タイトル 空の大怪獣Q 

公開年

1982年

監督

ラリー・コーエン

脚本

ラリー・コーエン

主演

マイケル・モリアーティ

制作国

アメリカ

 

本作は1982年にアメリカで制作された怪獣映画。モンスター映画ではなく怪獣映画というところがミソで、Qとは古代アンデスで信仰されていた羽をもった蛇神で「ケツァルコアトル」と呼ばれている。Qとはケツァルコアトルの頭文字を取ったものだ。

ケツァルコアトルはストップモーションアニメで表現されているが、そのせいが登場場面は少なく、ラスト近くまで、あまり姿を現さない。製作費110万ドルに対して興行収益が25万ドルとお世辞にも成功したとは言い難いが、一部に熱狂的なファンがいて今でもカルト的な人気を得ている作品。

これはかなり初期段階に書いていたもので、長らくなかなか掲載の機会が無かったのが、思い立って若干修正して乗せたもの。ある意味在庫一掃セール。

こうしたサービスを欠かさないのが80年代の映画

 

映画の冒頭、マンハッタンでビルの窓掃除をしていた男が、何者かによって首を斬り飛ばされる事件が発生する。それを皮切りに、トップレスで日光浴をしていた女性が姿を消し、空から文字通りの血の雨が降る事件まで。その一方で、ホテルの一室で全身の皮をはがされた惨殺死体が発見される。ちなみに冒頭で窓ふき掃除をしていた男は、本物の清掃員が特別出演したもの。なかなか経費節約に努めている。

ニューヨーク市警の刑事であるシェパードは、古代アステカで信仰されていた「ケツァルコアトル」と呼ばれる翼をもった蛇の存在を知り、ホテルでの殺人事件は何者かが行った儀式ではないかと推測する。

その頃、ムショ帰りのジミーは特技のピアノを生かして仕事を探すが、断られてしまう。そこで窃盗団から車の運転を持ち掛けられ、仕方なく承諾。仲間は、宝石店を襲撃するが事故により宝石を失いクライスラービルの天辺に逃げ込んでしまった。その中で彼は巨大な鳥の巣と卵、そして女性の白骨死体を発見する。慌てて家に逃げ帰ったジミーを窃盗団の仲間が押し掛け、宝石を渡すように要求されるが、さっきの巣に案内して窃盗団を始末するのだった。

ジミーを演じるマイケル・モリアーティはテレビシリーズ「ホロコースト 戦争と家族」等で知られるベテラン俳優。確かな演技力を持っているだけに、映画が引き締まって見えるのが不思議。なお、冒頭のピアノを演奏するシーンは、本来脚本にはなく、マイケル・モリアーティがピアノを弾けることから付け加えられたアドリブ。おかげで悪事に手を染める程彼が追い込まれる様子がよくわかることになった。

俳優の演技で引っ張る怪獣映画も珍しい

 

その後窃盗容疑で逮捕されたジミーだったが、「怪獣の巣の場所を知っている。知りたければ100万ドルを払え」と要求する。

一方シェパードは、心臓を抉られた死体を発見したことで、怪獣と関連付けアステカにおける呪術でケツァルコアトルが蘇ったと推理するが、警察では無視されてしまう。

一方、怪獣の巣へ潜入したジミーと警官隊は孵化したばかりの雛を射殺するが親鳥を取り逃がしてしまう。これに怒った怪獣ケツァルコアトルは巣のある場所に戻る。そこには武装した警官隊が待ち構えていた。というのが大まかな粗筋。

あまり出番が無いが、なかなかよくできている

 

一応怪獣映画と紹介したが、本作は怪獣の出番が極端に少なく、ただニューヨークの空を飛び回り、屋上にいる人間を引っさらうだけ。口から火を吐くことも、地上に降りでビルを破壊することもない。結構しょぼいのだが、本作が今日までもカルト的な人気を得ているのは、中盤の濃厚なドラマパート。こうしたジャンル系映画でドラマパートは余計なのだが、本作だとマイケル・モリアーティやシェパード刑事 を演じたデビッド・キャラダインの演技力もあって、見ごたえのあるものになっている。特に、ジミーの小心者なのに大きな秘密を握ると、とたん態度がでかくなり大言壮語を吐くが、結局は悪党になり切れない善良さを持っているというキャラクターが、本作を引っ張る結果となっている。

もう一つの見どころはクライマックスのQを相手にした銃撃戦。ここまでの抑えた作風を一変させるほど、壮絶な銃撃戦でここにしてようやく怪獣映画らしくな。ここで、観客はストレスを抱え込むことなく家路につくことができると言うもの。ラストでジミーとシェパードのやり取りも、微笑ましくて映画を閉めるのにいいアクセントになっている。とはいえ、本作のアステカの呪術の件は、あまり必要ない。ここはカットして、ケツァルコアトルの生態などを解明しつつ、それに合わせてジミーの件を描けば、もっと面白くなっていたはず。