タイトル HOUSE ハウス

公開年

1977年

監督

大林宣彦

脚本

桂千穂

主演

池上季実子

制作国

日本

 

本作は、当時CF界の活躍していた大林宣彦が初めて手がける長編劇場用映画。七人の美少女が奇妙な古い屋敷に入り込んだことから起きる、恐怖の一夜中心に幻想的ななかにスラッシャー描写を交えユーモラスに描くオカルト映画。ホラー映画として分類されることが多いが、ダークファンタジーが近いかもしれない。

この頃監督への道は、まず映画会社に入社し、下積みを経て助監督に抜擢され、監督が会社に推薦し「そろそろあいつを…」という事でデビューする事がほとんど。黒澤明も、小津安二郎もこうして巨匠への道を進んだのだ。そうした中、映画会社にも所属せず異業種で活躍した大林を、いきなり監督に抜擢というのは異例中の異例。すでに映画界の斜陽化が始まっているので、何か思い切った策を、と考えたのは容易に想像できる。それにCF業界は本業がおもわしくない映画業界にとって、貴重な収入源だったことも理由だろう。本作は興行的には成功し、異業種からの参入に道を開くことになったが、それで映画会か活性化したかと言えば少々疑問。また、興行的には成功したものの、批評家からは散々だった。一方主な観客となった10代、それも中学生からは好評で喝采をもって迎え入れられた。

中央が笹沢佐保。右が鰐淵晴子に左が池上季実子と超絶豪華

 

主人公のオシャレは8年前に母と死別し、それ以来父子家庭。父は有名な作曲家で海外にいる事が多いという、アイコンのような家庭環境。彼女は夏休みを父と別荘で過ごす予定だったがイタリアから再婚相手を連れてきたことから大むくれ。演劇部の合宿に同行する事にする。年頃の少女が「新しいお母さんだよ」と言われ「まあ、素敵」となるはずがない。イタリアから来たはずだが、再婚相手を演じる鰐淵晴子はオーストリア人とのハーフで、ハプスブルグ家の系譜だという。それとオシャレの父を演じるのが作家の笹沢佐保。本作は他にも尾崎紀世彦や小林亞聖など本職の俳優でない人が、数多く出演している。その為芝居は相当に臭い。

誰が見ても合成と一発で分かるが、これは狙ってやったのだろう

 

しかし演劇部が泊まる旅館が都合で臨時休業した事から、おしゃれは思わず「おばさまの家に泊まったら?」と言ってしまう。しかし、そのおばさまとは10年以上会っていないので、慌てて手紙を送り、ぎりぎりで返事が返ってくる。その後、おばの家には古風だが一応電話はあったので、何故電話を掛けなかったのか疑問。そうすれば、あんな目に合わなかったのに。

しかし今度は演劇部の顧問の東郷先生が、階段で白い猫を避けようとして足を踏み外して転倒し怪我を負い、遅れていくことになった。ちなみにこの白猫は、オシャレがおばさまに手紙を書いて以来出没していて、使い魔的な役割を果たしている。

叔母は許嫁を戦争で亡くして以来、田舎の大きな屋敷で一人で住んでいた。途中の東京駅といい、田舎の風景といい、おばさんの屋敷の外観といい、一目でそれとわかる書割で描かれているが、これはわざと。このおばさんを南田洋子が演じているが、上品さに怪しさ、そして妙な色気を感じる所などなかなかの好演。

屋敷に着いた七人は、足が悪い叔母の代わりに食事の支度を始める。ここでちょっと頭を使えば、車いすの老女が近所もない田舎でどうやって一人暮らしをしているのか疑問に思うはずだが、とてつもない能天気の7人がそんな事を気にするはずがない。食事の後、井戸で冷やしたスイカを取りにいったマックがなかなか戻らないのでファンタが井戸からスイカを引き上げると、マックの生首になっていた。悲鳴を上げ腰を抜かすファンタだが、クンフーが引き上げるとスイカに戻っていた。「な~んだ」「脅かさないでよ~」となり、皆でスイカを美味しく食べる。この女子たち、鈍感なのかあまり怖がらない。

数少ない本職の俳優だが、セリフはひところもない

 

その後一人、また一人の行方不明となる少女たち。さすがの鈍感な少女たちもおかしさに気が付き、警察に電話かけるがつながらず、シャレが警官を呼びに屋敷を出て行く。ただ、この時すでにオシャレはおばさんの霊に身体を乗っ取られている。しかし他の少女たちが出ていこうとすると、突然扉や雨戸が締まりださないようにした。「おばさんは一人暮らしだから自動で戸締りできるようになっている」と、この期に及んでも能天気な事を言うガリ。こんなぼろ家、ちょっと力を入れれば女の子でも簡単に壊すことできそうだが、恐怖でパニクっているのか、なかなか危険を受け入れない一同。更にメロディがピアノを弾くとピアノに食べられてしまう。このシーンが予告編で散々流れた有名なシーンだ。大時計の中のスイートの死体を発見したことで、ようやく異変に気付いた(遅いよ!)少女達は、部屋に立てこもるのだった。というのが大まかな粗筋。

本作をリアルに見たときは高校生で、池上季実子を始め出演していた美少女たちのチョイエロシーンに興奮したのを覚えているが、映画の内容は特に印象に残っていなかった。後に大学生になった頃、VHSを見直したがそこで第2次大戦で帰らぬ特攻隊員?を待つ乙女の、いじらしいまでの執着がこの惨劇を呼んだことを、初めて知ったので本当にすっかり忘れていたよ

うだ。

まず池上季実子、大場久美子、松原愛、神保美喜といった、若い女優やアイドルたちのはつらつとした演技は見どころで、今では大女優となられている皆さんの、きゃぴきゃぴした(し過ぎた)演技は、一見の価値はある。加えて、豊かな色彩描写や、あえてチープに作った背景やセットなど、それまでの映画の常識を覆した作りとなっているのも見どころだ。それに考える余地を与えないほどテンポよく物語は進むので、全く退屈しない。

その一方で、欠点もある。というか“映画”という視点で見ると欠点だらけと言って過言ではない。最大の欠点は、ホラー映画としては全然怖くない事で、スラッシャーシーンも技術の拙ささだけでなく、演出としてグロテスクさを感じないようにしてあるし、次から次へと見せ場が出現してむしろ見ていて楽しくなる。したがって、ホラー映画を期待して見ると、完全に肩透かしを食らうことになる。目まぐるしく画面が切り替わるし、ちょっとでも集中力を切らせると、何が起こったか分からなくなるので、老齢で見るにはちときつい。画面転換の多さは、当時「CFを繋ぎ合わせた様」と評されたが、まんざら間違ってもいない。

その一方で、映画館に足を運ばない事が多い、10代の少年たちに受け入れやすい土壌だったと言える。大林は「8割の観客からは罵倒された」と語っているが、これは大人の8割という事なのだろう。今回見直してみて、自分も8割の中に入っている事に驚いてしまった。認めたくないものだ。若さゆえの過ちと言うものは…。ただ、所謂“映画” として見ると欠点だらけだが、大林宣彦の原典でやりたい事をやりつくした映画として見ると面白い。その後、尾道三部作で名声を得る事になるが、本当はこんな映画をやりたかったのだと思う興味深いし、何よりおもちゃ箱ひっくり返したような楽しさに溢れた怪作。それ故、今評価するとちょっと辛口になってしまうのも致し方ないか。ヒロインが最後に大人になった様に、みんな大人になるんだから。ちょっとおかしな大人のなり方だったが。