タイトル ボーはおそれている

公開年

2023年

監督

アリ・アスター

脚本

アリ・アスター

主演

ホアキン・フェニックス

制作国

アメリカ

 

本作は、鬼才アリ・アスター監督と名優ホアキン・フェニックスがタッグを組み、怪死した母のもとへ帰省しようとした男がたどる奇想天外な旅を描いたスリラー映画だ。監督は「これはコメディだ」と言っているが、雰囲気でも怖がらせる事が出来るホラーと違い、コメディには緻密な構成が必要。その為、、もとより説明しないアリ・アスターにコメディが作れるのかと思っていた。

案の定というか、米では2023年の4月に公開されたが、製作費3500万ドルに対して、興行収入は1150万ドルと盛大な爆死を遂げた。辛口映画評サイト「Rotten Tomatoes」だと批評家67%。一般71%とそこまで悪くないが、この興行成績を見ると熱心なアリ・アスターのファンしか見に行っていないようなので、割り引いてみるべきだろう。

原題は「Beau Is Afraid」で直訳すると「ボーは怖い」となるが、むしろ一番怖いのはこんな映画を撮ったアリ・アリスターではないだろうか。

本作は大きく分けると4部作で構成されている。

第1部は都会の犯罪多発地帯に住む、ボーのデンジャラスな日常。街頭に死体が転がっていても平常運転で、警官は全裸でナイフを振りかざすおっさんにノープロブレム。ただ、ボーの住むアパートは鍵がかかっていれば暴漢たちは入って来ない。いや、ガラスのドアなんだから割れば入れるだろう。

ボーは定期的に、セラピストからカウンセリングを受けていたが、内容はほぼ母親から受けた仕打ちに関して。ボーの母モナは一代で大企業を築いた女傑で、彼は極端なマザコン。母に甘える一方で酷く怖れている。父の命日にボーは母の元を訪れようとするが、目を離した隙に鍵が盗まれてしまう。容体が悪化したので新しい薬を飲んだ後で「必ず水と飲むように」と言われた事を想いだしたが、室内に水はなく、水道は工事中で出ない。仕方なく向かいのコンビニに行くが、鍵が無くドアに電話帳をはさんで開けたままにしたので、表の暴漢があらかたボーの部屋に雪崩れ込み暴れ放題。翌日誰もいなくなったところで、部屋に戻り、風呂に入ろうとすると風呂場の天井におっさんが張り付いていた。おっさんはそのまま落下し、浴槽でおっさんと全裸のボーが大乱闘。全裸で飛び出したボーはフードトラックに轢かれた上に、表の全裸のおっさんに刺され瀕死の状態になる。

第2部はボーを轢いたグレースとロジャーの夫婦の家での療養生活。この家には他に娘のトニーと情緒不安定な退役軍人のジーヴスが住んでいる。息子は戦死していてジーヴスは彼の戦友だった。ただでさえ難しい年ごろのトニーは、自分の部屋がボーに宛がわれたことからご機嫌斜め。それなら息子の空き部屋にはいればいいと思うが、この夫婦は息子の部屋に誰かが入る事さえ拒絶している様子。ある意味心を病んでいる様に見えるが?

ロジャーは有名な外科医で、その為この家には一通りの医療器具がある。それにしても多すぎるし、自分を轢いた相手が医者で入院しなくても治療の設備がある様な偶然なんて、限りなく0のはずだが、別の意思が働いているのかもしれない。と、この辺りで思い出した。

やや異様だがグレースとロジャーはいい人でボーは親切にされるが、トニーはボーを毛嫌いするばかりか、かなり猟奇的な挙動に出て、ここでもボーは酷い目に合う。更にトニーはボーにペンキを飲んでの無理心中を持ち掛ける。尻込みするボー(普通は「はいそうですか」とペンキを飲んだりしないだろう)をよそにトニーは勢いよく飲み卒倒。そこにやって来たグレースはボーがやったと勘違いして、息子のサーベルを取り出して切りつける。ここでもボーは這う這うの体で逃げ出すのだった。

第3部はロジャー邸を逃げ出したボーが、旅芸人の一座にたどり着きそこで舞台を見るシーンが中心。見ているうちに主人公がボーに代わり、更に彼の生涯らしき演目に変化する。無論これはボーの幻覚でちょっと不気味なアニメーションが挿入されている。このアニメーションを担当したのがストップモーションアニメ「オオカミの家」の監督クリストバル・レオン監督。そういえば「オオカミの家」はアリ・アスターが大絶賛していたな。

なんともシュールでイミフな寸劇が長々と続いた後で、突然ジーヴスが乱入し、劇団員たちを血祭りにあげ始める。ここでもボーは命からがら逃げだす羽目となる。

第4部はボーが、ようやく母の家にたどり着く。すでに葬式は終わっていて、後片付けがなされている。棺には頭のない遺体が横たわるが、こうした場合蠟等で無理やりにでもでっちあげるはずだが、ここでは頭のないままなのがなんともシュール。そこにやってきた女性は、かつてボーが母と船旅をした時であった、初恋の人エイレンであることを知り、そこで二人は結ばれる。母から父親は自分を仕込んだ直後に腹上死したと聞いていたボーは怖がるが、無事に行為に及ぶことに成功。しかし、その直後にエイレンが死んだ上に死後硬直を起こしてしまう。そこにボーの母親が現れるのだった。というのが大まかな粗筋。

「え!アリ・アスターでまさかのハッピー・エンド」と思った直後に...

 

以前述べたとおり私は考察する映画が苦手で、本作もあまり詳しく考察したくないので、最低限にとどめる。それぞれのシーンの意味を知りたい方は、他のサイトを見てほしい。ただ、その考察が正しい保証はないし、そもそも本作に関してはあまり深く考えていないような気がする。それと多少のネタバレは避けられないので、未見の人はブラウザバックして欲しい。

若き日のボーを演じたアルメン・ナハペティアン

若い頃のホアキン・フェニックス。眼の辺りとかよく似ている

 

基本的に本作の見どころは、ホアキン・フェニックスが酷い目にあうこと。車で6時間程度の場所を移動する間、これでもかとばかりに艱難辛苦が降りかかってくる様子は、人の不幸は蜜の味のごとくある意味滑稽である。それも本作でボーは一見善良そうに見えるものの、あまり感情移入しやすく描かれておらず、割と冷めて見る事が出来る。

ボーは極度の不安症を患い、発達障害の可能性もあると思う。そう思うとボーの住む町のリオデジャネイロもかくやとばかりのカオスな様子は、すべて、不安症の人にはこう見えるという可視化表現という解釈もできるし、ロジャー邸や森の劇団もそうした解釈だと思っていたが、それは終盤ボーの母親の出現でひっくり返る。多分結構な人は、ボーの母親は生きているんじゃないかと予想していたと思うので、そのこと自体あまり驚きはないだろうが、その後、ジム・キャリーが主演する有名映画的な展開が待っているので、ちょっと驚かされた。もっとも日本版の予告編には、それを匂わせるカットが挿入されていたから、割と気付きやすいかもしれない。これらボーが受ける仕打ちにの大半は、モナの仕込みだったようだ。第2部でボーがグレースに言われた通りテレビを見ると、自分が監視されているらしい様子が分かり、その直後にトニーが自殺を図るのも、無関係ではないだろう。

最近家父長制非難のあまり、これまで女性が酷い目にあって来たんだ、的な映画が多いが、本作は逆で男性、しかもさえない中年の親父がこれでもかと酷い目にあい、かつそれを仕組んだのは女(母親)というのが妙に世相に喧嘩売ってる感がある。終盤登場したボーの父親の様子なんて、明らかにフェミが妄想する“男”のメタファーですらある。しかし本作は社会派的な映画なのかと言えば、そうした印象は持てなかった。ここまで悪趣味な展開だと、アリ・アスターはとにかくボーを酷い目に合わせたくて本作を撮ったのではと思ってしまうほど。それに、この監督は家族や集団の絆というものを嫌悪しているところがあるので、マザコン男をこう描くのも当然なのかもしれない。

「毒親」と評されるが、一番かわいそうな人なのかも?まあ、毒親だけどね

 

ドリフの寸劇を思わせるほど、マヌケなシーンの連続なのだが、ドリフと違ってこっちはあまり笑えない。ある意味3時間も笑えないコントを見せられているようでもあるのだが、それでも、どこか引き付けられる要素があるのも、この監督の嫌なところ。いっそ、箸にも棒にもかからないような駄作を作って、きっぱり後腐れなく見切りを付けられた方がいいのだが。

幼少期から母にがんじがらめに縛られているボー。でもなぜか同情し辛い