タイトル 青い体験

公開年

1973年

監督

サルヴァトーレ・サンペリ

脚本

オッタビオ・ジェンマ サルヴァトーレ・サンペリ アレッサンドロ・パレンゾ

主演

ラウラ・アントネッリ

制作国

イタリア

 

本作は、1970年代から1980年代にかけてイタリアで爆発的に流行したお色気コメディ女っ気のない家庭にやって来た若くて美しいお手伝いさんをめぐって、父親と次男が争奪戦を始めるという、いわゆる初体験をテーマにしたエロティック・コメディ。「筆おろし」と呼ばれるジャンルの代表的作品である。似たような作品として「青い経験」があるが、全くの別物である。

原題の「Maligia(悪意)」からわかるように、性に対する少年の暴走を描いたもので、コメディ色はそれ程強くなく後半はニーノが悪役的なポジションについている。

1973年度のイタリアで最も観客動員の多い映画となり、世界中で大ヒットした。日本でもこのジャンルの映画としては珍しく劇場公開され、その後幾度となく地上波のテレビで放送された。

葬儀から帰ったら、こんな美女がお出迎え

 

シシリー島に住む生地商人で3人兄弟の父であるイグナツィオ・ブロカの妻の葬式の場面から始まる本作。いかにもイタリアンで騒々しいなかで葬儀は執り行われる。イグナツィオがステレオタイプのシチリア人として描写されているのが面白い。大騒ぎの葬式が終わり一家が家に帰ると、何故か一人の美女が出迎えてくれた。かいがいしく一家の面倒を見る彼女に戸惑う一同だが、死んだ妻が3日前に雇った家政婦で、名前はアンジェラ。たまたま今日が初出勤日だったとのこと。浮気者が多いシチリアで、こんな美女を自分が老い先短いのに雇うとは、奥さんも肝が据わっている。劇中で明確の描かれていないが、30代前半という設定だろう。家事の手際よさから恐らくバツイチ。妻が病気で余命いくばくも無い裕福な一家の家政婦という事で、多少の下心があったものと考えるのは自然。しかもアンジェラは家事をきっちりこなし、幼い息子の面倒もかいがいしく見てこの辺りは完璧。

優しく美人で家事も完璧。これに男やもめが惚れないはずはない

 

あっという間に、男やもめとなったイグナツィオを虜にしたところまで計算どおりだったかもしれないが、何と長男と次男まで虜になってしまった。三男はまだ幼いので「綺麗なお姉さんが出来た」程度しか思っていない様子。長男のアントニオは既に経験済みで、多少の分別もある様子だが次男のニーノは直球どストレート。事もあろうか、父とアンジェラの結婚を阻止しようと、あの手この手で画策する。ただアンジェラはこれを、実母が恋しい思春期の少年が、後妻に居座ろうとする自分を追い出そうとしていると誤解。その事から図らずもアンジェラと冷戦状態となるニーノ。いるねえ。好きな女の子に意地悪して、かえって嫌われる奴。

後半はニーノが完全に悪役

 

しかしニーノの場合は次第に暴走し、神父との会食の席で太ももを愛撫した挙句、パンツを脱がせる。怒ったアンジェラは「私の裸が見たいの?」と言われ、ついに念願をかなえるがそこはガキンチョ。一人で見る意気地はなく、友達に来てもらうがその事からニーノが意気地なしで、自分を狙っていると見破られる。しかもパンツを脱ごうとした時、友達を追い出すなど心情は複雑。遂にイグナツィオはアンジェラに求婚するが、母が許してくれない。いい年こいて、結婚に母の許しがいるのかと呆れるが、ママっ子なのはシチリア人気質なのでむしろ当然と言える。そこで母の許しを得ようと、神父さんを伴い実家に向かうい、アントニオも出かけ、幼いエンツィーノはオネムの時間。その夜事実上二人っきりとなった家を停電が襲うのだった。というのが大まかな粗筋。

何故かモテるニーノ。親友のお姉さんも何かとちょっかい出してくる

 

本作の成功を受けて、同類の映画か多数制作されたが、その中でも本作の人気はいまだに高い。その理由として、監督を務めたサルヴァトーレ・サンペリの巧みな人物描写がある。同時期の「エマニエル夫人」と比較されることもあるが、ソフトポルノである「エマニエル夫人」と違い、本作はエロティックなコメディ。ほぼ全編でシルヴィア・クリステルをはじめ、多くの女優たちのヌードやエッチが満載の「エマニエル夫人」と異なり、本作でラウラ・アントネッリのヌードは2シーンしかないし、クライマックスでは、ラウラのヌードが懐中電灯越しにちら見する等、はっきりと見えないようになっているし、ラストも観客の想像に任せる描写だ。この辺りの演出は見事としか言いようがない。ちなみに撮影は、のちに「地獄の黙示録」「レッズ」「ラストエンペラー」でアカデミー撮影賞を3度受賞したヴィットリオ・ストラーロだ。

しかし、最大の要因は主演のラウラ・アントネッリの魅力であることは異論ないだろう。美形で可愛らしさもあり、かつどこか影のある面差しと、細身なのにグラマラスな肢体は、当時多くの男性を魅了した。当時32歳で女優としては遅咲きだったが、下積みが長かったため確かな演技力を磨く事が出来た。その為、ルキノ・ヴィスコンティの「イノセント」に抜擢されることになる。

なお、彼女はイタリア国籍だが、生まれたのは当時はイタリア領だったクロアチアのプーラ。両親は当時のユーゴスラビアからイタリアの難民キャンプに逃れ、最終的にナポリに定住したもので、その点では今人気の東欧美女となる。

もう一人は次男のニーノを演じたアレッサンドロ・モモ。本作での幼さと怖さを併せ持つ演技は高く評価され、本格的に売り出そうとした矢先に自分が運転していたオートバイと自動車の衝突事故に遭い、17歳という若さで急死することになる。成長していたら、イタリアを代表する性格俳優へ成長していた事だろう。

今見ると、多少のもっさり感はあるが、思春期を迎えた少年の妄想の暴走とも、手練手管の家政婦が、家族を手名付けてしっかりと幸せを手にする物語とも解釈できる。なんにせよ、映画史に残る名作であることは間違いないと思う。