タイトル ザ・リング

公開年

2002年

監督

ゴア・バービンスキー

脚本

アーレン・クルーガー

主演

ナオミ・ワッツ

制作国

アメリカ

 

本作は、日本で大ヒットしたホラー映画「リング」をドリーム・ワークスがリメイクしたもの。一部設定に変更はあるものの、基本的に日本版と同じだが、今回見直してみて日本独特の宗教観が、アメリカ人には理解できないのか、宗教文化に根ざす部分が変更されている事に気が付いた(もっと早く気づけよ!)。

リメイクに当たり「ドリーム・ワークス」が、日本側に払ったのは、100万ドルとされている。無論、ちゃんと契約書を交わしての事で「リング」の製作費は約1億5,000万円と言われているので、十分なのだが、「ザ・リング」は4,800万ドルの製作費に対して全世界で2億4,900万ドル以上の興行収入を記録したので、100万ドルなどは微々たるもの。全く成功報酬契約を結んでいなかったので、日本側はほぼ利益はなかった。と言ってアメリカに騙されたわけではなく、これは明らかに日本側の手落ちだ。そこで、オリジナルのプロデューサーの1人、一瀬隆重は「呪怨」を売り込む際は、成功報酬型の契約を結び、純利益の3分の1という報酬を手にすることに成功したという。しかし、いくら大人気だったとはいえ、日本のホラー映画のリメイクに4800万ドルも出すって、ちょっと感覚がおかしくないか?大人気シリーズの「死霊館のシスター 呪いの秘密」でさえ3800万ドルだぞ?

基本的には同じなので、双方の違いなど、目についた部分を書いてみる。

 

日本版の夫・竜司は真面目で誠実な人物。早い段階でビデオが本物と見抜いて、玲子に積極的に協力するが、アメリカ版のノアは面白がるだけで本気で協力しない。もっとも呪いのビデオと言われすぐに真に受ける方がどうかしているが、ビデオが本物と分かった後も協力はするがほぼ役立たず。大半の謎は、レイチェルが解く。

日本版は、貞子は志津子と伊熊平八郎の実子で志津子の超能力を更に強化して受け継いでいたが、アメリカ版だと何処からかつれて来た“養女”となっている。その為かサマラは“悪魔の子“のように描写されている。

 

日本版では冒頭の惨劇の目撃者雅美のその後の行方は描かれず、精神病院に入院している様子が描かれるのは続編の「リング2」だが、アメリカ版だとベッカは既に作中で精神病院に入り、レイチェルと会っている。これは、本作の製作が2002年だったので、その後の設定が使えたからだろう。

日本版では貞子は念じるだけで人を殺せる能力を持っているが、自分や母親に害を与えるものが対象で、それ以外の者に害を与える事はないが、アメリカ版のサマラはいるだけで養母のアンナを衰弱させ牧場の馬を発狂させたり、その存在自体周囲に害をなす存在として描かれる。この辺りからも制作側は“悪魔の子”として描こうとしているようだ。

日本版だと志津子の超能力を自己の名声の為利用し、志津子と肉体関係を結んだばかりか、更に貞子と肉体関係まで結ぶ伊熊平八郎に該当する人物は、アメリカ版にはいない。その為に日本版で貞子を殺したのは伊熊だが、アメリカ版ではサマラの母アンナが殺している。

 

日本版だと貞子は喋らず、顔も見せない一種の超自然的な存在として描かれているが、アメリカ版だとサマラはビデオ越しだが喋るし、顔もはっきりと見せている。それだけに日本版が持つ、神聖な雰囲気よりも邪悪さが増している。

日本版は結局間違っていたが、貞子の遺体を見つけ供養すれば呪いはとけると思っていたが、アメリカ版でサマラの遺体を見つけ供養しようと考えていない。これは「遺骨を供養する」と言う習慣が、西洋には乏しいからかもしれない。

 

そしてこれが一番の違いだが、日本版だと貞子は20歳近くまで成長し東京の劇団で女優として活動していたが、アメリカ版だと子供の頃に殺されている。

一応違いを列挙してみたが、大筋では同じと言って良い。ただ、日本の観客が「ザ・リング」を見て素直に思うのは「怖くない」という事ではないだろうか。人格に深入りせず、人智を超えた超自然的な存在として描かれているから恐怖が増すが、「ザ・リング」ではすべてをすっきりと描いている。比較すると、アナログな「リング」とデジタルな「ザ・リング」と言えるか。それ故日本人が見るとあまり怖く感じないのだと思う。その一方で丁寧に作られているので、面白く見ることは出来る。

ラストで、解決策が見つかり日本版では何の躊躇もなく父親に見せようとする。まあこれはどうかと思うし、「孫の為なら老い先短い父は犠牲になってくれるだろう」という究極のエゴイズムなのだが、それはそれで日本的だと思う。実際日本では、ほぼ批判は起きなかった。ただ、アメリカ版は、ダビングはするものの誰に見せるかはスルーされていた。アメリカでも制作前に脚本を投資家に見せて意見を聞く。日本でも製作委員会として同様のシステムがあるが、アメリカではこれがかなり大きな影響を持つ。そこでここがやり玉に挙がったのかもしれない。批判を避けただけなのかもしれないが、ここが一番日米の文化の違いの様な気がする。日米の宗教文化の違いという点でも、見比べると面白い発見がまた出るかもしれない。