タイトル インフィニティ・プール

公開年

2023年

監督

ブランドン・クローネンバーグ

脚本

ブランドン・クローネンバーグ

主演

アレクサンダー・スカルスガルド

制作国

カナダ・クロアチア・ハンガリー

 

本作は、一部でカルト的人気を集める鬼才ブランドン・クローネンバーグ監督の長編第3作。観光客は罪を犯しても、自分の身代わりのクローンに罰を受けさせることで罪を逃れることができるというルールが存在している島で、奇妙な出来事に巻き込まれる観光客カップルの体験する恐怖を描く。一種のデストピアものだが、そういえば前作の「ポゼッサー」もデストピアが舞台だった。

本来のインフィニティ・プールは、縁を水で覆うようにして、縁が存在しないかのように見せかけたプールで、Infinityとは無限の意味がある。転じて境界があいまいという事なので、本作は現実の区別がつかない事を現しているのだろう。

舞台のリ・トルカ島は架空の島だが、親族が処刑を行うという島の風習からアルバニアのジャクマリャ(血の復讐)がモデルと思われる。ロケはクロアチアのシベニクのリゾート地で行われたとあるので、東欧をイメージしたのは間違いないと思う。

この警察の制服は、明らかに東欧をイメージしている

 

主人公は売れない作家のジェームズ・フォスター。数年前にデビュー作を書いて以来、筆が進まずスランプに陥っている。そこで着想を得ようと、妻のエムとリ・トルカ島のリゾートホテルにやってくる。そこは貧富の差が激しく、ホテルは有刺鉄線で覆われ外出は禁止されていた。海外のリゾート地にはそんなところは多いが、それにしても極端。私ならもっと治安の良い観光地に行くが。ちなみにあのシーンは、ブランドン自身がドミニカのリゾート地に行った時の体験がモデルになっていて、そこでは施設が有刺鉄線で囲われていて、ひどく居心地が悪い思いをしたとか。意外とまともな感覚を持っていて、ちょっとほっとした。

クローン作るならこんなことしなくてもよくないか?

 

そこで、自分のファンだというガビという女性から声を掛けられ、満更でもない気分になる。ガビと夫のアルバンに誘われ、外出が止められているホテルの外に、ピクニックに出かける。売れない作家なのに、こんな高級リゾート地に行けるのは、妻のエムがセレブだからに他ならない。このエム、一応夫を愛してはいるようなのだが、ところどころ夫の甲斐性のなさを無意識にやんわりとディスったりする。ジェームズにとって、何かと気を使わなくてはいけない相手で、ストレスがたまる事だろう。

暗くなって帰り道、酔ったアルバンに代わり車を運転するジェームズは、地元の農夫をひき殺してしまう。この前のやり取りを見ると、なんとなく嵌められた感があるがその事は後半で明らかとなる。

翌日地元の警察に連行され刑事から「この島は人を死なせたら、理由の如何を問わず死刑だ。しかし、外交官や富裕層の観光客向けに、クローン人間で罪を償わせる制度があるがどうする?」と聞かれ、訳分からないうちに書類に署名するジェームズ。無論その金は、エムが出す。クローンが出来て、ひき逃げした男の息子が死刑を執行するが、まだ子供。腹部を何度も刺し見事敵討ちをするが、島の決まりでジェームズ達もそれを見なくてはいけない。恐れおののくエムに対してジェームズはどこか陶酔している様子。すぐさま島を引き払おうというエムに対して、パスポートが無いといって滞在を伸ばすジェームズ。これも後半で明らかとなるが、パスポートは本人が隠していた。それからジェームズは、殺人さえ金の力でもみ消せる、この島での暮らしに没入していく。そんな彼に、ガビ夫妻とその仲間達は接近してくる。彼らに一体どんな思惑があるのか。そして次第と人間としての理性を無くしつつあるジェームズは、どうなっていくのか?というものだが、これから作品上軽いネタバレはしているので、まだ未視聴の方はブラウザバックお願いする。

 

ブランドン・クローネンバーグは以前「ポゼッサー」を紹介したが、本作は「殺人さえクローンに押し付けて無罪になれる」というシステムの中で、次第と自我の暴力欲求が抑えきれなくなる主人公を描いていて、あちらに比べると分かり易い映画になっている。だからと言って見やすい映画ではないが。本作は、人間の自我がテーマだと思う。

フロイトによると人間は、①自我。②イド。③超自我の3つの感情を持ち、①自我は②イド(無意識の欲求)を持つが、それを③超自我によって抑えているとしている。本作で当てはめると①ジェームズ②ガビ③エムとすれば分かりやすいだろう。ガビの誘いをエムが抑えていたのを、エムが帰国した事で制御を亡くしたジェームズは、ひたすら欲望の赴くままに突き進み、最終的にはガビ(無意識の欲求)に屈することになる、というのが大まかな流れだと思うが、そうした中でどうしてもついて回るのが、果たして今いるジェームズ、そしてガビたちは本人なのか?という疑問。実際最初に他の仲間たちと引き合わされた時、一人が「私も本人なのか分からない」などと話している。クローン人間を作ったとしても、記憶を移すことはできないはずだが、ここだとクローンに記憶が継承されるから入れ替わっても分からない。これを先のフロイトの心の構造と照らし合わせると、本作は人間の本質に迫っているようにも思える。

狂気というよりもキチガイが演じられるのがミア・ゴスの特徴

 

ラストで、それまで乱痴気騒ぎをしていたガビたちは、素面になってそれぞれの家に戻るが、ジェームズは謎の行動をとる。あれは、他の連中はセレブだから来年この島に来る事が出来るのに対し、ジェームズ自身は来られないということを暗示しているのだろうか。と思ったが、バスに乗り空港に行ったジェームズとラストのジェームズは顔の傷が違うような気がするので、この辺はよくわからない。ラストの骨壺の数で推測しようにも、本作で作られたクローンは確実なのは3人だが4人の可能性もある。色々と考察できるラストだし、ブランドンも特に解答は話さないといっているので、それぞれで解釈していいと思う。

贖うもかなわなければ、屈服するしかない

 

役者陣はみんなよかったが、やはりミア・ゴスに尽きる。冒頭から立ちションしているジェームズの息子をしごいてイカせる等、相変わらずイカレタ事をやってくれる。「X・シリーズ」でブレイクして人気女優となったのに、相変わらずこんなエロ・グロ・グチョグチョの映画にも出てくれるのだから、こちらとしては嬉しい限り。狂気というよりキチガイを演じる事が出来る貴重な女優だけに、今後も気取った映画でないものにも出てほしいと願っている。