ザ・フォッグ1980年版(1980年)監督 ジョン・カーペンター 主演 エイドリアン・バーボー(アメリカ)

 

港町、アントニオ・ベイは誕生百年祭を迎えようとしていた。しかし、街のあちこちで不気味な現象が起こり始める。そして、祝典の女性議長・キャシーは神父から街の呪われた歴史を聞かされる。百年前に難破した船の乗組員が復讐のために戻ってくるというのだ。

街の誕生100周年記念祭に沸き立つ港町で起こる謎の殺人事件。不穏な霧に覆われていく中での惨劇の広がりを描いている。

監督は「ハロウィン」「ゼイリブ」のホラーマイスター、ジョン・カーペンター。特殊メイクを担当するのは「遊星からの物体X」でもカーペンターと組んだロブ・ボッティン。彼は撮影監督のディーン・カンディに頼み込んでジョン・カーペンターに紹介してもらい、本作で特殊メイクを担当することになった。なお、ブレイク船長役でボッティンは出演している。

映画の冒頭、「目に映るもの、感じるものはすべて、夢の中の夢でしかないのか?」というエドガー・アラン・ポーの言葉で始まる本作。船長風のいでたちの老人が、キャンプファイヤを囲む少年少女に怪談を披露という、いかにも夏の風物詩っぽい感じで始まり、町中で様々な異変が起きるなど雰囲気は十分。

そうした中、教会で名優ハル・ホルブルック演じる神父が、祖父が残した日記を発見する。絶対なんかあるという展開だが、やはりなんかあってその日記には、今から100年前にアントニオ・ベイの有力者6人が、ハンセン氏病を患い安住の地を求めてやってきたブレイク船長を始めとした、金持ちの患者たちを騙して虐殺。奪った金を町の建設資金としたことが記されていた。しかし町では設立100周年のお祝いイベントの準備が、議員のキャシーの手によって進められていた。このころキャッシーの夫たちが乗っている船は、ブレイクらに襲われ最初の犠牲者となっているのだが、そんなこと本人は知る由もない。キャシーを演じるは「サイコ」のヒロインにして元祖スクリーム・クイーン、ジャネット・リー。本作にはヒッチハイカーでバンクーバーに向かう途中、たまたまこの街に立ち寄ったエリザベスの役で娘のジェイミー・リー・カーティスも出演。2代にわたるスクリーム・クイーンの共演となった。ジャネット・リーと言えば、コロンボが珍しく犯人を見逃した話として有名な、「刑事コロンボ」の「忘れられたスター」が印象に残っている。

街にはラジオ局があり、そこで夜通し放送しているのがエイドリアン・バーボー演じる、シングルマザーのDJスティーヴィー。カーペンターの奥様だったが84年に離婚している。人生とはままならぬものだ。彼女にはアンディーと言う息子がいるが、夜が仕事の彼女に代わり、コブリッツ夫人が見てくれている。なお、ラジオ局として使われているのは、カリフォルニアのポイント・レイズ国定海岸にあるポイント・レイズ灯台。1870年に建造され現在もそのまま残っており、1991年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財になった由緒ある灯台だ。

エリザベスを拾ったニックを演じるの、はトム・アトキンス。会ってその夜にベッドインしたり、キャシーの夫が乗っている船を発見したり、一応ヒーロー的な立ち位置なのに、個性的な女性陣に囲まれているせいか影が薄い。

神父はキャッシーにブレイクの事を伝えるが、今更イベントは中止できないという。そのより厳かにイベントが繰り広げられる中、スティーヴィーは町に近づく不審な光る霧を発見。放送を通して警告を発する。

まあ、100年たって復讐かよとか、たった6人しか襲わないとは律儀な幽霊だとか、いろいろと突っ込みどころはあるものの、何かが起こりそうと言う、前段階の雰囲気作りは見事。そして壁が崩れ、あわやホルブルックか下敷きになりかかるショックシーンへつながる展開は巧みだ。ホラー映画に霧はつきものだが、それはあくまで背景としてなのに、本作ではあえて主役として位置付けているのが異色。その中にうごめく亡霊たち。彼らははっきりと見せないことで、じわじわくる恐怖を表現している。この辺りカーペンターのうまさが出ているが、同時に問題点浮かび上がることになる。

多くの登場人物がいるにもかかわらず、感情移入できるキャラは少ないのは問題ではないだろうか。主役のスティーヴィーは、息子が危機的状況にあるのに事件の最中、ほぼ灯台にいて動かないし、神父は終盤まで教会にこもったきりで、キャシーも真相を知りつつも教会へ逃げるだけ。一応エリザベスとニックが一番動き回るが、別に亡霊の怒りを鎮める方法を見つけるわけではなくアンディーを助けるだけ。この役はスティーヴィーがやるべきではないか。

ただ、だからと言って、面白くないかと言えばそんなことはないどころか、個人的に70~80年代ホラーの傑作だと思っている。本作の特徴として「ハロウィン」の様ショックシーンによる直接的な怖さと打って変わって、「霧」「蠢く人影」「ノックの音」といったアイテムを活用して、じわじわくる怪談的な怖さを醸し出しているところは見事だと思う。ただ、こうした自分なりのこだわりがあるところが、映画監督として類まれな才能を持ちつつも、「鬼才」の域を超えられなかった理由ではないだろうか。

本作は2005年にリメイクされ世界で4600万ドルとヒットし、いまだに根強い人気がある事を証明した。ある意味カーペンターが自分の拘ったこと、やりたいことを最後までやり通し、それがいまだに愛される名作ホラー映画として結実したのだと思う。