タイトル 大魔神

公開年

1966年

監督

安田公義

脚本

吉田哲郎

主演

高田美和

制作国

日本

 

本作は、大映が制作した日本映画の特撮時代劇。興行成績はトントン程度で、大ヒットとは言い難かったが、作品そのものは好評だったためその後、「大魔神怒る」「大魔神逆襲」の合計三作が大映京都撮影所で製作された。

本作の元ネタは「巨人ゴーレム」で、人型の巨人が暴れまわる点から着想を得たという。

大魔神の身長は、画面でのリアリズムを考え、特撮監督の黒田義之によって約4.5メートルに設定された。その為ミニチュアは巨大となったが、この絶妙にリアルな身長が映画に重厚さを与える事となった。実物大のモデルは、2体作られるとともに、着ぐるみも2体作られ、手足などの部分も必要に応じて製作された。その結果、終盤の大魔神が大館左馬之助を捕まえ連れ去るシーンの迫力に繋がった。

本作は、戦国時代の丹波の国の領主・花房忠清は領民に善政を敷いていたが、家老の大館左馬之助一派のクーデターにより殺される。かろうじて、幼い忠文・小笹兄妹の2人は忠臣・小源太により逃れる事が出来た。それから10年の月日がたち、花房の兄妹は小源太の叔母で魔神の山の魔神阿羅羯磨を鎮める巫女の信夫の下に身を寄せ、お家再興の機をうかがっていた。しかし、左馬之助はますます勢力を伸ばし、領民たちは砦の建設のために苦役を強いられる。成長した二人は城下に花房の残党が集まっている事を知り、何とか連絡を取ろうとし、小源太が向かうが捕らえられ、彼を救出しようとした忠文も、左馬之助の罠にはまる。信夫は救おうと左馬之助と直談判に向かうが、逆に殺され、こともあろうに山中にある武神像の破壊を配下に命じた。

主演の高田美和は高田浩吉の娘で、この頃大映で清純派のヒロイン役を一手に引き受けていた。「妖怪百物語」でもヒロインを演じるなど、特撮映画とも縁がある。

本作は遠近法を巧みに使い、対称の巨大さを表している

 

山に登る手勢により小笹が捕まり、その眼前で武神像の額に深々と鏨が打ち込まれると、鏨の傷から鮮血が滴り同時に起こった地割れにより、軍勢は全滅する。何とか逃れた小笹は兄と小源太を救ってほしい武神像に真摯な祈りをささげる。

その命が通じたのか、それまでの穏やかな相貌を憤怒の相に変えるや、小笹の眼前で武神像動き出したのだ。それまで埴輪だったのが、怒りの形相に代わるシーンはその後、パロディを含め幾多のバリエーションを生むことになるし、昭和の学校では必ず「大魔神!」と言って、この顔芸を実践するものが必ずいた。なお、大魔神の中の人は橋本力が演じた。大毎オリオンズの選手から俳優に転身した変わり種で、俳優として「ドラゴン 怒りの鉄拳」のブルース・リーのライバル、鈴木寛を演じた事が有名。大魔神では瞬きを禁じられた中での撮影だったが、苦労のかいがあって彼の眼力が大魔神の不気味さと神々しさを際立たせることになる。

折しも砦では、忠文と小源太の処刑が行われようとしていた。その時、妖しく曇った天空から一点の光が地上に落ち、突如それは巨大な魔神の姿となった。というのが大まかな粗筋。

本作は大魔神が出現するのはラスト20分を切ったあたりで、他の特撮映画のように、怪獣が終始大暴れするような映画ではない。しかもその暴れ方が、一転にわかに描き曇り厚い暗雲が立ち込める中、大風とともに出現するので、天変地異と同じように描かれている。そして大魔神に対して人間は無力だ。本作では鉄砲や投石機、火車ぐらいだが、続編では大砲や爆薬まで仕掛けられるが、一切効果が無い。この辺りも作り手は大魔神を「人智では如何ともしがたいもの」=「神」と捉えている事がよくわかる。

その「神」を呼び起こしたのが清らかな乙女の真摯な祈りで、そして払ったのも同じ乙女の祈りと一滴の涙だったというのも、本作の方向性を現している。

子供の頃、この真似を何度もやったな~~

 

「ぜひともリメイクして欲しい特撮映画」のアンケートを取れば、必ず上位に食い込む本作だが、これまで何度もリメイクの噂が立ち、具体的にニュースとして流れた事もあるが、いまだに実現していない。当時は日常的に時代劇映画が作られ、セットや小道具、衣装などを使い回す事が出来たが、もし今日作ればそれらを作るだけで莫大な予算がかかることがネックだろう。さらにそこまでの集客が望めるか疑問というのも大きいだろう。「シン・ゴジラ」や「ゴジラ-1.0」は大ヒットしたが、「平成ガメラ・シリーズ」はトントン程度だったし、ゴジラやガメラよりも知名度が劣る本作が、採算ラインに乗る事はかなり難しいと思われる。

以上の事からリメイクされることは今後もないと思われるが(一応ある事はあるのだが...)、それだけ本シリーズは、特撮ファンの心にいつまでの残り続けるものとなると思う。

この遠近感が絶妙