タイトル DUNE/砂の惑星 デビッド・リンチ版

公開年

1984年

監督

デビッド・リンチ

脚本

デビッド・リンチ

主演

カイル・マクラクラン

制作国

アメリカ

 

本作は、それまで映像化不可能と言われたフランク・ハーバートによる大河SF小説「デューン」を、デビッド・リンチの監督・脚本で映画化したSFスペクタクル超大作。「デューン」と呼ばれる、砂に覆われた惑星アラキスを舞台に繰り広げられる勢力争いを、壮大なスケールで描く。しかし本作は完成まで、様々な紆余曲折を経る事になる。

原作を知らない人は、「この人誰?」状態になること間違いなし

 

1973年、フランス人映画プロデューサーのミシェル・セドゥが権利を買い取り、「エル・トポ」で知られるアレハンドロ・ホドロフスキー監督のもと映画化がスタート。宇宙船デザインにクリス・フォス。コスチュームデザインにジャン・ジロー。美術担当にH・R・ギーガー。音楽にピンク・フロイドとマグマという、今ならSFファンが狂喜乱舞しそうなメンツがそろっている。

配役は、シャッダム四世役にサルバドール・ダリ。ハルコネン男爵役にオーソン・ウェルズ。いや、マジにオーソン・ウェルズのハルコネン男爵は見たかった。パイター・ド・ブリース役にウド・キア。レト・アトレイデス公爵にデイヴィッド・キャラダインなど錚々たる顔ぶれ。実現していれば、間違いなく映画界に燦然と輝く金字塔になっていたはずだ。

ただ、長大な原作を余すことなく表現するために、上映時間10時間以上と、正気を疑うような構成から、製作費を捻出できず、絵コンテの段階で制作中止となった。なお、これらの件は2013年にドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」として公開されることになる。

メランジの影響で異様な外観を持つギルド。元は人間だった

 

その後、イタリアの映画プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが権利を買い取り、監督・脚本にデビッド・リンチを据え製作に着手し完成に至る。もっとも本作も当初は4時間を超えていたが、編集で大幅に尺を短縮し2時間程度に切られ公開された。そもそもだが、旧版の文庫本で4巻に渡る物語を2時間で納めるということに無理があるというものだ。

本作の事を知った時、最初は「スター・ウォーズ」のような2.3部構成となると思っていたが、1本でまとまっている事を知り「こりゃ、駆け足になるな」と思ったものだ。ある程度予想はしていたので、完成品を見ても大したショックはなかったが、かといって面白いとも思わなかった。

このカットは一部に熱狂的なファンを獲得したとか

 

いつもならここで粗筋となるが、新作が公開されたばかりなので簡単にする。

時は10191年。宇宙を支配する皇帝シャッダム4世は、宇宙移動に欠かせない貴重な資源である「メランジ」と呼ばれるスパイスが採取できる、砂の惑星アラキスを支配するハルコネン男爵からアラキンを取り上げ、皇帝のいとこであるアトレイデス公爵に与えることを決定する。しかしこれには裏があり、皇帝は公爵の敵であるハルコネン男爵と手を組み、アトレイデスの失脚を図る。しかし宇宙航行を支配する宇宙ギルドから公爵の息子のポウルを殺すように命令される。実はポウルは砂漠の民、フレーメン達が待ち望み、ベネ・ゲセリット教団が恐れる救世主だった。

ハルコネンは皇帝の近衛兵の援軍を受けアラキスを奇襲。公爵は自害に追い込まれ、かろうじて母ジェシカとともに砂漠に逃れたポウルは、アラキスの原住民であるフレーメンと合流し、皇帝と男爵に挑んでいく。というもの。

正直、ダイジェストになる事は予想していたので、大河ドラマの総集編のような構成には驚かなかった。とはいえ物には限度というものがあり、後半は見ていて話の流れが掴みにくいほどはしょられている。ポウルはさっき出会ったばかりのチャニとあっという間に恋仲になり、あっという間に体を許す関係となる。さらに、いつの間にかムアディブと名乗り、フレーメンのリーダーとして祭り奉られている。

流れが掴みにくいせいか、やたらとモノローグが多いのも欠点。それも、ポウルだけでなく、レト公爵もジェシカもスフィルも、ありとあらゆる人が心の声を呟いている。おかげで視点が定まらないこと甚だしい。

ホドロフスキーは本作を見て、出来の悪さに大喜びしたといわれている。気持ちは分かるが、少々大人げない。もっともその後「リンチがこんな駄作を作るはずはない。恐らくプロデューサーのせいだろう」とフォローしているが、これは本作の本質をついている。なんと、ディノは「イレイザーヘッド」を見たことがないというのだ。それならもっと職人肌の監督にさせればよかったと思うが、製作側はデビッド・リンチの名前が欲しかったのだろう。あくまで名前だけだから、編集権は与えられず、主要部分がぶった切られた2時間強の映画にされた。ただ“興業”という観点からすれば、これは止むえぬことだ。ホドロフスキーの10時間は論外にしても、莫大な制作費を回収するにはリンチの3~4時間でも長すぎる。

冒頭に比べると明らかに容貌が変化し、いずれ上の奴のようになるのだろう

 

リンチも本作について触れたがらずすっかり黒歴史となっているが、冒頭の宇宙ギルドの異様な外観やハルコネン家の描写等、リンチらしいカルトな世界観から一部の熱狂的な支持を得るに至る。私も、当時は面白いとはかけらほども思わなかったが、つまらないとも言い切れないジレンマに陥り、困惑した記憶がある。そしていま見直してもやはり同じ感想を持った。今後再評価されることはないだろうが、かといって忘れられる事もないという、微妙な立ち位置にある、ちょっと厄介な映画になると思う。