幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形(1970年)監督 山本迪夫 主演 松尾嘉代(日本)

 

激しい雷雨の夜、婚約者の野々村夕子に逢いに屋敷を訪れた佐川和彦は夕子の母・志津から半月前に起きた夕子の事故死を知らされる。泊めてもらったその夜、家の中で夕子の姿を見かけるが気絶しそのまま行方不明となる。戻らない兄の消息を訪ね、圭子は恋人の浩と共に夕子の屋敷を訪れる。だが、そこで屋敷の主である志津から夕子の死亡と和彦は既に帰ったと告げられる。その言葉に疑惑を抱いた圭子はある部屋で和彦が夕子に贈ったはずのプレゼントの人形の欠片を発見し、さらには夕子の墓のそばで血の付いた和彦のカフスボタンを拾う。和彦がいることを確信し、車の故障を口実に圭子と浩は屋敷に泊まることに。しかしその家には恐るべき秘密が隠されていた。

 

呪われた館に展開する不気味な事件を描く。監督は「野獣の復活」の山本迪夫で脚本は小川英と長野洋の共同執筆。映画斜陽期の中、東宝は興行成績がジリ貧となっており、新味を求め英国ハマー・プロの「ドラキュラ映画」を参考に、「日本にもドラキュラを」との趣向で本作品が企画された。監督の山本迪夫の嗜好はショッキングな場面で押す「ショッカー映画」だったので、田中の嗜好であるおどろおどろしい「怪奇映画」と両者の要素を織り込んだ形でストーリーが練られた。しかし、本作に登場するのはサイコパスな殺人鬼で、吸血鬼は次回作「呪いの館 血を吸う眼」で初めて本格的に登場することになる。なお、田中は楳図かずおのファンでもあり、楳図の漫画から構築したという。ただ、直接の原案として、「催眠術で死者を蘇らせる」という、エドガー・アラン・ポーの怪奇小説「ムッシュー・バルディモアの真相(ヴァルドマール氏の症例の真相)」を下敷きにしたと語っている。他にも様々な怪談、ホラー小説の影響を見て取る事が出来る。

野々村夕子役には小林夕岐子が選ばれたが、小林は脚本を読んでこの役が気に入り、大乗り気で演じたと語っている。しかし小林以外は松尾嘉代や中尾彬など日活からフリーになった俳優が多く参加しているのも特徴といえる。そのせいか、あまり東宝らしさを感じず、そこに新味を感じる。

山本の発案で、小林のメイクには瞳を金色にするためカラーコンタクトレンズが使われたが、当時のカラコンはほとんど見えず、ビジュアル面で絶大な効果を上げたものの、撮影のたびに物にぶつかりそうになった。なお本作の2年前の1968年田中徳三監督、藤村志保主演の「怪談雪女郎」でカラコンが使われたのが、日本で初めてカラコンが使われた映画と言われている。藤村ものちに「全然見えなかったし、長くつけると目が痛くてたまらなかった」と語っていた。

冒頭はポーの「アッシャー家の崩壊」を思わせる導入部。南風洋子の不気味さや、イゴール然とした高品格の意味ありげな雰囲気で、いやがうえにも画面に引き込まれる。中盤、いかにもホラーチックな屋敷から、都会に切り替わり松尾嘉代と中尾彬のカップルが中心に話が進む。二人の若々しい姿が目にまぶしいが、超ミニのワンピースを着た松尾の太ももにどうしても目が行ってしまう。そして満を持して登場する小林夕岐子。カラコンをつけ恐ろしい姿で迫る姿は、小林の無機質な美貌もあって妖しさと美しさそして悲しさも感じる。前述のとおり、彼女は別に吸血鬼ではないのだが、こうなった理由というのがちょっとぶっ飛んでいる。御手洗博士にそんな過去があるとはだれも思うまい。

小林の映画での代表作となると本作だろうが、テレビで最も人気を呼んだのが「ウルトラセブン」のアンドロイド少女ゼロワン。彼女は、人間ではない役と親和性が高いようだ。

昭和テイスト溢れるホラー映画。日本のおどろおどろしい怪談と、海外のゴシックホラーテイストが見事に融合した佳作と言っていいと思う。のちに大スターとなった、名優たちの若き日の姿を見て楽しむのもいいだろう。それに、ヒロインのこの世のものざる美貌は、それだけで見る価値はある。上映時間も1時間強程度なので、気楽に楽しむ事が出来るだろう。

余談だが、本作はかなり低予算で作られ、同時上映の「悪魔が呼んでいる」とスタッフは全く同じで、本来1本分の予算を二等分して2本製作するという、せこい撮り方をしている。天下の東宝もこの頃は相当やばかったようだ。