タイトル オッペンハイマー

公開年

2023年

監督

クリストファー・ノーラン

脚本

クリストファー・ノーラン

主演

キリアン・マーフィー

制作国

アメリカ

 

本作は、ハリウッドの鬼才・クリストファー・ノーランが、原子爆弾の開発に携わり「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯と、原子爆弾開発に関するマンハッタン計画を描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。

第96回アカデミー賞では同年度最多となる13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞を果たした。ちなみに、助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・JRが人種差別ともとれる行動に出で炎上したのはご存じの通り。 とは言え本作での彼の演技は素晴らしく、オスカーに値するものであることに異論はない。むしろ、彼は陰の主役と言ってもいいと思う。

北米では大ヒットしたが、題材が題材だけに日本での公開はなかなか決まらず、米国公開から4か月を経た12月7日になって、ようやく2024年3月末の日本公開が発表された。ちなみに配給はお世辞にも大手とは言いかねるビターズ・エンドが担うことになったのは幸いだった。そうしなければ、円盤・配信スルーという事態に陥っていた。

 

特に明示されていないが、本作は大きく分けると3部構成になっている。

➀ マンハッタン計画に出会うまでの若い頃

② マンハッタン計画で原子爆弾完成まで

③ 第2次世界大戦後のQクリアランス(国家機密情報にアクセスするために必要とされる、原子力委員会のアクセス権限)付与を巡る公聴会

ただこれらは時系列順に並んでおらず、映画の冒頭は上記③の公聴会から始まる、ある意味クリストファー・ノーランらしい、分かりにくい構成となっている。そこで、分かる範囲で時系列順に並べてみる。

なお、アメリカが原爆を完成させ、広島と長崎に投下したことなどは史実で、ネタバレも何もないことから、史実の出来事はそのまま書いている。

 

1926年、22歳の学生J・ロバート・オッペンハイマーは、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所でホームシックに苦しみつつ実験量子物理学を学んでいた。ここで有名なブラケットのリンゴに毒を注射するというエピソードがあるが、この真偽は不明。ここで出会った、ボーアからゲッティンゲン大学を推薦される。

1929年にカリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学助教授となり、物理学の教鞭を執った。この時、生物学者で元共産主義者のキャサリン・"キティ"・ピューニングと結婚するが、同時にジーン・タトロックと不倫となる。ちなみに彼女は後に自殺する。ここまでが①に該当する。

1938年、ドイツが原子の分裂に成功したとの報道に、オッペンハイマーにドイツが先に原子爆弾を開発するのではという懸念が起きる。第2次世界大戦中の1942年、マンハッタン計画の責任者であったレスリー・グローブス米陸軍大佐からロスアラモス研究所の所長に任命され、原子爆弾開発の責任者となる。ここで全米から優秀な科学者を集めるが、同時に機密保持にも悩まされることになる。紆余曲折あったものの、ポツダム会談までに核実験に成功する。しかし広島、長崎の惨状を知ると、人類が自らを滅ぼす力を手にしたことに恐怖する様になる。ここまでが②に該当。この時オッペンハイマーから「私の手は血に染まっている」と聞かされたトルーマンが憤慨したエピソードは史実通り。ただ、トルーマンは広島の惨状を知ると驚愕。その後長崎にも矢継ぎ早に投下されたことから、8月10日に原爆投下を禁止する命令を出している。

劇中流れる激しい靴音。ナチスの象徴かと思ったら、ここでその正体が明らかとなる

 

1954年、原子力委員会委員長のストローズはオッペンハイマーの政治的影響力を排除をもくろみ、彼のQクリアランスに関する公聴会を人事保安委員会で開き、彼の権威の失墜を図る。結果、オッペンハイマーのQクリアランスは剝奪され、実質的に公職追放となる。

しかし、この件は意外な形でストローズに跳ね返る。1959年、アイゼンハワー政権で商務長官に指名されストローズに関する上院公聴会で、日本への原爆使用に反対し、オッペンハイマーと対立したはずのヒルはオッペンハイマーの失脚を画策したストローズの個人的な動機について証言した事で、ストローズの指名は否決される。なお反対票を投じた上院議員の中にジョン・F・ケネディがいた。この2つの公聴会は、上記の通り5年の間隔があったが、映画では並行して行われたように編集され緊迫感を出している。

1963年にジョンソン大統領は、政治的復権のしるしとして、オッペンハイマーにエンリコ・フェルミ賞を授与する。映画のラストで、ストローズとの確執の一員となった、1947年のプリンストン高等研究所庭でのオッペンハイマーとアインシュタインの会話で物語は終わる。

アインシュタインを演じるトム・コンティは「戦場のメリークリスマス」でロレンス中尉を演じた

 

日本人にとって“オッペンハイマー”の名前は“エノラ・ゲイ”とともに、複雑な感情を抱かざるを得ない名前だ。と思っていたが、最近はWar Thunderのゲーム実況動画で、日本人でも平気で核を使ったりするから、案外日本人の核アレルギーは、昨年の「バーベンハイマー事件」のように、政治的イデオロギーと結びついたミームが起きた時、燃え上がるものの、言われているほどではないのかもしれない。ちなみに私の叔父さんは、広島?で被爆直後に救援部隊の一員として入り、直接の因果関係は不明だが戦後だいぶたってがんで亡くなった。だが、原爆や投下したアメリカに対して、特に怒りが沸き上がるということはない。

CG嫌いのノーランだけに、原爆の象徴と言えるキノコ雲ははっきりと描かれなかった

 

ともかく本作はロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた伝記映画。日本では「広島・長崎の惨状が描かれていない」という批判があったが、映画を見るとノーランは“あえて”描いていない事がはっきりと分かる。何故描かなかったのかは、本作がオッペンハイマーの伝記映画であるという理由の他に、兵器で多くの被害が出るのは何も核兵器だけではないということがあるだろう。広島・長崎の惨状を視覚に訴えた場合、それが東京大空襲やドレスデン空襲とどこが違うのか?ということになる。また直接的な被害以外にも多くの被害をもたらすのなら、毒ガスや細菌兵器も同じだ。むしろ本作では、オッペンハイマーの後悔と転身は「人類が自らを滅ぼす“メギドの火”を作り出した事」。そして「その“メギドの火”をもたらしたのは自分達だ」という事から来ていて、だから“あえて”描かなかったのだろう。それにその有無が本作の優劣を左右するものではない。

主演のキリアン・マーフィーの演技は、ケチがつけようがないほど素晴らしい。若い頃の、何かにつかれたように原爆開発の邁進する姿と、作り上げた後の逆に何かに怯えたような姿の対比等、顔がオッペンハイマーとよく似ている事もあり、本人が演じているように錯覚するほどなり切って演じている。対する、ロバート・ダウニー・JRも、オッペンハイマーと対照的な癖のある野心家を熱演している。二人とも、オスカーにふさわしい熱演だった。

ただ映画としての本作は“名作”か?と言われると、ちょっと躊躇せざるを得ない。というのも本作は、かなり分かりにくく描かれている。これはノーランの映画にありがちだが、時系列がシャッフルさればらばらとなっている。これは後半の公聴会のシーンになると、緊迫感を与えぐいぐい画面に引きずり込まれるような効果を与えているが、前半は頭の整理が追い付かず混乱する。

次に尺が長すぎる。上記の①の部分はもう少し整理しても良かったと思う。特にジーン・タトロックとの不倫はあそこまで尺が必要とは思えない。個人的に、ちょっと得した気分にはなったが…(銀河帝国の皇女殿下の肢体を拝めるんですぜ!)。

更に、オッペンハイマーの視点はカラーで。それ以外の、特にもう一人の主役と言って良いストローズの視点はモノクロで描かれているのも、むしろ映画を混乱させている。

自らを滅ぼす力を持った人類は、これからどこへ向かうのか?

 

それらの事を踏まえても面白かったし、最後まで飽きることなく見る事が出来た。そして見るのなら、絶対に映画館で見るべき。自宅で配信や円盤で見ては、必ず緊張感が途切れるのは間違いない。ただ、置いてけ堀を食らわないためにも、最低限の知識は頭に入れるべきだと思う。幸い、本作の登場人物などを解説した動画もかなりあるので、見る前に視聴することをお勧めしたい。