タイトル ズートピア

公開年

2016年

監督

リッチ・ムーア バイロン・ハワード他

脚本

ジャレド・ブッシュ フィル・ジョンストン

声優

ジニファー・グッドウィン

制作国

アメリカ

 

本作はウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオとしては第55作目となる作品。公式によると「動物の手で築かれ、肉食動物と草食動物が共に暮らす大都会「ズートピア」を舞台に、夢を信じる新米ウサギ警察官ジュディ・ホップスと、夢を忘れたキツネ詐欺師ニック・ワイルドの2人を主人公に据え、連続行方不明事件を解決する中で変わってゆく2人の関係を軸に、その中であぶり出される人種差別や欺瞞などといった大都市の社会問題を描いている。」とあるから、そもそも地球の出来事ではないという事の様だ。それにしては、地球の生物(哺乳類限定)そっくりな多種多様な動物が、一斉に知的進化を遂げたものだ、と感心する。そして肉食動物は、何を食べているのか気になるが、この世界にも「家畜」はいるのか?あるいは人造肉の様なものなのか?または肉食動物は草食に耐えうるように進化したのか?考えるときりがない。この辺は「アバター」シリーズでナヴィ族の食べ物に関しては、描かれていない部分と共通しているか。だってそれ描いたら。ヴィーガンやヴェジタリアンという生き方が、自然の摂理に反するのが。はっきりしちゃうし。

一番合理的な考察として、人間(あるいは神のような存在)により人為的に進化させられた、一種の実験施設がズートピア。ではないかと思うが、公式はそれを否定しているから、文句言っても仕方ない。公式は神なのだから...

映画は子供の頃から警官になるのが夢だったウサギのジュディ・ホップス達が、子供の頃ズートピア誕生の経緯を寸劇で説明するところから始まる。その後、ガキ大将のギデオンがカツアゲをしているところを妨害し、けがを負わされる。この事から警官になるという思いを強く持つようになり、警察学校を首席で卒業。市長のライオンハートから表彰され、ジュディを市中心部にある第1分署へ配属する。彼は「誰でも何にでもなれる」というズートピアのスローガンを作った張本人。その為ジョディを利用するわけ。いわゆる典型的な、意識高い系の政治家。その為後に自分の理想と異なる事態が起きると、更にややこしくする行動に出る。

希望に胸を膨らませズートピアに来たものの、まず命じられたのは駐車違反の調査。ボゴ署長にすれば市長の政治的な判断で厄介な荷物を押し付けられたわけだから、彼女をぞんざいに扱うのも仕方ないだろう。だが彼女はその最中、キツネの詐欺師ニックにまんまと騙されてしまう。落ち込む彼女だったが、窃盗犯を追いかけ逮捕する。初手柄だが、ボゴ署長は認めてくれない。落ち込む彼女は、巷を騒がせている肉食動物連続行方不明事件の被害者エミットの妻、オッタートン夫人に自分が見つけると見栄を切る。ボゴは怒り心頭だが、そこに現れたベルウェザー副市長のとりなしで48時間以内に見つけないと警察を辞めるとの条件で、捜査を許可した。

捜査資料もほとんどなく、新人の彼女はパソコンのアクセス権も持っていないことから、詐欺師のニックから言葉巧みに弱点を聞き出し、捜査に協力させる。この辺りを見ると「どっちが詐欺師やねん」と突っ込みたくなるが、彼女の捜査員としての有能さが垣間見える。

調査の結果、犯罪組織のボス、ミスター・ビッグが浮上し、根拠地に乗り込んだらニックは彼と因縁があって、あわや二人とも殺されそうになるが、娘がジュディに助けられていたことから、エミットがリムジンでミスター・ビッグの家に行く途中に失踪したことを明かし、当時の運転手マンチャスを紹介する。

マンチャスの自宅へ赴いたが、突如、エミットが「夜の遠吠え」と言い残して凶暴化。彼を襲ってどこかへ行ったという話を聞く。ところが、マンチャスは二人の目の前で凶暴化し、襲いかかる。かろうじてマンチャスを捕らえることに成功し、署長を呼ぶがジョディ達が駆けつけた時はもうマンチェスの姿はなかった。署長からクビを通達されるが、ニックが巧みにとりなしたことから猶予を勝ち取り、この事からジョディとニックの間に信頼関係が芽生えてくる。

2人は、ベルウェザーの協力で交通監視カメラの映像を見る事が出来、捕らえられたマンチャスが謎の施設へ向かう姿が写っていた。早速そこに潜入すると、そこには行方不明となった14人と狂暴化したマンチャスが収容されていた。そして収容したのは肉食動物である自身の支持率低下を恐れた市長のライオンハートであることも判明する。この結果、ライオンハートは収監され、市長の座を退きベルウェザーが市長となった。

その功労者として記者会見に臨むジョディは、慣れないことから施設に潜入していた時、耳にした「肉食動物特有の現象」という事を口走ってしまい、それがズートピアで肉食獣への差別を生んでしまう。更に、ニックからも拒絶され失意の彼女は警官を辞め、故郷でニンジン栽培を始めるのだった。

人の役に立ちあいと思っていた彼女が、逆に無実の人を苦しめることになる。現実社会でもそうしたことはままあるが、たいてい言った本人は責任を認めず何度も同じことをしでかす。良くいるでしょう?「多様性を」と主張する人が、自分が考える「多様性」以外認めなかったりね。。それに比べると、ジョディは反省しているだけまだよいといえる。

そこで今やパティシエになっているかつてのガキ大将ギデオンから子供の時のことを謝罪され、更に彼の発した言葉から「夜の遠吠え」の意味が、動物を狂暴化する成分を帯びた植物であることが判明する。急ぎズートピアに戻ったジョディはニックと和解し捜査を行う。その結果「夜の遠吠え」の球根の買主はダグと呼ばれ、「夜の遠吠え」から抽出した毒薬を弾丸にして肉食動物へ撃ち込み、凶暴化させていたことが判明する。だがその頃、事件の秦の黒幕が二人に迫っていた。というのが大まかな粗筋。

非力なウサギは警官に向かないという偏見に立ち向かう、ジョディの姿が魅力的。そしてキツネはずる賢いというステレオタイプの固定観念を絡めて、多様性の大切さを訴えている。最近「多様性」と言われるだけにげんなりするほど、嫌われているが「多様性」だが、本作はいまだに愛され多くのファンを持ち、続編の製作が発表された時は歓喜を持って迎えられた。その違いは何だろうか?答えは簡単で本作が訴える多様性は、「見かけや固定観念で判断してはいけない」という普遍的なテーマなのに対し、最近の「多様性」は人種という極めて範囲を限定したもので、更にその人種の中で極一部だけに限ったものの権利だけ認めろ、と言うものだからではないだろうか。そして本作のヴィランがかつて、草食動物を虐げてきた肉食動物と平等を実現するのではなく、主客転倒させようとしているあたりなど、最近の「多様性」運動の行きつく果てを見ているようだ。

そうした政治的な事はどうでもよく、本作の主人公、ジョディとニックは魅力的。そして二人とも、幼い事から偏見と闘ってきている。ただジョディはそれに打ち勝ち、ニックはあきらめたわけだが、だからと言ってニックを負け犬として描かないところが本作の優れたところ。中盤で信じていたジョディの心無い一言に傷つき、更にジョディが両親から持たされたキツネ除けのスプレーを持っている事から、いったんは決別する等、両者のバランスに配慮している。

ミステリー要素もあり、最後まで飽きさせず見る事が出来て、ほとんどけちのつけようがないほど完成度も高い。それだけに続編の製作は難易度が高いが、2023年2月8日ウォルト・ディズニー・カンパニーの収支報告会にて制作が発表された。うれしい半面、最近のディズニー作品は全般的に制作費が高騰する傾向にあり、それが映画の配収を押し下げている。クオリティを落とさずに同コストカットができるかが、これからのディズニーの課題だと思う。「ウィッシュ」等を見ると、ディズニーはこれが苦手なようなので気になるところではある。