タイトル 獄門島・総集編 (1949年版)

公開年

1949年

監督

松田定次

脚本

比佐芳武

主演

片岡千恵蔵

制作国

日本

 

本作は、日本を代表する推理作家・横溝正史の代表作の1本、「獄門島」を映画化したもの。原作は、1947年1月から1948年10月まで、雑誌「宝石」に連載されたものだから、連載終了の1年後に公開されているから、相当な突貫工事だったことがうかがえる。それだけ前作の「三本指の男」が好評だったのだろう。基本的に「三本指の男」の続編で、前作だと行きがかり上金田一耕助の助手を務めた白木静子が、本作で本格的に助手として勤務し始めている。ただし演じているのは原節子から喜多川千鶴に変更。さすがに看板女優を、このポジションで使うのはもったいなかったのだろうが、その後も「悪魔の手毬唄」まで白木静子は登場するものの、本作の喜多川千鶴が「犬神家の謎 悪魔は踊る」にも登場した事を除き、毎回違う女優が演じている。

またこのシリーズは、すべて結末が原作と違うのも共通した特徴で、本作でも重大な改変が行われている。その改変部分に、GHQに気を使い反封建主義を鮮明にした部分があるのも特徴で、その意味で洋装でソフト帽をかぶり、さっそうとした片岡千恵蔵が演じる金田一耕助や、同じく洋装でスマートな白木静子像は、当然の結果なのかもしれない。

原作者の横溝はそうした改変には割とおおらかだったようで、余り苦言を呈するという事はなかったが、さすがに「悪魔の手毬唄」の改変は頭にきたらしく、公の場で触れる事はほとんどなかった。

本作は本来「獄門島」と「獄門島 解明篇」の2本に分けて作られていたが、現在ではこの総集編しかフィルムが残っていない。その為一部に繋がりが不明瞭な部分があるし、話が急展開するところもある。

スマートな金田一耕助。これが受け入れられればこのシリーズは大丈夫

 

映画は原作通りに復員船の中で、金田一耕助に看取られながら、鬼頭千万太が病死するところから始まる。千万太を演じているのが沼田曜一で、後に新東宝に移籍し天地茂や丹波哲郎らと活躍したが、新東宝倒産後は脇役が多くなった。

 

彼の訃報を伝えるべく獄門島に渡る金田一耕助。復員直後なのにスーツにソフト帽。更に黒シャツなのは笑った。船内で了然和尚と出会うが、軍に供出していた釣り鐘の件はスルーされている。したがって、二人目の雪枝の殺人に釣り鐘は登場しない。そもそも本作に俳句の見立て殺人の要素は綺麗にカットされている。

また原作だと、戦時中に他界している鬼頭嘉右衛門はまだ存命で、金田一耕助が来た日に死んだことになっている。鬼頭嘉右衛門を演じているのも片岡千恵蔵。戦前の封建制を象徴する嘉右衛門と、戦後の民主主義を象徴する金田一耕助を同じ人物が演じることで、新しい時代の到来を描いているのだろうが、それくらいこの頃の映画人にとってGHQは厄介だった。

老け役に転じてからの方がおなじみだが、若いころも面影が残る千石規子

 

それから花子、雪枝、月代の順に殺される。原作だと殺されるのは3人だけだが本作では真犯人と動機が大きく変わったことで、分鬼頭の鬼頭儀兵衛と志保も殺されてしまう。所謂、古い日本の因習を象徴する者は、軒並み殺されるという訳だ。まさに「汚物は消毒だ~~!」

なお、長女の月代を。後に名脇役として人気が出た千石規子が演じている。原作では頭はちょっとおかしいものの、3人とも美少女という設定だったが本作ではいずれも個性派の女優が演じていて、ビジュアル的にはあまり原作通りとは言えない。原作では美少女が、恐ろしくも美しい殺され方をするところが見どころだったが、本作ではそうしたビジュアル要素は徹底的に排除されている。その為か、金田一耕助が唯一プロポーズした女性として有名な鬼頭早苗を、こちらも個性派の三宅邦子が演じているのもファンには不満点かもしれない。もっともこの頃、鬼頭早苗は単なるモブキャラの1人に過ぎず、後にこれほどファンの間で人気が出るとは思わなかったから仕方ないが。

三宅邦子の鬼頭早苗も悪くないと思うが、ファンは賛否が分かれそう

 

他にも清水巡査に疑われ、金田一耕助が拘留されるところは同じだが、解放されるのは白木静子の奔走があるなど、女性の時代を象徴する改変も行われている。

あとは、➀一は復員していたが、家族との不和から家出して行方不明になっている。⓶電話の故障は海上ギャング団の仕業で、電話線の点検に行った清水巡査と銃撃戦になる。等の変更が見られる。また金田一耕助が蛇を拳銃で退治するシーンがあるが、これは言っても仕方ないだろう。

かなり早口でセリフが聞き取りにくい大友柳太朗

 

前述のとおり総集編なのでかなりはしょり気味で、繋がらないシーンも多いがまあまあ良くできていると言って良いだろう。戦前の否定とアメリカ民主主義万歳の作風は、今見ると鼻につくものの、当時は斬新だったはず。また、最初からすべて見通しているかのような片岡・金田一は原作の人間臭さはないが、それだけに名探偵に見える。何もかもお見通しなら原作よりも余計殺人事件が起きているのはどうした事なのか!と、突っ込みたくもなるが。

その一方でスマートな金田一耕助は、日本の原風景のような田舎には全くあっていないので、気にしだすとどうにもならなくなる。とはいえこのシリーズは、金田一耕助ものの、初映像化作品群となるので、ファンとしては一度は見ておいた方がいいと思う。ただ、この頃の作品にありがちだが、出演者はそろいもそろって早口なので、かなり台詞は聞き取りにくい。原作を読み、市川崑版も見たようなファンならだいたいわかるが、初めてという人はお勧めできない。再生速度が調整できるメディアだったら、心持ち遅くした方が聞き取りやすいだろう。

 

 

※今年2月25日の報道で、「片岡千恵蔵の金田一耕助シリーズ」の中で、長年行方不明で滅失したと思われていた「悪魔が来りて笛を吹く」が発見されたと報じられました。フィルムは配給会社に寄贈され、一般にも公開できるよう修復作業が検討されているということです。あと2本もどこかに眠っているのではと期待が持てますね。