タイトル ARGYLLE/アーガイル

公開年

2024年

監督

マシュー・ボーン

脚本

ジェイソン・フックス

主演

ブライス・ダラス・ハワード

制作国

イギリス・アメリカ

 

本作は、「キングスマン」シリーズのマシュー・ボーン監督が描く痛快スパイアクション。人気スパイ小説の作家が、ひょんなことから自分が生み出した悪のスパイ組織そっくりの組織から命を狙われるようになる様子を、コミカルかつスタイリッシュに描いた。

当初は3部作となる予定で、ゆくゆくは「キングスマン」とユニバースを構成する事になったかもしれないが、製作費2億ドルに対して現時点で9,200万ドルと爆死を遂げた事から、先行きは不透明だ。

個人的に、「キック・アス」を見て以来、マシュー・ボーンは苦手で「キングスマン・シリーズ」も未見なので「キングスマン」との関連性はさっぱり。この感想は単品の映画としての感想となるので、「キングスマン・シリーズ」のファンが見たら「何言ってんだ!こいつ」と思う部分もあると思うが、その点はご容赦いただきたい。

思わせぶりに登場するが、ほぼモブキャラ

 

映画の冒頭は、凄腕スパイのアーガイルが、敵の女スパイ・ラグランジとダンスした後で、居合わせた連中から銃を向けられる、散々予告編で流れたシーンから始まる。映画ではその後アーガイルの相棒キーラが撃たれ、ギリシャの町中をCG感満載の追いかけっこが始まる。

無論これは主人公エリーが執筆した人気スパイ小説「アーガイル」の中の出来事。第5章を書き終えたエリーは母に感想を求めるが、「あそこで終わるのは不親切だから、もう1章書きなさい」。大きなお世話だが、エリ―は書こうとするがなかなか構想がまとまらない。そこで、母に会いに出かけるが、途中の列車の中でエイダンという徴発ひげもじゃの一見むさくるしい男に「あんたのファンだ」と話しかけられるが、その直後に訳も分からない状況で刺客に襲われ、エイダンがそれらをバッタバッタとなぎ倒していく。それを見て居たエリーは、彼が自分が創作したアーガイルに見えてしまう現象が起きる。

後半のセクシー衣装よりこっちの方が断然カワイイ

 

そこでエイダンから恐るべき事実が明らかとなる。エリーが書いた小説は、実在する悪の組織の坑道を言い当てているため、彼女は狙われたのだ。自分の構想に基づきロンドンに出かけた二人は、そこでエリーはエイダンが自分を殺そうとしていると考え、両親を呼ぶ。しかしそこに現れた父親は、悪の組織のボス・リッターにそっくり。エイダンも現れエリーを交え三つ巴の状態になるが、突然両親が自分を殺そうとしたことからエリーはパニック。エイダンに救い出され、そのままフランスへと向かう。

フランスでは元CIA副長官のソロモンが待っていた。そこでエリーは衝撃的な事を知る。なんとアーガイルとは彼女自身の事だったのだ。というのが大まかな粗筋で、ここでもかなり衝撃的だが、本作はその後でさらに衝撃の展開があり、最後まで楽しめる作りになっている。

予告編から予想は付いたが、最初から最後まで適度にハラハラドキドキできて、大いに笑って楽しめる娯楽作品に仕上がっている。予告編から「ごく平凡な作家が自分が書いた小説が謎の組織の陰謀を暴いてしまい狙われるようになったのを、正義のスパイに助けられているうちに、次第に謎が明らかになる」というミステリータッチのアクション・コメディだと予想していたが、その予想は半分辺り、半分外れた。まさか、2段、3段落ちが用意されていたとは思わなかった。これは脱帽するしかない。

コメディ・タッチなので、ある意味ハッピー・エンドは約束されているので、ポップコーン片手に見るには適した映画だが、終盤明らかとなる衝撃の真相には「ええっ!」となること請け合い。主演二人がいずれも芸達者だから、最後まで安心して見ていられるが、本作も問題点は、その安心して見ていられる要素にあるといっていい。どう見ても、この二人が派手なアクションを自分でやっているとは思えない事だ。

CGがあれば何とでもなる

 

母の元に向かう列車内でのアクションは、恐らく同じテイクをサム・ロックウェルとヘンリー・カヴィルの2パターン撮った上でつなぎ合わせていると思うので、相当手間がかかっている。もっともサム・ロックウェルのパートは、別人が演じて、顔を合成している可能性が高いので、思っているほど手間はかかっていないのかもしれない。思わずのめり込む程面白いが、本作のアクションのピークはこの列車の中で、それ以降はいかにも張りぼてに思えるシーンの連続。アクションシーンはほぼCGに頼ってる感が半端ない。

本作最大の被害者。なんでもマシュー・ボーンの飼い猫だとか

 

サム・ロックウェルもだがブライス・ダラス・ハワードは、失礼ながらどう見てもご本人がアクションをやっているとはだれも思わないだろう。もう少し絞って欲しいところだが、これは多分監督の意向なのだろう。そうでなければ他の女優を選ぶはずだ。太めの女性が派手なアクションをやる事で、笑いに昇華させようとしたのだろうが、果たして今のご時世どうなんだろう。終盤の煙の中の銃撃戦や、重油の中のアイススケートアクションなど、どれだけ目を見張るアクションを見ても、「ああ、どうせCGだね」と思って興ざめするし、マーベルのスーパーヒーロー映画と代わり映えがしない。本当に最近は何でもできるから、便利な時代になったと思う反面、ちょっとやそっとでは驚かなくなった。そもそも、本作の主演がガル・ガドットだったら誰も驚かない。っていうか、何で唯一アクションが出来るソフィア・ブテラに見せ場が無いのか?この辺も意外性を狙ったのかもしれないが、良い演出とは言えない。なんやかんや言って、ジェイソン・ステイサムが重宝されるわけだ。

ただ、本作の構造である作家エリーの小説世界と現実世界。そしてその現実世界も虚と実があるというメタ構造はなんやかんや言っても面白いし、色とりどりの煙幕が交錯する中、煙がハートの形になるなどの遊び心も楽しい。ノリと勢いで突っ走っている様に見えて、ちゃんと丁寧に伏線を回収している親切設計なのも、good point。現状、かなり厳しいものの、続編があれば見たいと思う。