タイトル ファインディング・ニモ

公開年

2003年

監督

アンドリュー・スタントン リー・アンクリッチ

脚本

アンドリュー・スタントン ボブ・ピーターソン

声優

アルバート・ブルックス

制作国

アメリカ オーストラリア フィリピン

 

本作はディズニーとピクサーの共同製作で、フル3DCGで描かれた長編アニメーション映画だ。愛する我が子を、人間にさらわれた熱帯魚の父親が繰り広げる大冒険を描き、ピクサーの長編アニメーション作品としては第5作目になる。

本作は、カクレクマノミのマーリンと妻のコーラルが、2日後に迫った子供の誕生を楽しみにしていた。ところが、突然バラクーダに襲われ、妻と卵たちは姿を消していたが、たったひとつだけ卵。という、かなり衝撃的な幕開けで始まる。

マーリンは、唯一残った子に「ニモ」と名付け育てる。しかし、そうした経験からか、かなり過干渉な父親になっていた。

なお、公式だと「ニモは6歳になった」とあったが、言うまでもないがカクレクマノミの寿命はせいぜい5~6年。長くても10年だから6歳となればもうおじいちゃんだ。

初めて学校に登校する日、ニモは遠足に出かけるが、見送りに来たマーリンはやっぱり心配して、ニモの遠足に付いてきてしまい、先生やニモと言い争いになってしまう。父の干渉にうんざりしたニモは、一人でその場を離れ人間に捕らわれてしまう。

マーリンはニモを取り戻すため、ニモを乗せた船を見たというナンヨウハギのドリーと共に船を追いかけるが、物忘れがひどく、なかなか探索は進まない。2人はサメトリオに出くわし彼らのミーティングに参加する羽目になったり、マーリンはニモをさらった人間が付けていたダ水中眼鏡を見つけるが深海に落としてしまったり、取りに行ったところを、チョウチンアンコウに襲われたり様々な苦難に出会う。しかしドリーは人間の文字が読め、「シドニー ワラビー通り42 P・シャーマン」書かれている事が判明。二人はシドニーを目指す。

一方、水槽に入れられたニモは、そこで暮らす7匹の熱帯魚たちと出会う。彼らの話によると、ここはフリップの歯科医院でフィリップの姪ダーラの誕生日に、ニモがプレゼントとして彼女の手に渡るのだという。ダーラは魚の扱いが酷く、その日のうちにプレゼントされる魚は死んでしまう。そこで彼らは水槽からの脱出を計画するが、失敗に終わった。

この時、ニモの勇気を試すため何やら怪しげな儀式をするが、アメリカ先住民の儀式をパロディにしているように見える。エンタメとしてはとやかく言うレベルじゃないが、ポリコレ的に現在ではアウトかも。

マーリンとドリーは、ムーンフィッシュの群れに、道を教えてもらい、運良くアオウミガメのクラッシュとその群れに救われた2人は彼らの甲羅の上に乗り海流に乗ってシドニーを目指すが、海流を降りた直後、そこでクジラに飲み込まれてしまう。ピノキオの再来かと思ったが、残念ながら昨今の欧米の映画で、クジラを悪く描くはずもなく、二人はクジラの潮吹きでシドニーの港に到着するのだった。

ペリカンのナイジェルの協力でフィリップの歯科医院に到着したマーリンとドリーだが、そこへ来ていたダーラから逃れるために死んだふりをしていたニモを見たマーリンは、ニモが死んでしまったと勘違いし海に戻り、ドリーと別れた一人で家へと泳ぎ始める。しかしそのころ、無事に委員を脱出したニモは、父を追いかけるのだった。というのが大まかな粗筋。

本作の特徴として全編を通して、明確なヴィランがいないことがあげられる。はっきりと描かれていないものの、妻のコーラルと大半の卵を食べたと思われるバラクーダは冒頭で姿を消しているし、ニモを捕らえるフィリップ・シャーマンに悪気はない。そうするとヴィランはダーラとなるが7歳の少女だから果たしてヴィランとまで言っていいものか。余談だが彼女がつけている歯科矯正具、最近はあまり見かけない大げさで古めかしいものだが、なんだか彼女の醜悪さを際立たせようとしているように感じた。

そして自然界のおきて。いわゆる食物連鎖というものに、目をつぶって描いている。中盤に登場するサメトリオだが、サメ族の悪いイメージをよくするため、「魚は友達、エサじゃない」をモットーに掲げてなんとヴェジタリアンを目指している。本作は自然環境をテーマにしているのに、人間の都合で勝手に生物の特徴を変えるという、本末転倒なことをやっている。クジラに対する描写など、結局自然保護を訴える人にとっての”自然”とは、人間が思い描き理想とする”自然”であって、弱肉強食の食物連鎖が支配する、本物の自然ではないのだろう。

そんな歪んだ思いを抱きもするが、映画としてみると本作の面白さは否定できない。根底に親子の絆が描かれているのもいい。ただ、本作は、自分の過干渉が原因で離れ離れとなった我が子を探す為の冒険を通して、子供に干渉して自分の保護下に置くのではなくそっと見守る勇気の大切さに気付く。そうした親の子離れを描いているところが面白い。

それとこれは本編とは関係ないが、日本語吹き替えはマーリンの木梨憲武はさすがの芸達者ぶりを発揮して、途中まで誰がやっているのか気付かないほど違和感がなかったが、ヒロインのドリーはずっと声を出すたびに、室井滋の顔が浮かんで仕方なかった。芝居もうまいし好きな女優だが、余り声優に向いていないと思う。