東海道四谷怪談(1959年) 監督 中川信夫 主演 天地茂

 

岡山の浪人民谷伊右衛門は、お岩との仲をひきさかれたのを恨みに思い、その父四谷左門と、彼の友人佐藤彦兵衛を手にかけた。これを目撃した中間直助は、弱味につけこんで伊右衛門を脅迫。お岩の妹お袖に想いをよせる直助は、伊右衛門をそそのかして与茂七を白糸の滝につき落させた。江戸に出た伊右衛門は、無頼の徒から伊藤喜兵衛親娘を救う。その事から喜兵衛の娘お梅は、伊右衛門に心をよせるようなり、伊右衛門も喜兵衛取り入れば、金と立身出世が図れることからお岩が邪魔になる。彼はお岩殺害を決意した。あんま宅悦を使ってお岩にいいよらせ、不義の現場で斬りすてようとしたが、直助は伊右衛門の決意を疑い、伊右衛門を通じて毒薬をお岩にのませるよう計る。無残に顔の腫れあがったお岩は、驚く宅悦の口から事の真相を聞くと自害する。宅悦を斬った伊右衛門は、その屍体とお岩の屍体を戸板に釘づけにし、隠亡堀に投げ捨てる。時を経て伊右衛門はお梅と祝言をあげ万事がうまくいくと思われた矢先、彼の目にはお梅やその一族がお岩や宅悦の顔に見えた。錯乱した伊右衛門は次々と斬殺する。

 

文化文政期の歌舞伎作者鶴屋南北が原作。通算21回目の映画化と言う。そして新東宝としても毛利正樹監督「四谷怪談」を56年に上映しているから、1年おきとなる。ただ、本作は四谷怪談としては初のカラー映画である。ちなみに毛利正樹版では、民谷伊右衛門は若山富三郎が演じている。

新東宝のワンマン社長大蔵貢は、毎年夏興行で怪談映画を公開していたが、これはその一本で、特に力を入れた作品ではなかったが、中川信夫は「人間の業の深さ」をテーマとしていて、独特の映像美にもこだわりを見せ、それゆえ「日本怪談映画の最高傑作」との評価を得ている。オープニングには歌舞伎の様式美を採り入れたのは大蔵の発案であるという。この辺りの非凡な発想は、単なるワンマンの域を超えている。

有名な「戸板返し」や、お岩が醜く腫れ上がった顔の髪を梳く場面、など、原作の見せ場も忠実に映像化された。脚本家の桂千穂によると、「戸板返し」について、本作がおそらく初の映像化であろうと語っている。

お岩を演じた若杉嘉津子は高所恐怖症で、天井から逆さ吊りのシーンを撮影した日の夜は、恐怖で熱を出してしまった。ただし、過酷な撮影が多かったことから、事情を知らない中川監督がご褒美を兼ねて、「せめて最後ぐらいは綺麗なシーンで終わらせてあげよう」と思い追加された、お岩が美しい姿で昇天するラストシーンでは宙乗りをさせられたが、高所恐怖症のことなど忘れて気持ち良く空に浮かんでいたと述懐している。それだけ撮影が過酷だったという事か。

この映画の成功に、初主演の天地茂の熱演がある事に異論は少ないだろうが、当初は嵐寛寿郎が主演の予定だった。しかしイメージが異なるとの理由で駄目になり、次に候補が上がったのは丹波哲郎。しかし助監督の石川義寛からダメ出しが出て、ようやく天地茂がこの役を射止めることになる。ちなみに丹波哲郎が駄目になったのは「演技が下手すぎたから」だとか....。天地の抜擢は大成功でこの映画の成功は、本人にとって大きな飛躍を果たすことになる。

ニヒルな風貌から後に「マダムキラー」と評されるほど、主に主婦層から絶大な人気を誇るようになるが、本人は至ってまじめで、私生活でも浮ついたところはなく、夫人によると「夫婦喧嘩など一度もしたことがない」愛妻家であったという。後に俳優として成功する宮口二郎、奥田瑛二、宅麻伸、堀之紀らが天知の付き人であったが、自分が主演を務めた「非情のライセンス」や「江戸川乱歩の美女シリーズ」等に出演させる等、後輩の面倒見がよかったと言われている。

ところで本作を当初の予定通り嵐寛寿郎や丹波哲郎で撮られていたら、どんな映画になっていただろうか。想像すると楽しくも、恐ろしくなる。