第三次世界大戦 四十一時間の恐怖(1960年) 監督 日高繁明 主演 梅宮辰夫(日本)

 

十五年前広島に投下された原子爆弾の記録映画を見た、美栄、彰二、茂夫、信彦達高校生は慄然とした。原水爆の恐怖は彼らを日本脱出の冒険にかりたてたが、途中台風に襲われた一行は下田沖で辛うじて救助された。若い新聞記者正木には看護婦の知子という恋人がいた。結婚を語り合う二人に、ニュースは、韓国上空で米軍輸送機が突如核爆発を起したことを告げた。韓国はこれを三十八度線を越えるためのアメリカの挑発行為だと主張した。第三次世界大戦の導火線は点火した。

第三次世界大戦の開始から、核ミサイルによって世界の主要都市が全滅して大戦が終結するまでを、ドキュメンタリータッチで描く。監督は「眠狂四郎無頼控」の日高繁明。特撮は主に東映で多くの作品にかかわることになる矢島信夫。円谷英二に比べると評価は低いは、本作の特撮は少ないながら、東京タワーや国会議事堂等の破壊シーンは完成度が高く、東映特撮の白眉という声もある。

本作は「週刊新潮」1960年6月13日号に掲載された特「第三次世界大戦の41時間」という記事を原案としている。だがこの記事は軍事評論家の林克也の口述を元にしていたため、林と編集部との間で著作権をめぐり争うこととなった。

同時期に東宝では、同じ林の著書「恐怖を作る人々」や林も参加した「週刊読売」1960年2月21日号に掲載の「私たちの滅亡する時」などに着想を得て、別作品の製作を進めていたが、本作品との類似を指摘されて制作中止となり、その後、同企画はスタッフや内容を一新して「世界大戦争」として本作の翌年公開の運びとなる。なお。世界中が核戦争の脅威におののくことになるキューバ危機は、更にその翌年の1962年の事である。

上記の経緯から、本作と「世界大戦争」は、庶民の視点で核戦争を描くという点で多くの類似点が指摘されるが、今回見て異なる面のほうが多く、全く別物という感想を持った。

本作では、複数の家族のドラマが平行して描かれ、必死で生き残ろうと苦闘するのに対し、「世界大戦争」はフランキー堺演じる運転手一家が中心で、フランキー堺はすべてを奪い去る戦争へ怒りをぶつけつつも、最後は往生して死を迎え入れる。ここは監督の松林宗恵が僧籍であることと関連しているのかもしれない。また本作は最後まで庶民の視点からぶれないが、「世界大戦争」では山村聡が演じる首相をはじめ政府高官や、連邦軍(NATO?)と同盟軍(WTO?)の軍人たちも登場し、群像劇となっている点等大きく異なる。そして、ややファンタジックな「世界大戦争」に対し、本作はリアリティを重視している。

ソ連の軍人からの放送で「我々は米軍基地を攻撃するだけです」と言われ梅宮辰夫に「モスクワの放送は(日本の米軍)基地を攻撃するから、東京は無事だ」と思わせて、東京に核ミサイルを落とす。更に避難民の頭上にも。この辺り「基地がなければ平和になる」と主張する向きは、どんな感想を持つだろうか。ただ、恋人を探し東京に戻った梅宮辰夫が全く無傷で、探し当てた三田佳子の亡骸も奇麗なままというのはどうなんだろうか。まあ、映画だし。

ラストにアルゼンチンから終戦を告げる放送が流れる。そういえば黒澤明の「生きものの記録」でも、核戦争におびえる老人がブラジルに移住しようとしていたが、このころの日本に南米は、核戦争に巻き込まれないと思っている人が、多かったのだろうか。

派手さはないものの、庶民の視点で核戦争という巨大な潮流に立ち向かい、そして敗れ去る姿を描いた佳作。大国のエゴの前に憲法9条なんて無力だ!と描こうとしたわけでなく、むしろ本作のスタッフは逆の考えを持っていると思われるが、結果平和憲法の無力さを描くことになったのは興味深い。

余談だが、準ヒロイン的な女子高生市村美栄を演じるのは、のちに声優に転じルパン三世の第1シリーズで、初めて峰不二子を演じることになった二階堂有希子。俳優の柳生博の夫人としても有名だが、上記の経緯で「名探偵コナン」で峰不二子をモデルにしたコナンの母親、工藤有希子の名前の元ともなっている。こんなところで不二子ちゃんのお姿を拝めるとは思わなかった。