タイトル オオカミの家

公開年

2018年

監督

クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ

脚本

クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ他

声優

アマリア・カッサイ

制作国

チリ

 

本作は、今時珍しいストップモーションアニメ。冷戦時代の東欧、特にチェコは高いストップモーションアニメの技術を持っていたが、本作はチリの2人組監督クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャによる初の長編作品で、かつてチリに実在したコミューン「コロニア・ディグニダ」に着想を得て制作したもの。

昭和の厨二病にとって、当時人気だった自称ジャーナリストの落合信彦は、自著「20世紀最後の真実」の中で、「チリにはナチスの残党が逃げ込んだ、秘密基地があって、そこには科学者たちが空飛ぶ円盤の研究をしていて、再び世界征服を企んでいる」と記していた。その本では「エスタンシア」と呼ばれていたが、これぞ「コロニア・ディグニダ」そのもの。当時は、こんなバカバカしい陰謀論と都市伝説のごった煮の様な本でも、結構売れて厨二病患者の心をわしづかみにしていった。このせいもあって、私は「コロニア・ディグニダ」に関して調べた事があり、ある程度の知識はあったので混乱はしなかったが、「コロニア・ディグニダ」に対してある程度の予備知識がないと、単に不気味なカルトムービーと思うだろう。

現在のコロニア・ディグニダ。リゾート施設になっているらしい

 

この「コロニア・ディグニダ」について簡単に説明すると、元ナチス党員で、同性愛者で幼児への性的虐待でドイツを追われたキリスト教バプテスト派の指導者、パウル・シェーファーらがチリに設立したドイツ人を中心とした独立したコロニー。そんな治外法権じみた組織勝ち作るのに、なぜチリ政府の許可が得られたのかといえば、もともと南米は第2次大戦中ナチス・ドイツと親密な国が多く、戦後も多くの残党が逃げ込んでいたし、シェーファーは元ナチスの隠し資産から工作を行ったと言われる。設立当初からやばい組織だったが、ピノチェト独裁政権が誕生して政治犯が送られ、様々な人体実験や拷問が日常的に繰り返されるようになった代物。実態はあまり厨二病を満足させるようなものではない。この予備知識の有無で、本作の評価はがらりと変わってしまうと思う。

パンフレットに監督の言として「マリアは美しい」とあったが...

 

まずこの映画の由来について、「コロニア・ディグニダ」のPR映画だという前振りに続き、コロニア内部の様子を写した実写映像から始まる。多分ここは本物だろう。

続いてアニメパートになるが、少女マリアは、ブタを逃してしまったために100日の沈黙という厳しい罰を受け、耐えきれず「コロニア・ディグニダ」から脱走する。森の中をさ迷っていると一軒の家に逃げ込んだ彼女は、そこで出会った2匹の子ブタにペドロとアナと名づけて世話をする。森の奥からマリアを探すオオカミの声が聞こえてくる中、マリアは豚と暮らし始め一時は平穏な生活が戻ったかのように見えた。やがて2匹の豚は前足が手のようになり、後ろ足が足となり、そして人間となるのだ。マリアは、二人にアナとペドロと名付け一緒に暮らし始めるが、マリアの不注意でペドロが大やけどを負ってしまう。マリアはペドロの火傷を癒すと、再び3人で仲良く暮らし始めるが、食料が不足し始める。するとアナとペドロは、マリアが食べ物を独り占めにすると批判し始める。

ある時マリアはリンゴを探しに行くと言い、外に出ようとするが二人は外には狼がいると言って引き留め、マリアをベッドに縛り付けてしまう。二人はマリアを食べようとしたので、マリアは必死に祈りをささげるとオオカミがやってきて(オオカミの映像は出てこない)、二人を木に変え、マリアも木になるが枝にとまった鳥が飛び立ち、コロニアに帰ってしまう。というのが大まかな粗筋で、いつもと違い最後まで書いたのはそうしないと話が収まらないから。どこで切ろうかと考えたけど、どうもうまいところが見つからず、結局最後まで書くことになった。正直言って本作、見に来る観客の大半は、ストーリーに期待していないだろうから、ネタバレしても何ら問題はないと思う。

本作最大の魅力にして問題点は、そのストップモーションアニメの映像。見ているとキャラクターの造形に統一性がないから、最初から詳細な設定などは作らなかったのではと思っていたら、パンフレットによると「最初からすべてを決めることはしていない」「長編を作ろうと考えてはいなかった」とあったので、多数の短編を作る様な感じで作ったのかもしれない。そして外国を含めて10か所ほどで制作を行い、その中には各地の美術館やギャラリーもあって、その過程を公開していた。撮影に実物大の人形を使っていたというから、見ていると面白かっただろう。

本作は、全編1カットで撮影されているように作られているが、前述の通り、各シーンに共通点は少ない。映像も、最初はがらんとした狭い家の壁に描くが突然出現し、まるで生きているかのように壁を這い回る。そこからマリアの顔が現れもそもそと動き出すという、幼いころ怖い映画を見た後に見る悪夢のような映像が、これでもかとし次々と出現する。そしてそれ等は一瞬たりとも止まらず、絶えず動き続ける。これだけで不気味さ満載だが、マリアのモノローグがずっと続き、更にマリアを呼ぶオオカミの声が被さり、見ていると「夢なら覚めて」という気分になる。

最初は黒髪黒瞳だったアナとペドロだが

最後はマリアと同じ金髪碧眼になる。これは洗脳完了の印か?

 

本作の主人公マリアはコロニアから逃げてきて、家の中に自分の世界を築いていくが、それは自分が思い通りになる世界。ブタからアナトペドロを作ったのもマリアだ。この家の中では彼女は神のようにふるまえるが、それは取りも直さず彼女が逃げてきたコロニアそのもの。コロニアで刷り込まれた教えが意図せず発現し、彼女はもう一つの「コロニア・ディグニダ」を作り出した。最初は黒髪に黒い目だったアナとペドロが、次第に金髪碧眼のマリアにそっくりになっていくのは、それを現しているのだろう。この「オオカミの家」とは「コロニア・ディグニダ」ではなく、マリアが作り出したミニ・コロニアたる、この3人の家の事だ。

しかし自分が作り出したものにより危機を迎えたマリアは、最後にコロニアに戻ることを決断する。要するに「『コロニア・ディグニダ』は理想郷で、周囲は敵だらけ」というプロパガンダに沿ったわけで、ことさらそれを目を覆う様なようなグロテスクで醜悪な映像美にしたのも、この施設の恐ろしさを現しているのだろう。

と一応解説したものの、実は全く違うかもしれないので、実際に見て判断される方が良いと思う。ただし、見ていて面白い映画ではない事は、心に停めて欲しいが。

火事のシーンにはこの絵が...。狙ってるな、監督

 

本作は「ミッド・サマー」のアリ・アスター監督絶賛とうたわれ、それを売り文句にしているが、果たして興業的にはこれは正しいのだろうか。ティム・バートンならともかく、あの恐ろしく客を選ぶ「ミッド・サマー」の監督が絶賛したからといって、「それじゃあ見に行くか」となるのはごく一部だと思うが、それでもかなりヒットしているようだ。その意味では大成功と言って良いだろう。ちなみに本作は2018年公開で、「ミッド・サマー」は2019年。詳しい事は分からないが、ひょっとしたらアリ・アスターは本作にインスパイアされて、「ミッド・サマー」を作ったのかもしれない。