事。その意味では本作の存在価値はあったのかもしれない。

それに見ていると、マスコット枠の利夫が、とにかくうざいし可愛げが無い。現場に現れては、「ガメラは友達なんだ」と言って大人たちの手を煩わせる。それも正しいことを主張し、行動するならともかく、自分勝手な推論のごり押しばかり。「ガメラ、早くこいつを踏みつぶしてくれ」と何度思ったか。

怪物が、特定の者だけ優しい例として「キング・コング」や「猿人ジョー・ヤング」があるが、キング・コングらは平和に暮らしていたのが、人間の都合で都会に連れてこられた被害者だし自分の意志で破壊は行っていないが、本作のガメラは町を壊しまくり大ぜいを死なせていて、本作とは立場が違い過ぎる。

本作の反省を踏まえたのか、次の「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」では大人向きとなり、さらに次の「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」の二大名作を生み出すことになるがその後、いよいよ大映の経営が苦境を迎え、予算が大幅に削られ、さらに子供路線が強化されることになる。

こんなデカいロケット、何の目的で作ったんだよ

 

なお、本作は海外に売り込みがなされアメリカには特撮部分のみ売れ、現地でドラマ部分を撮り足して『Gammera the Invincible』として公開された。新撮シーンには「原子人間」のブライアン・ドンレヴィが出演している。ただ、ゴジラに比べると、海外での知名度はかなり落ちるのは仕方がないだろう。