タイトル 大仏廻国 The Great Buddha Arrival

公開年

2018年

監督

横川寛人

脚本

横川寛人 米沢有機 米山冬馬

主演

菊沢将憲

制作国

日本

 

本作は、1934年に制作された日本最初期の特撮映画「大仏廻国・中京編」を基に、現代の視点を取り入れて取られた特撮映画。“リメイク”とされているが、「突然大仏が動き出す」という点以外、すべてを作り直しているの“リライトの方が近いだろう。

オリジナルの「大仏廻国 中京編」の1シーンと言われているが詳しい事は不明

 

オリジナルは、”日本特撮界の祖・円谷英二の師匠にあたる枝正義郎が作ったもの。当時、パイロットの夢が破れ、失意の中でおもちゃ工場で働いていた円谷だったが、自分が考案したおもちゃが大ヒットし大金が転がり込んだので、職工たちを飛鳥山での花見連れ出した際、職工たちが隣席の者たちと喧嘩を始めたのを仲裁。その隣席だったのが、天然色活動写真株式会社(天活)の枝正義郎。その事から彼に気に入られ入社することになった。枝正がいなかったら「ゴジラ」も「ウルトラマン」も誕生しなかったのかもしれない。

この、「大仏廻国・中京篇」は自主制作したもので、戦災によりフィルムが焼失し、現存しないこの作品を、枝正義郎の孫である佛原和義の承認、協力を経て自主制作作品とし本作は制作された。

製作費の捻出の為クラウド・ファンディングを募るなど、かなり難航。特にオファーしたキャストの8割が断られたというが、宝田明が出演を快諾した事から「宝田さんが出るなら」とOKした人もいたようだ。そのせいか、結構豪華なメンツが集まることになった。

なんとも豪華なカメオ出演陣の皆さん。見ているだけで楽しくなる。

 

映画の冒頭は宝田明が「大仏廻国」について語るが、ご本人は見た事が無いという。「大仏廻国」は1934年に制作なので、宝田明の生まれた年。当時は配信は勿論、円盤もVHSもなかったので、映画は映画館で見るしかなかった時代だけに、ほんの数年の差でも見逃せば再見するのは限りなく難しかった。いかに現代が恵まれた時代かということがよくわかる。その後、物語が始まるのだが、TVディレクターの村田が、かつて大仏が動いて日本中を歩いたというトンデモ話を基に、インチキ番組を作っているが、そのうち、目撃者が次々と現れなんとも奇妙な事になる。さらに、映画監督の枝正義郎は自分の体験をもとに「大仏廻国」という映画を作ったという話まで飛び出す。

調べて見ると枝正は恋人が自殺し、そのショックから立ち直れずに自分も死を選ぼうとした時、動き出した大仏に命を救われた経験があることが判明。嘘から出た真で困惑する村田だったが、仕事場で居眠りをしてたら地震で目を覚ます。だが、スマホには「大仏が歩いている」とい書き込みが!慌てて飛び出した村田は、途中で出会った大崎刑事と共に現場に駆け付けると、そこには市街地をのっしのっしと歩く大仏の姿があった。というのが大まかな粗筋。ちなみに大崎刑事を演じているのは螢雪次朗。九州弁であることなどから「平成ガメラシリーズ」の大迫警部補が元ネタであることは言うまでもない。

他の出演者で、冒頭とラストに登場しストーリー・テラー的な役割を担ったのが宝田明。言わずと知れた「ゴジラ(54年)」の主演で、特撮映画のレジェンドのお一人。おかげでかなり映画が締まって見えるようになった。他にも、久保明やウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏。また、60年代後半に主に特撮映画で外国人ヒロインを演じたペギー・ニールも出演するなど、特撮・怪獣映画ファンにはお馴染みのメンツがそろっている。

正直言って、主要キャストよりもカメオ出演の方が面白いし、確かな演技力を持っている人が多いから、ドラマパートになると急にテンションが下がるのがなんとも痛い。

それに映画としての出来はどうかと言えば、これは駄作としか言いようがないレベル。序盤と終盤では「大仏廻国」という映画について語っているのに、劇中前半は「枝正義郎は歩く大仏を見た事があり、それを映画にした」という、モキュメンタリータッチとなっているが、後半は本当に大仏が動き出すという特撮映画に変貌。それが相互に関連しあっているわけでもなく、ストーリーが掴みにくくなっている。どうせなら、かつて大仏が動いたことがあり、それを枝正が撮影したもので、「大仏廻国」はドキュメンタリーだった。という映画の謎を暴くというミステリータッチで描き、劇中の特撮シーンはすべて、オリジナルの映像を再現したという風にすれば面白くなったと思うし、本作のコンセプトでやるなら、コメディタッチにするべきだったと思うが、本作のスタッフは「特撮映画とは現代への警鐘であるべき」というこだわりを持っていたようだ。その意味では、終盤の大地震?の意味も分からない事はないが、おかげでドラマが散漫になったことは否めない。

そうしたことを含めて本作が、残念な映画であることは間違いないのだが、一部のコアな映画ファン。特に特撮映画(VFXではない)ファンにとっては、魅力的に映ると思う。私も苦笑しながら、突っ込みを入れながらの鑑賞となったが、それでも嫌いになれない事にちょっと驚いた。ただ、それは、ある種「しょうがないなあ」と思いつつも嫌いになれないという、エド・ウッドに向ける感情と似ているかもしれず、決して前向きなものではないのだろうが、うまくできていても、全く記憶に残らない映画よりも、ごく一部の人でもずっと覚えている映画の方が、映画にとっては幸せだと思う。