水戸黄門漫遊記 人喰い狒々(1956年) 監督: 伊賀山正光 主演 月形龍之介

 

信州七日市に足を伸ばした黄門様一行は、甲武信権現の怒りで人喰い狒々が現れ、怒りを沈めるために三日に一度、若い娘が生贄に出されている事を知る。一行が泊まった茗荷屋の娘に白羽の矢が立ったことを知った黄門様は、主人宗右衛門を説き伏せて自らが身代わりとなって甲武信権現へ向かうが、結局何事も起こらず、宗右衛門一家が惨殺されていた。実はこの事件は天幻教の教祖・お源と、城主・前田丹波守の忠臣・棚倉重四郎が絡んでいたのだ。丹波守は重い病に侵されており、愛する千草姫からも結婚を拒まれていた。そのため、丹波守の身を案じる重四郎が天幻教に資金を供給する代わりに、お源に若い娘を浚わせて、病に効くとされる娘の生胆を丹波守に内緒で服用させていたのだ...。

 

月形龍之介が演じる「水戸黄門」シリーズ第9弾。このシリーズ、最初はB級の怪奇色が強いもので、本作は人食い狒々と言う怪物が登場するし、難病を治すため美女の生き胆を食するなどグロテクさが際立っている。他の映画にも“佝僂男”だの“化け猫”“怪力の類人猿”だの、怪しい怪物が登場して、ご老公一行の前に立ちふさがっていた。ちなみに狒々と言うのは日本に伝わる妖怪の事で、サルを大型化したような姿をしており、老いたサルがこの妖怪になるとも伝えら、我々がよく知るアフリカ原産のいわゆる「マントヒヒ」とは別物。

なお藩主前田丹波守が罹っている病気、天刑病はハンセン病の事で、1941年にプロミンが効果ある事が発見されるまで、根本的な治療法はなかった。それだけ藁にもすがりたいという者は多く、「砂の器」で描かれている通り多くの悲劇を生むことになる。それだけに、ラストでその前田丹波守が自害するのはどうなんだろう。56年時点なら日本にもプロミンが入ってきて多大な効果を上げていたはずなのに。これだからマスゴミは…

主演の月形龍之介は個人的に、威厳と気品を感じることから最高の水戸光圀役と思っている。私は、「水戸のご老公様であるぞ」と言われれば、例え証拠がなくても月形さんになら土下座してしまう自信がある。

この頃は印籠も持たないのに、行く先々で「水戸のご老公である」と言えば、みんな納得してくれたのはご愛敬。ちなみに、身分証代わりに印籠を持つようになったのはTBSテレビ、パナソニック ドラマシアター「水戸黄門」の第3部からだから、この頃はほぼ助さんか、格さんが「水戸のご老公である」と言えば、相手は平伏すのがお約束となっている。なお、テレビシリーズも最初はブラザー劇場枠で、月形龍之介主演で作られた。

主演の月形龍之介は時代劇を中心に、数多くの映画に出演してきたが、やはり当たり役は「水戸黄門」。醸し出す威厳と気品はテレビシリーズを含め、他の水戸黄門とは一線を画する別格的存在。重厚な悪役も得意で「赤穂浪士 天の巻 地の巻」(1956年)「赤穂浪士」(1961年)では、吉良上野介を演じ最高の吉良役と評された。

助さんは月形龍之介の長男月形哲之介、格さんに加賀邦男。助さんに惚れていて一行の密偵的な活躍をする緋牡丹お蝶に千原しのぶが演じ花を添える。ある意味彼女はかげろうお銀の原型と言っていいかもしれない(入浴シーンはないが)。

このシリーズのB級カルト路線は次の「水戸黄門漫遊記 鳴門の妖鬼」で終わり、1957年に公開された「水戸黄門」は市川歌右衛門、萬屋錦之助、大川橋蔵とオールスターキャストで作風を一新させ、東映のドル箱シリーズとなった。それだけに基調。当時の日本映画界の勢いを感じることができるだろう。

余談だが、本作の最後で人食い狒々相手に、ご老公が立ち廻りを演じるシーンがある。言うまでもないが狒々は着ぐるみ。ご老公と着ぐるみ怪獣の一騎打ちなんて、このシリーズでなければ見ることができない貴重なものだ。