タイトル 殴り込み艦隊

公開年

1960年

監督

島津昇一

脚本

北村勉

主演

高倉健

制作国

日本

 

萱沼洋の原作「駆逐艦黒雲一家」を、北村勉が脚色し、「男の挑戦(1960)」の島津昇一が監督した、駆逐艦を舞台にした戦争映画。「黒雲」という名前でピンと来た人もいるだろうが、石原裕次郎主演の「零戦黒雲一家」の原作も萱沼洋だ。

ロケは、さすがに旧日本海軍の駆逐艦はこの頃はもう影も形もなかったので、アメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦で自衛隊に貸与されたばかりの護衛艦「ありあけ」か「ゆうぐれ」のどちらかが使われたという。色々調べたものの、どちらかは特定できなかった。日本に引き渡したのちに改造され、20㎜単装機関砲は撤去されたことになっているが、本作ではまだ設置されていて特徴的なドラム型弾倉を装填するシーンがある。とすると撮影時期は、米海軍から海自に引き渡されモスボール解撤工事に入るまでの間という事になる。ちなみにミニチュアも作られているが、ちゃんとフレッチャー級で作られている。その為アベンジャー雷撃機がフレッチャー級駆逐艦を襲うという、ちょっとおもしろい絵面になっている。

フレッチャー級の主砲Mk 12 5インチ砲

海自編入時には取り外されたはずのエリコンFF 20 mm 機関砲

 

映画は、戦艦大和から駆逐艦黒雲に、若き健さん演じる石山中尉が、転属してくるところから始まる。本人は「前線を志願してきた」というものの、誰がどう見ても左遷。それも無茶ぶりをする上官に反抗しての左遷という。本人は着任早々「本艦の規律は乱れています」というが、どの口で言うか。とはいえ、この駆逐艦黒雲は艦長以下、良く言えば豪傑。悪く言えば野放図な連中ばかりで、水兵達の喧嘩は日常茶飯事。それを抑えるのが先任伍長の役割だが、これを演じるのが山本麟一。強面の硬骨漢だが、人情に厚い好漢を好演している。その際、士官たちも特に窘めもせずに、略装の防暑衣でのんびり寛いでいる始末。幻滅を感じる石山だったが、敵機襲来で空襲警報が鳴ると、それまでの堕落した様子が一変し、きびきびした動きで戦闘配置につき、敵機を迎え撃つ。要するに「やる時やればいいよ」というのが、この黒雲のモットーだ。これを見て、「宇宙海賊キャプテンハーロック」のアルカディア号を想い浮かべた人もいるかもしれない。本作を松本零士先生が見たのかは不明だが、ひょっとしたら参考にしたのかもしれない。

その後幾多の戦歴を重ね、黒雲にも慣れた石山だったが、寺田機関長の転出を機に機関長に就任。大尉に昇進する。ラバウルに立ち寄った石山は、宇田参謀に言いよられている女性を助けるが、彼女は昔なじみの芸者紫香だった。この宇田参謀は終盤にも登場して、またも建さんに嫌がらせをする。もっともそのまま営倉に入っていれば、大和の沖縄特攻に参加せずに済んだのだが。

戦局は悪化の一途をたどり、ついに沖縄に米軍が襲来。黒雲は、大和の護衛に就くことになる。というのが大まかな粗筋。

東映の戦争映画の秀作。艦内に悪人はおらず、みんないい奴ばかりでそれが映画全編を通して明るくバンカラな気風に溢れている。しかし船を一歩降りると、無茶な命令を押し付けてくる連合艦隊司令部や、石山に嫌がらせばかりする宇田の様な悪党に溢れている。この辺りの双方の比較描写は見事だ。ラストは死線を潜り抜けた黒雲に、更に無茶な命令を出す連合艦隊司令部。しかし、黒雲に悲壮感はない。最後まで明るく強く自分に課せられた運命に立ち向かうその姿は、悲壮感溢れる作品が多い東宝の戦争映画とは異なる味わいがある。

本作における監督の島津昇一の演出は見事としか言いようがない。田崎潤や安倍徹と言った名優たちと若くさっそうとした建さん。そして、愛すべきむくつけきヤロー共との相性がばっちりで、職人監督としての手腕を見ると、この後名を成して当然と思われるが、1959年から1962年まで10本程度の映画でメガホンを取っているが、「月光仮面」等や「警視庁物語」等小作が多くその後はテレビに転身しているので、成功したとは言い難いのが不思議。なんでも戦前の名監督・島津保次郎の息子という事で、さすがは血は争えぬといったところだが、これだけと言うのが解せない。ただ、助監督に深作欣二の名前があるので、この辺りが真相ではないかという気がする。