ヒトラーのための虐殺会議(2022年)監督 マッティ・ゲショネック 主演 フィリップ・ホフマイヤー(ドイツ)

 

1942年1月20日正午、ベルリンのヴァン湖畔に建つ大邸宅にナチス親衛隊と各事務次官が集められ、「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議が開かれた。「最終的解決」はヨーロッパにいるユダヤ人を計画的に抹殺することを意味する。国家保安部代表ラインハルト・ハイドリヒを議長とする高官15名と秘書1名により、移送、強制収容、強制労働、計画的殺害などの方策が異論すら出ることなく淡々と議決され、1100万人ものユダヤ人の運命がたったの90分で決定づけられた。

 

第2次世界大戦時、ナチス政権が1100万人のユダヤ人絶滅政策を決定した「ヴァンゼー会議」の全貌を、アドルフ・アイヒマンが記録した議事録に基づいて映画化。出席者たちがユダヤ人問題と大量虐殺についてまるでビジネスのように話し合う異様な光景を、ありのままに描き出す。

本作はテレビ映画として制作されたが、外国では劇場公開されるところもある。テレビ映画だからと言って手を抜いているところはなく、知らなければ気が付かないレベルの映像で、実際に会議が行われた別荘でロケが行われた。ちなみにこの建物は、第2次大戦後はアメリカ軍が使用した後、しばらくホステルとして使われていた。1965年から1972年まで歴史家ヨーゼフ・ヴルフが記念館の設立を計画したが実現せず、1992年になってようやくヴァンゼー会議記念館として開館した。またヴァン湖は、ベルリンから鉄道で30分程度と手ごろな距離なので、ベルリン市民にとってレクレーションスポットとして親しまれている観光スポットだ。

本作は、会議が開催される別荘に、参加者たちが続々と到着する場面から始まる。参加者はナチ党や親衛隊の幹部。そしてドイツの各省庁の高級官僚で占められている。それと記録する女性秘書1名。主催者のハイドリヒが登場するまで、参加者たちはそれぞれ立場で、議題である「ユダヤ人問題の最終的解決」に対する意見を交換し合うが、ここはそれぞれの立場が垣間見えて面白い。そして独ソ戦の様子を気にする者もいる。会議が始まる前に、各々の思惑が交錯し始める。そして、会議の主催者である、ラインハルト・ハイドリヒが到着すると、いよいよ史上最悪の会議が幕を開ける。

本作を見ての感想は夫々だろう。たった90分で、1100万人の命を奪うことを決定したことに、戦慄を覚える人もいるだろうし、ビジネス談義のように人殺しの会議が、淡々と進む姿に恐怖を覚える人もいるだろう。彼らにとって、これはおそらく今でも各国で日々開かれている、政策決定会議の一つに過ぎないのだ。羅列される殺されるユダヤ人の数は、GDPとか失業率などと同じ数字に過ぎない。人間と言うのは、数字に歪曲化すれば、どんな非人道的な決定を下せる。事件は会議室でも起きている。それもとんでもない事件が。

参加者が誰も反対しないことに恐ろしさを感じるが、それよりも占領地区や同盟国でも特に反対する者がいないことの方がよほど怖い。当時のヨーロッパで、ユダヤ人がどれだけ嫌われ、消えてくれれば万々歳と思っていたかという事に慄然とさせられる。彼らの中で唯一、ホロコーストの現場を知るアイヒマンが「現場を見たが、しばらく食事が喉を通らなかった」と話していたが、彼も現場の隊員の負担を軽くすることは訴えても、「最終的解決」そのものは反対しない。

個人的に一番気になったのは、筆記をしていた秘書インゲブルク・ヴェーレマン。隣に座るアイヒマンと話す程度でセリフはほとんどない。調べても実在なのか、それとも映画のために創作された人物なのか分からなかったが、議事録がある以上速記者はいたはず。いったいどんな思いでこの会議を見ていたのだろう。ちなみに、隣に座っていたアイヒマンは、休憩時間に彼女のために食べ物を取ってきたり、仕事の相談に応じたりと、良き上司と言った感じ。そういえば親衛隊の幹部たちも、終始物腰が穏やかでハリウッド映画で出てくるような、足を机に投げ出して横柄な態度をとるような、ステレオタイプの幹部はいない。親衛隊でも幹部クラスは、このような能吏的なイメージだったのかもしれない。いやむしろ、ハリウッドタイプの奴は、まだ人間性があって、本当に危険なのは本作に登場する、能吏タイプなのかもしれない。政策が間違っていたり、失敗が明らかになっても、誰かがやめろというまで淡々と進めるのだから。

戦後80年近く経過する中「なんで今更ヴァンゼー会議なんて描くんだ」と言う声はあるだろうが、ウクライナ戦争でブチャの虐殺が起きて、図らずもヴァンゼー会議が過去の事ではないことが明らかとなった。今こうしている時も、ロシアのどこかで非人道的な計画が練られているのかもしれない。そのことは心のどこかにとどめておくべきだろう。