タイトル ミラベルと魔法だらけの家

公開年

2021年

監督

ジャレド・ブッシュ バイロン・ハワード

脚本

チャリーズ・カストロ・スミス ジャレド・ブッシュ

声優

ステファニー・ベアトリス

制作国

アメリカ

 

劇場公開時に主人公のキャラが、どうしても馴染めずにスルーした映画。眼鏡のブスキャラなんて時代錯誤だろう、と思った次第だが、実際に見ると、愛らしくて表情豊かだから、見ない事には分からないと実感させられたが、同時にキャラ設定の重要性も認識させられた。

本作は、ディズニー・アニメーション・スタジオによる60作目となる長編アニメーションで、南米コロンビアを舞台に、魔法にあふれた家に暮らす少女ミラベルの活躍を描いたミュージカルファンタジー。本作には特に原作や元となった伝説もなく、2017年公開の「モアナと伝説の海」以来4年振りの新作オリジナル・ミュージカル映画となった。

映画はエンカントと呼ばれる、外界から完全に途絶した町に住む、幼い頃のミラベルに祖母が、マドリガル家の物語を語り聞かせるところから始まる。マドリガル家はカシータと呼ばれる魔法の力を宿し、意思を持った家に住んでいて、子供たちは5歳になると魔法のギフトを授かるのだ。ブルーノは「未来を見る魔法」、ミラベルの母フリエッタは「食事で人を癒す魔法」、ペパは「感情で天気を操る魔法」を手に入れ、その子供たちもイサベラは「花を咲かせる魔法」、ルイーサは「怪力の魔法」ドロレスは「聴力の魔法」、カミロは「変身の魔法」を授かっていた。中には実用性に乏しい魔法があるのが面白い。

時は流れミラベルは15歳になったが、彼女だけは魔法を授かっていない。しかし彼女は元気いっぱい。明るく人懐っこい彼女は町の住民からも人気があるが、魔法を授かっていない事に引け目を感じていた。おりしも、ミラベルの従兄妹アントニオの5歳の誕生日が近づいていた。

マドリガル家の説明をするのに、ミラベルが元気いっぱいに歌い踊るのが「ふしぎなマドリガル家」。この曲が素晴らしい。

 

「ふしぎなマドリガル家」の唄

 

 

 

このマドリガル家は祖母のアルマが、家長としてすべてを采配している、いわば家母長制一家。余談だが、家父長制は批判の的になるのに、家母長制は批判されないのは何故だろう

アントニオは無事動物と話せる能力を得るが、ミラベルは一抹の寂しさを覚えている。マドリガル家で婿養子を除いて、魔法が使えないのは二人だけだったが、これで一人ぼっちになるのだ。しかし、その夜彼女は家にひびが入り魔法の力の源流と言って良い蝋燭が消えそうになる幻覚を見るが、家族の誰も相手にしてくれない。この辺り、一人だけ魔法が使えないミラベルへ、家族からは多少は偏見をもたれている様子が見て取れる。特に祖母のアルマはミラベルに厳しいが、後にその理由は別にある事がわかる。

翌日気になって調べてみると、ルイーサは怪力が衰え始めている自覚があると打ち明ける。ミラベルは、異変を予言していたブルーノの部屋で緑に輝く欠片を発見。集めるとミラベルの顔が映し出された。ミラベルは自分に原因があるのではないかと考えたが、失踪したはずの叔父のブルーノが家に隠れ住んでいることを発見する。彼は、未来を見る魔法でロウソクの火が消え、カシータが崩れ去るのとともに、ミラベルのビジョンも見たブルーノは、自分が元凶となって姿を隠したのだ。

ミラベルの頼みで再び未来を見たブルーノはミラベルとイサベラがハグをしている光景を見る。仲が悪いイザベルが相手だけに気乗りしなかったが、勇気を奮いミラベルは、イサベラの元に向かった。案の定喧嘩となるが、イサベラが祖母アルマからの期待に応えるため優等生を演じていたことを告白。彼女は自由で町の人からも愛されているミラベルを羨ましかったのだ。和解を果たしたミラベルとイサベラはハグを交わした。ようやくカシータの崩落は収まり、蠟燭の明かりも再び輝きだしたが、そこに現れたアルマがミラベルを激しく叱責したことから、ついにカシータは崩壊する。

ミラベルは、崩落の原因は自分だと思い、その場を飛び出すと川のほとりで涙にくれていた。そこにアルマが現れ、この川こそがかつて自分が魔法の奇跡を授かった場所であることを打ち明ける。故郷を追われ、夫を失ったアルマは魔法の奇跡を失いたくないがためにみんなに完璧を求めた事を後悔し、全ては自分の責任だと認めた。果たしてマドリガル家とカシータはどうなるのか。というのが大まかな粗筋。

家族を描いた物語というのは一目瞭然だが、一族の長として祖母が君臨している。公式には記載されていないが、本作のヴィランは祖母アルマであることは明らか。ただ、彼女は自覚無き悪役であり、周囲からも悪人とは思われていないが、結果として彼女の恐れが家族に無用のプレッシャーをかけ、魔法を失う事になる。そして、それを救う役割を与えられたミラベルに、誤解からとは言え厳しく接している。最後は大団円となるが、これが祖父だったらと思うのは、ちょっと意地悪かな。そもそも本作、何が原因でカシータが崩壊し、そしてミラベルに与えられた役割は何だったのか、明確に描かれておらず、ややもやもや感が残る。

ミュージカルは久しぶりだが、ラテン系のノリノリの音楽と相まって、やはりディズニーはシリアスなものより明るく楽しい映画がいいと思わされる。

ただ本作、製作費1億5000万ドルに対して、興行収入は2億5600万ドルという残念な結果となった。前作の「ラーヤと龍の王国」も残念だったし、次回作「ストレンジ・ワールド」に至っては製作費1億8000万ドルに対して7300万ドルと、目も当てられない結果となり、ディズニーは明らかに低迷期となる。本作は問題点もあるものの、キャラも魅力的だし音楽も素晴らしい。ただ、見ていれば魅力的になるモノの、ぱっと見はそうでもないところが痛い様な気がする。2020年に入りディズニーのマーケティング戦略にほころびが生じ、そしていまだに立ち直っていないのはどうした事なのだろうか。

余談だが、本作は迫害を受けたアルマが、ともに逃れた少数の人とともにたエンカントに移り住み、魔法で外界から途絶させたという事だが、それならいずれ町中近親婚だらけになってしまう。それを防ぐためにアルマが強大な力で支配していたとも解釈できるが、いずれ破綻した事だろう。その意味で、ラストに魔法をなくしたことで再び外と行き来できるようになったとすれば、ミラベルは町を救ったともいえる。もっとも、作り手はそこまで考えていなかっただろうが。