プラン9・フロム・アウタースペース(1959年) 監督    エド・ウッド 主演     グレゴリー・ウォルコット


物語はクリズウェルの予言から始まる。彼は「あの運命の日に何が起こったか」を語りだす。
アメリカの各地で空飛ぶ円盤が目撃される。それは、軍拡競争で自滅の道をたどる人間たちに警告するために外宇宙からやってきた宇宙人の乗った円盤だった。宇宙人は合衆国政府にコンタクトを試みるが、軍上層部は平和のメッセージが理解できずに拒絶、逆に円盤を攻撃してしまう。
宇宙人は仕方なく、墓場に眠る死者を次々と蘇らせて、その科学力を誇示することで人間たちに力の差を思い知らせ、軍拡を止めさせようとする作戦「第9計画」を発動する。だが、宇宙人のメッセージは結局地球人には伝わらず、円盤に乗り込んだアメリカ人の直情的な暴力に屈して宇宙人は引き上げ、途中で空飛ぶ円盤は爆散。
最後に再びクリズウェルが登場し、人類に警告を発して物語は終わる。

最低映画監督と呼ばれるエド・ウッドの代表作。公開後完全に忘れられた作品となったが、アメリカで深夜テレビにて繰り返し放送され、一部でカルト的な人気を得ることとなった。1976年に「ゴールデン・ターキー・アワード」という本の中で「史上最低の映画」として紹介され(ある意味)再評価が始まる、やがてティム・バートン監督の映画「エド・ウッド」で脚光を浴びることとなった。
年を追うごとに人気は高まり、デジタル処理によりカラーライズされ、2020年1月新宿シネマカリテで開催の特集上映企画「サイテー映画の大逆襲2020!」で、デジタル・カラライズドによる「総天然色版」が上映されるにいたる。
エド・ウッドが作る映画はそのほとんどがいわゆるZ級映画で、とても後世に残るようなものではないが、その酷さの中にも本人のひたむきな映画愛を感じるせいか、21世紀になっても一部のマニアを中心に人気は衰えを見せない。ホラー映画なのに怖がらせたいのか笑わせたいのか分からない、微妙な演出も人気の原因だろう。そこには誰よりも映画を愛しながら、映画からは愛されなかった男の悲哀すら感じさせられる。
主演のグレゴリー・ウォルコットは、本作出演後も様々な映画、テレビドラマに出演したが、本作に出演したことを後悔していたという。後年多少踏ん切りがついたのか、2000年9月10日の「ロサンゼルス・タイムズ」のインタービューに、「何かで覚えられているほうが何もないよりずっとましだと思わないかい?」と答えている。他にエド・ウッド常連の「魔人ドラキュラ」のベラ・ルゴシが、かつての当たり役だったドラキュラを彷彿とさせる役どころで出演。ナレータを務めるクリズウェルは、俳優兼霊能者と言う不思議な肩書。ただ俳優としての経歴は少なく、記憶に残る役と言えば同じエド・ウッド脚本による「死霊の盆踊り」の夜の帝王役ぐらい。「死霊の盆踊り」では全くセリフを覚えず、最後までカンペを読みながら演じていたという。
「最低映画」の肩書に恥じない本作だが、今回再見したところ、以前は最初から最後まで笑い転げていたのに、今回は割と真剣に見ることができた事が意外だった。理由を考えて思いあたったのが、所謂「サメ映画」。「ウィジャ・シャーク 霊界サメ対戦」だの「シャークトパス」だの「ジュラシック・シャーク」だの、エド・ウッドがまともに見えるほどの、有象無象の映画が大手を振って量産されている現状は、多様性の受け入れという点ではいいのかもしれないし、そうした映画を見ることも否定はしないが、なんだかな~~という気分にさせられる。