タイトル マダム・ウェブ

公開年

2024年

監督

S・J・クラークソン

脚本

クレア・パーカー S・J・クラークソン

主演

ダコタ・ジョンソン

制作国

アメリカ

 

本作は、マーベル・コミックスの同名のキャラクターを主人公にした、スーパー・ヒーロー映画。これまでのスーパー・ヒーロー映画はアクションが中心だが、あえてミステリーとサスペンス色を強くしたと説明しているが、それは主人公が高い身体能力を持ち、悪党をバッタバッタとなぎ倒すようなタイプではなく、主人公のマダム・ウェブの本名はカサンドラ・ウェブで、通称キャシー。重度の筋無力症と神経伝達の障害のせいで、自分の意思で身体を動かすことがほとんどできず、かつ盲目で、緩やかに衰弱死に向かっているような存在で、サポート役に徹しているからだ。

原作に登場するマダム・ウェブ

 

彼女の夫ジョナサン・ウェブは、特別な生命維持装置を作ると彼女をそこにつないで息を引き取る。その後、マダム・ウェブという名で霊媒師をしながら暮らしていたが、ある時彼女の元を訪れたピーター・ハーカーがスパイダーマンであることを見抜き、それ以来協力する様になったというもの。原作に登場時点ですでに老婆なので、本作は彼女の若い頃が描かれるのだが、本作では1973年生まれとされ、映画の舞台となった2003年は30歳ぐらい。そして現代の2024年はまだ50歳ぐらいになるので、原作に登場する老婆とは言い難い年齢。私は最近スパイダーマンはほとんど見ていないのでどうなっているのかは不明だが、ちょっと気になる部分ではある。

ダコタ・ジョンソンの美貌は見る価値がある

 

映画の冒頭でアマゾンのジャングルの中、身重のコンスタンスが新種のクモを探している様子が描かれる。遂に努力が実り雲を発見するが、同僚のエゼキエルに奪われ調査隊全員が殺されてしまう。彼女の命も狙われるが、そこにやって来たラス・アラニャスの一団がコリンタスを救うが重傷を負っていたのでカサンドラは無事誕生したものの、彼女は命を落としてしまう。と、本作は冒頭でカサンドラ誕生のいきさつは描いてしまっている。無論キャシーは知らない事だが、観客は周知のこと。これは、その後のミステリー要素を大きく損なう結果となっている。

30年後。ニュー・ヨークで救急救命士として働くキャシーは、ある時、救命活動中に生死の境をさまようことになり、その後でデジャブを繰り返し体験する。やがて彼女は自分が未来を予知している事に気が付くが、それを生かせない事にもどかしさを覚えていた。しかし、窓ガラスにあたって死ぬはずだった鳩を救った事で、彼女に「この能力を使って未来を変えられるかも」という希望が湧いてくる。この時点で観客はこのキャシーはコンスタンスが、自分の命と引き換えに産んだ娘であることははっきりしている。それだけに彼女が母が臨月なのにアマゾンに出かけ命を落としたことを恨んでいても「なんだかな~」と思ってしまう。

ある時地下鉄に乗っていると、スパイダーマン・モドキの異形の男が3人の少女を襲い掛かり殺すことを予知する。車内にいた3人の少女に警告するが、そこにブラック・スパイダーマンが出現し、襲い掛かってきた。予知していた強みを生かし3人を助け出すと、彼女はタクシーを失敬して、郊外の森の中に身をひそめる。この際何かあったわけでもないのに、何故か地下鉄に警官が大勢いるが、無論単なるやられ役でしかない。しかもブラック・スパイダーマンを警官や乗客も目撃しているはずなのに、何故かキャシーが「少女誘拐犯」にされてしまう。ただ、この設定はその後彼女が追われているような展開もなく、ペルーまで無事に出国できるなど、いつの間にか雲散霧消してしまう。ここでタクシーを失敬するが、これ以外にも彼女は少女たちを救うためとはいえ、コナン君並みにありとあらゆる違法行為に手を染めるし、そればかりか通行人が巻き添えになって命を落とすような状況を作り出すことも平気でやる。

至近距離で見ながらカサンドラを犯人と思い込むポンコツ警察

 

少女達から、ブラック・スパイダーマンの動きが蜘蛛に似ていると指摘されたキャシーは、母親が残した研究ノートにヒントがある事に気が付き、「絶対この場を離れるなよ」とフラグまんまの言葉を残し自分のアパートに向かう。無論これは「行け!」というのと同義語なので、3人は近くのダイナーに腹ごしらえに向かう。ほんの少しばかり前に命の危険にさらされたのに、ノー天気にもダイナーにいた若い男の前で、ノリノリのダンスをする始末。とはいえ、この状況を作ったキャシーも大概で、それなら3人とも連れて行けばよかった。そもそも、「動きが蜘蛛に似ている」だけで、そこまで飛躍するか?ゴキブリかもしれんやないか?

突然フォースが使えるようになるキャシー

 

ここでも予知能力が役に立ち、ブラック・スパイダーマンはタクシーでダイナーに突っ込んだカサンドラに跳ね飛ばされる。私なら横たわるブラック・スパイダーマンをダイナーにある包丁でめった刺しにするが、キャシーは3人を助けることを優先しその場を後にする。他の映画だったら、ブラック・スパイダーマンが後を追いかけて、激しいカーチェイスとなるところだが、本作のブラック・スパイダーマンは、人間離れした動きはするものの、たいして強くなく本人もよろよろしながらこの場を後にする始末。後、掴んだ相手に毒が回せるという役に立つのかどうか微妙な技があるぐらいだ。こいつはキャシーの母親を殺した張本人だから、彼女の身内の復讐に怯えるのなら分かるが、どういう訳か夢で見た3人の少女の方に怯えている。ビンボーのどん底から大金持ちになった理由も、スパイダーマンじみた驚異的身体能力の理由もスルーされている。どっちも奪った蜘蛛が関係しているのだろうが、全く説明されていない。それに部下の女性は、一人で顔認証システムから3人を監視しているが、2003年ならまだAIはなかっただろうから一人でやっているとしか思えないが、相当ブラックな環境だ。だいたい自分で乗り出すよりも、殺し屋を雇った方が良くないか?金持ってるんだろう?

金持ちのくせに部下は女性ハッカー一人だけってどうなの?

 

母の調べていたものが、どうやら謎を解くカギらしいことに気が付いたキャシーは、救命し仲間のベンに3人を託し、アマゾンへ向かうのだった。というのが大まかな粗筋だが、身重の婦人がいる家に3人を託すのはどうかと思うし、セスナ機をチャーターしたり、えらく金持ちだなと思ってしまう。ひょっとしたら大富豪の両親がいるマティーが出してくれたのかもしれないが、この辺は言及されていない。3人とも狙われているんだから連れて行った方が安全じゃないだろうか。一応生まれた赤ん坊がピーター・パーカーらしいので、それを入れたかっただけなのだろうけど。

3人を助ける為なら、何人死のうとお構いなし

 

私はDCもマーベルも全く詳しくなく、映画もシリーズを見ていても急に他の作品から別のキャラが現れたりするので、すっかり離れてしまい、最近は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」位しか見ていなかったが、そうした一見さんでも本作は大丈夫だ。ただ、逆に原作に非常に思い入れのある人は、全く向かない映画だと思うし、それ以前に本作は他に重大な問題がある。

脚本は最近のハリウッドクオリティで、安定の雑さ。演出もかなり大雑把だし、キャラ設定もおざなり。一応原作があるのにこの雑さは何なのだろう。脚本が原作の良さをうまくくみ取られていないのだろう。3人の少女たちは後にスパイダーウーマンとなるが、本作ではまだ能力の覚醒前で至ってごく普通の少女。終盤になって能力に開花して、悪党をやっつけるようなこともない。

身体能力は高いが、それだけのヴィラン

 

お助けキャラが主人公なので、アクションは控えめだし、ミステリー要素も冒頭で盛大にネタバレしているのでこっちもダメ。大人美人とかわいこちゃんが、見どころという、とてもスーパー・ヒーロー映画のファンの期待するものとは真逆だ。その大人美人も、少女たちとたいして精神年齢が変わらないというのもどうかと思う。その意味で確かに本作は、駄作と言っていいと思うが、だからと言ってつまらないというわけでもなく、「出来の悪い子ほどかわいい」といった、妙に惹かれる部分もある。

スポンサーの関係でやたらと要所に登場するペプシコーラ。最終決戦も大活躍?

 

ノリと勢いで突っ走って観客を煙に巻くような映画が好きな人には、結構面白く感じると思う。実を言うと私も、苦笑しながらも最後まで結構楽しめた。ただそのノリと勢いを取ったら何も残らないので、楽しめはしたが面白くは感じなかった。それに本作をあくまで、登場人物の紹介として割り切ってみると、そこまで酷くないのかもしれない。全く同じ内容でも、3人娘がスパイダー・ウーマンとして活躍する映画が3本ぐらい続いた後で、スピンオフとして作られたのなら、かなりい面白く感じたかもしれない。それだけに3人がスパイダー・ウーマンとして活躍する映画を見たい気もするが、ただ、興行成績を見ると、次回作はなさそうだ。