これから読もうとしてくださっているアナタ、

ようおこし~。吉乃もかです。

さぁ今回もアーチェリーとの出会いの続きを

書き綴っていこう。

 

さて前回は2020年に車いす生活となった私が

どのようにしてアーチェリーなるものに出会ったか

について書いてみたけれども、読み返しても

なんてこたぁない。

 

イマドキのネットで検索していたら、

たまたまアーチェリー教室がヒットして

とりあえず行ってみた・・・というだけであった。

(期待された方々、申し訳ない・・・)

だがしかしこの″たまたま”からアーチェリー沼に

ハマっていくことになるとは・・・。

 

応募からほどなくしてレッスンが始まった。

件のアーチェリー教室というのは、

障がい者スポーツセンターで開催されていたもので、

参加ができるのは障害を持っている人たちのみ。

9月~11月の3ケ月間、毎週火曜日夜6時から9時までの

練習でみっちり教えてもらえるスケジュールであった。

 

はじめてのレッスンの日、久しぶりの本格的な外出に

ドキドキワクワク。早くやってみたい気持ちが

車いすを漕ぐ手を速めて、開始30分前には到着していた。

 

初めて訪れた障がい者施設をキョロキョロ見回っていると、指導員(施設の職員の方々)の方から

「こんにちは!」と挨拶される。

人とのコミュニケーションは苦手ではないし

むしろ得意な方だが、なにぶん1年以上ろくに

外出しておらず、街中でティッシュ配りの人や

チラシを配っている人の前を通っても、

車いすの私を見るとスッと目を逸らされる経験だけを

していたので、声をかけられた瞬間何語で

話しかけられたのかわからないくらい慌てふためいた。

 

どう返したら良いかわからなくなり、

「どうも~」と返すのが精いっぱいだったが、

自分の存在を認めてもらえた感じがして

ものすごく嬉しかったことを覚えている。

 

アーチェリーを始めるにあたって、

矢を射る前に注意事項を理解しておかなければならない。

 

当たり前のことだが、矢をつがえた弓を

人に向けないとか、矢が誤って放出したときなど

事故につながらないように安全教育を受けることになる。

 

意外に矢は放たれる時だけでなく、

畳に刺さっている状態から抜こうとするときにも

事故が起こりやすい。

弓から弦の引きしろ分の力を借りて

飛んでいく矢はものすごいスピードで放出されて

畳に深く刺さるので、矢を抜くときは結構力が要る。

周りを見ずにエイヤっと抜いたときに

真後ろに人がいたとしたら、勢いよく抜いた

その勢いのまま矢尻が当たることになる。

実際これで目に大けがを負った人もいる

という話だから、アーチェリー道具を持った

時点で安全への気配りは常にしておきたいところ。

 

危険だという話ばかりをしたが、どんなことでも

人間が何か道具を使って動くときには

危険というものは付き物。

慣れ親しんでいくうちに、これは安全なのか

危険なのかは判断できるようになってくるので

あまり心配しなくても大丈夫。

 

3ケ月間のアーチェリー教室も休まず元気に通い、

教室が終わってすぐに、レッスンの成果発表

という意味合いで初めて小さな試合に参加してみた。

私は初心者なのでエントリーしたのは

10mで80㎝的60射の部。

 

前置きが長くなりすぎて今更なのだが、

アーチェリーはアウトドア(屋外4月~11月)と

インドア(屋内12月~3月)と季節ごとに分かれていて、

アウトドアでの的までの距離はリカーブで70m72射、

コンパウンドで50m72射。

 

インドアではリカーブ・コンパウンドともに18m60射。と、実は季節によって距離も矢を射つ本数も変わってくる、

というのをこの教室で初めて知ったのだ。

ちなみに私はリカーブボウという種類の弓を使っている。

まぁこんな感じの弓ということだけにしておこう・・・。

 

アーチェリーを始めて最初の試合を終えると、

なんだかもっともっと試合に出たいという

欲望が湧いてきた。

試合に出るにはレンタルした弓ではなく

マイボウセットを持っていないと参加ができない、

「じゃあ買えばいいっか!」

という軽いノリで、12月には

アーチェリーショップで自分専用の

アーチェリーセットを購入したのであった。

 

周りの経験者の方からは、

「半年くらいレンタルで様子みてもいいんちゃう?」

と言われたのだが、スポーツは最初が肝心である。

 

しかも道具を使うスポーツは、その道具が重要な

役割を果たす。ということは常に自分が触ることの

できる状態でないと道具の不調を見つけることも

できないし、自分の体の形にあわせて改良を加える

ということもできない。

 

これから本格的に試合に出たいという希望も

後押しになって、マイボウセットを約10万円ほど

で揃えたのだった。

当時は今ほど円安ではなかったので

2024年現在から比べたらかなりオトクに

購入できたと感じる。

3年前のあの時は実に良い決断をしたなと自画自賛。

 

その後マイボウで練習を重ねていくうちに、

見よう見まねで練習を続けていてもきっと

競技レベルに上達することは無い・・・と

ふと感じて今度は個人レッスンを受けるべく、

ネットで近くにコーチがいないかリサーチ。

 

アーチェリーの練習をしている中でいろんな

人の話を聞いていると、「滋賀県に個人レッスンも

してくれるコーチがいるよ」という情報を聞き、

ネットで調べて問い合わせたのが、

いまなおコーチとしてお世話になっている

アシストアーチェリーの神省吾先生。

 

このマークが目印のアーチェリークラブで

今後もよく話に出てくる予定なので

しれっとロゴマークを置いておきたい。

 

こうしてアーチェリーを始めて半年の間に

マイボウの購入、個人レッスンのコーチを

探すまで至り、その後出れる試合には出まくる

という生活になるほど私はアーチェリーの沼に

ハマっていったのである。

しかしながら果たして本当にアーチェリーが

楽しくて仕方なくて沼ったのかというとそうでもない。

 

当時は車いすでしか動けなくなったことが

受け入れられず、自分にはもう価値が無いと

いう風に考えていた。それでも何とか生きる

意味を見つけたいと必死にもがいていたパワーが

アーチェリーを本格的に取り組む原動力に

変わったのかもしれない。

 

なにわともあれ矢を射っている時は水を得た魚の

ごとくイキキとしはじめた吉乃もか。

これからさらに射撃に出会って世界へ

飛び出していくことになろうとは・・・。

 

次回は射撃の出会いについて書き綴っていこうと思う。