タイトル ドロステのはてで僕ら

公開年

2020年

監督

山口淳太

脚本

上田誠

主演

土佐和成

制作国

日本

 

本作は、人気劇団「ヨーロッパ企画」が合成を一切使わず、全編長回し撮影でタイムトリップを映像化したもの。原案・脚本は劇団の上田誠。「ヨーロッパ企画」が過去に製作した短編映画「ハウリング」を再構成して、長編映画としたもので、劇団初となるオリジナル長編映画となる。制作費の節約のため、劇団の本拠地である京都・二条のカフェで撮影を行った。

ちなみに、「ドロステ」とは、絵の中の人物が自分の描かれた絵を持ち、その絵の中の人物も自分が描かれた絵を持ち…という、ドロステ効果による無限に続く入れ子のような構図のこと。いうなれば合わせ鏡のようなものと言って良い。

映画は、仕事を終えたカフェの店長カトウが店員のアヤに後片づけを任せ、2階にある自宅でギターを弾こうとしているところから始まる。この雑居ビルが本作の舞台で、1階にカフェと美容室。2階以上は住居だが4階にはヤクザが経営する闇金がある。

ギターのピックを探していると、パソコンのモニターから彼を呼ぶ声がする。見るとそこにもカトウが映りピッグのある場所を教えてくれた。モニターのカトウは、自分のことを2分後の未来のカトウだと言い出し、しりとりをしたりしてそれが事実だと教えた。半信半疑ながら下に降りたカトウは、店のテレビを覗くと、そこには2分前の自分がいた。さっきモニター越しに見たのと同じ会話をしていると、アヤに突っ込まれバカバカしくなったのか2階の部屋に戻ると、またモニターに自分が映り、更にカフェの客のコミヤとオザワがやってきて部屋のモニターのカトウとやりとりができてしまう。

更にタナベも加わり次第に話が大きくなるが、カトウは2分後の自分が美容室のメグミを趣味でやっているバンドのコンサートに呼ぶが断られてしまう。2分後の自分は上手くいったようだったので訝しむが、アヤから「うまく行った事にしてモニターに移らないと歴史が変わってしまう」と言われ、仕方なくモニターで見たのと同じしぐさをする。

盛り上がる一行に反し、カトウは終始冷めた態度をとっている。実はカトウは子供の頃、ノストラダムスの大予言に騙されて以来、予言や余地を信じられなくなっていたのだ。しかし、そうしたカトウをよそに盛り上がる一同。しかし一同が盛り上がればそれだけみんな未来の自分に行動を支配されているような気がしだす。やがてとんでもない事態が起きるのだった。というのが大まかな粗筋で、正直話が込み入っているのでこれで正しいのか自身が無い。複雑な話ではないが、理詰めで考えるとだんだんややこしくなるから、「ああ、そんなもんか」と思いながら見るのがいいだろう。

たった2分後の将来が分かったところ、でたいして大きな影響はないだろうし、仮に日常であったとしてもそもそも気が付かず、短時間で元に戻れば「あれれ~~。おかしいぞ~~」で終わるかもしれない。その2分のタイムワープで1本の映画を作る上田誠の手腕とアイデアに脱帽するしかない。「リバー、流れないでよ」でもタイムリープを描いていたし、「曲がれスプーン」では超能力を題材としていた。演劇ではSF的な題材は避けると思うのだが、上田は積極的に取り入れている。特に時間テーマが多いから、好きなのかもしれない。この手のお約束のタイムパラドックスを、「なんとなく俺達、未来に縛られているように思える」との一言で解決する力技。自分だったら、一人だけ残って未来の自分と対面することを考えるが、皆さん究極に人がいいのか、それとも本当に未来に縛られているのか、誰もそんな悪戯を考えない。それに本作、ほとんどのシーンがワンカットで撮影されているので、見ていると、あまり余計な事に気を取られることが無い。

他にも、突っ込み所は数限りなくある。1階のカフェと2階のマスターの自宅を、何度となく往復しているのに途中で出会うことはなく、どう解決しているかは疑問だし、TVに挿さっているケーブルは無限に伸びるし。しかし、そんな些細な事に突っ込んだものは負けなので、楽しまなきゃ損。元々が舞台ということもあり、舞台特有のそれこそ舞台裏で成り立っているので、頭空っぽで楽しんだ方がいいだろう。