仏革命 英産革繊維石炭蒸気 ロマン主義 ゴシック小説 推理小説 以後歴史の登場人物が爆増 | 宇宙・地球・生物・人類の年表 コモリスト水元芳紀

宇宙・地球・生物・人類の年表 コモリスト水元芳紀

自分のメモが莫大になってきたのでこちらで公開・整理していこうと思います‼️

しばらくはコピペしてるだけなので見にくいと思いますが。徐々に改善を予定しております。












 18c リトアニアの首都ヴィリニョス
 ハラーハー(ユダヤ教法規)の世界的センターとなり、「リトアニアのイエルサレム」と呼ばれるようになった
 19c アメリカ式捕鯨
 この捕鯨は主に油を採取し肉等は殆ど捨てるという商業捕鯨
 19世紀中頃には最盛期を迎え、イギリス船などもあわせ太平洋で操業する捕鯨船の数は500~700隻に達し、アメリカ船だけでマッコウクジラとセミクジラ各5千頭、イギリス船などを合わせるとマッコウクジラ7千~1万頭を1年に捕獲していた。
 太平洋においても大西洋の場合と同様に資源の減少が起きた。カリフォルニア州沿岸のコククジラは激減し、マッコウクジラやセミクジラ大きく減少した。
こうした資源枯渇に加え、ペンシルベニア州での油田発見による灯火用の鯨油需要減少や、北米西部でのゴールドラッシュに捕鯨労働者の多くが転向したことにより、アメリカにおける捕鯨は衰退に向かった。
 日本周辺にも1820年代に到達し、極めて資源豊富な漁場であるとして多数の捕鯨船が集まった。→日米和親条約締結
 19c アジア三角貿易

1769年 イーナ報われた
    アークライト水力紡績
    ワット蒸気機関改良←奴隷貿易資本
    キュニョーの砲車(仏大尉)
 1769-1773 ベンガル大飢饉
----
 一部の関係者は、トマス・ロバート・マルサス理論を主張し、飢饉は人口抑制のために自然の方法であることを主張した。
1770年のベンガル飢饉で死者約1000万人。1800年 - 1825年大飢饉5回 死者約100万人。1826年 - 1850年大飢饉2回 死者約40万人。1851年 - 1875年 大飢饉6回 死者約500万人。1876年 - 1900年大飢饉18回 死者約1600万人。1943年ベンガル飢饉で死者約300万人。イギリスによる過酷な植民地統治時代に頻発した飢饉の死者数は推計で5000万人を越える。wikipedia
----
1770年-1790勃発期 
 1770年 オーストラリア発見 クック
 1771年 大法官モープー高等法院と地方高等法院を廃止し権限を六つの機関に分割する
 1772.08.05 第一次ポーランド分割
 1772.06.22 サマーセット事件 英1-1.2万の奴隷解放
 1773年 イエズス会解散
 1774年 機械輸出禁止 
 1774年 ヒナンナシの解体新書
 杉田玄白患者のうち7-8割は梅毒
 1774年 質量保存の法則 ラボアジェ 
 のちにギロチンで処刑 
 1774年 ルイ16世即位 モールパ伯の進言でモープーの高等法院復活
 1774-1776 財務総監テュルゴー 
 国内関税廃止穀物自由化 65パリのギルド廃止
 1775.04 小麦粉戦争
 1775-1783 アメリカ独立戦争-パリ条約
 1776.04.07 米独立宣言 ロイヤリストカナダへ 5人委員会
 Fun Fucts
 united states presidential election results
 1776 国富論アダム・スミス英
 1776 ローマ帝国盛衰史出版 エドワード・ギボン 五賢帝「人類史上もっとも幸福な時代」
 1776-1781.05 ネッケル財務長官 81国王への報告書(粉飾)
 1777-1855 ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス
 1780-1784 貿易をイギリスに奪われた→第4次英蘭戦争
 1780年 ニューヨーク湾凍結 マンハッタンからスタッテンアイランドへ歩いて渡ることが可能であった。
 1781年 ゾング号事件 奴隷は家畜と同様の所有物であり、保険会社は補償金を支払う義務があるという判決
 1783-1804 小ピット首相
 1783年 ラキ火山(アイスランド)噴火、浅間山噴火(天明3の大飢饉)
 1783-1985 グリムスヴォトン火山
 1783-1787 カロンヌ財務総監 自由化産革投資
 1785年 首飾り事件 王権失墜
 マリーアントワネット秘密のベルサイユ
 1786年 「On the Hindu's」においてサンスクリット語が古典ギリシャ語やラテン語と共通の起源を有する可能性があることを指摘した。ウィリアム・ジョーンズ 比較言語学の嚆矢
 1786年 イーデン条約 英→仏自由貿易化
 1787.08.06 親臨法廷新税強制登記も無効 高等法院トロワへ追放も失敗三部会約束 オルレアン公など3人逮捕
 1787.11.07 ヴェルサイユ勅令(フォンテーヌブロー否定)
 1787-1788 ブリエンヌ宰相(財務総監)
 1787-1837(大御所)-1841 家斉在位
 大御所時代(広義)
 1788年「アフリカ奴隷貿易についての考察」ウィルバーフォース ジョンニュートン(アメイジンググレース)
 1788年 高等法院→参事会(参加なし失敗) 17890501の三部会約束
 1788.05.03 王国基本法宣言(高等法院)
 1788.05.10 屋根瓦の日(グルノーブル) レンヌやポーやブリュターニュ革命状態
 1788年 激しい嵐
 1788-1789.07.11 ネッケル財務長官
 1789-1801 寛政の改革
 松平定信 光格天皇
 寛政の三奇人
 林子平 高山彦九郎 蒲生君平
◯1789.07.14-1799 避難爆発10年間2年ごと(賽は投げられた。カエサル) フランス革命 アベ・シェイエス:第三身分とは何か(ミラボーと共に革命を始めナポレオンと共に革命を葬った男)
 トゥイルリー宮殿へ 仏私掠船?海賊?活発化
 オルレアン公暗躍
 1789.08.26 フランス人権宣言
1790年-1830本格化
 1791年 モーツァルト(オーストリア)レクイエム
 1791.04.02 ミラボー死 強壮剤飲んで最高の娼婦とH中に心臓発作
 1791.05.03 ポーランド5月3日憲法
 1791.06.21 ヴァレンヌ事件(ワイン8樽、暖炉2台)
 反革命派と合流するためだった?
 フェルセン帰って良い
 バルナーヴ同行して君主制支持者に? wiki
 ドルーエ通報
 19年後の同じ日にフェルセン殺される
 BUSHOO!JAPAN ヴァレンヌ事件~革命から逃亡したルイ16世達は一戦交えようとした?
 1791.09.03 91年憲法(立憲王政)
 バルナーヴ「国王は誘拐された」立憲王政擁護
 1792.03 ジロンド内閣 戦争喚起ブリッソ
 1792.04 対オーストリア宣戦布告 
 1792.05.21 雲仙普賢岳噴火 寛政4
 1792.06 フイヤン内閣に戻る
 1792.06.20 サンキュロット、トゥイルリー宮殿で乾杯
 フリジア帽子(マリアンヌ:自由の女神)
 1792.07.25 ブラウンシュバイクの宣言
 1792.07 祖国は危機にあり ラマルセイエーズ サンキュロット
 1792.08.10 8.10事件 
 王権停止ルイ16一家タンブル塔幽閉 エベール活躍
 ルイ16世衛兵に撃たないように指示 
 →ラファイエットやバルナーヴ亡命
 1792.09.02 ダントン演説
 「勇気(大胆さ)が、常に勇気が、さらに勇気が必要なのだ」←ダントン虐殺容認
 同日、九月虐殺 14000-16000人虐殺
 ランバル公爵婦人?マリールイーズ?
 首が切り落され、槍の先に突き刺され、高々と掲げられ、王妃が収監されているタンプル塔までパリの街を運ばれた
 Lotus Life フランス革命⑮ 九月大虐殺
 1792.09.20 ヴァルミーの戦い 
 プロイセン軍に従軍のゲーテ
 「ここから、そしてこの日から世界史の新しい時代が始まる」
 普通選挙後の初の国民公会
 1793.01.21 ルイ16処刑(サンジュスト活躍) 
 →対仏大同盟
 01.23 第二次ポーランド分割 ユダヤ人増加?
 04.04 デュムーリェ裏切り 
 04.06 公安委員会発足恐怖政治へ
 05.25 ロベスピエール人民の蜂起を求める演説
 05.31-06.02 ジロンド派追放
 06.01 ロラン婦人逮捕ジロンド派新聞発禁
 06.02 ジャコバン派独裁開始
 俺の世界史 ロベスピエール(カエサルの逆)
 Rekisiru マクシミリアン・ロベスピエールとはどんな人?生涯・年表まとめ
 06.24 93年憲法施行なし(ジャコバン憲法)
 07.13 マラーの死(後絵画) シャルロット・コルデー
 07.17 シャリエ処刑
 08.08-09 リヨン包囲戦
 10.12 リヨンにクートン派遣 寛容な措置
 10.16 マリーアントワネット処刑 エベール活躍
 11.10 理性の祭典 エベール活躍
 12.04 リヨンの大虐殺 フーシェ、デルボワ
 リヨンの霰弾乱殺者→テルミドールクーデターへ
 1794.03 エベール処刑
 1794.04.05 ダントン処刑
 1794.05.07 最高存在の祭典
 1794.07.27-28 テルミドール9日
 フーシェ、バラス、タリアン
 1795.10.24 第三次ポーランド分割 ポーランド消滅 ユダヤ人増加させる?
 1795年 95年憲法(制限選挙) 総裁政府
 1795年 笑気麻酔 ハンフリー・デービー
 1795-1798 東西遊記 橘南谿 
 日本三奇 石乃宝殿 天之逆鉾 四口の神竈
 1796年 ナポレオンイタリア遠征 
 1797.07.10 ヴェネツィアユダヤ人解放
 1798.02 ローマユダヤ人解放のちラインラントも解放 1812ポーランドも解放
 1798年 エドワードジェンナー(英)種痘法発表 紀元前1000年よりアジアて行われていた人痘法にとって変わった 1820年代には普及
 師匠:ジョンハンター
 カルロス4世 世界一周種痘の旅推進
 1798年 トマスロバートマルサス  人口論発表
 マルサスの罠を提唱
 1799年 ブリュメール18日 統領政府 国民公会終了
 1800年 合同法 ウィリアムピット翌年連合王国成立
 1800年 フランス銀行設立
 1800年 ルイジアナ売却(スペイン→仏)
 1800-1816 伊能忠敬、大日本沿海輿地全図作成
 1803年 ルイジアナ買収(仏→米)ジェファソン
 1803年 ベートーベン(独)英雄
 1804.03.21 ナポレオン法典
 
 1804.12.02-1814 ナポレオン皇帝
 『ローマ法大全』を貧乏少尉のころ読破しており、その章句を引用して委員を驚かしたという。
 http://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/nh.shtml
 1804年 ハイチ独立 トゥーサン=ルヴェルチュール 初の黒人独立
 1804年 モルヒネ発明
 1804-1830 文化文政時代(大御所時代)
 天保の改革に対して懐古的に大御所時代
 田沼時代の再来
 1804年 世界初の全身麻酔 華岡青洲
 死んでも恨みません。このまま生きるのが苦しい
 1805年 トラファルガーの戦い
 1805.12.02 アウステルリッツ三帝会戦
 1805年 小ピット死
 1806-1836 エトワール凱旋門建築指示
 1806年 大陸封鎖例
 1806年 ライン同盟 神聖ローマ帝国消滅
 1807年 奴隷貿易廃止
 1808-1813 ジョセフナポレオン スペイン王
 1808-1867 オーストリア帝国(神聖ローマ皇帝退位)
 1811-1817 ラッダイト運動(機械破壊運動)
 1811-1819 南米独立
 1812年 カラカス大地震
 1812-1815 米英(カナダ)戦争 オリバーペリー兄
 レーズン川の戦いを忘れるな→ネイティブ虐殺
 最初で最後のホワイトハウス焼き討ち
 国歌:星の煌めく旗作曲(マクヘンリー砦)
 引き分け?英雄が3人大統領に
 俺の世界史 米英戦争
 1812年 ナポレオンロシア遠征 40万人チフスで死亡
 1813年 ライプツィヒの戦い
 1814年 ナポレオン退位 
 1814-1830 化政文化(江戸中心町民文化)
 市井の中小商工業者が中心
 寺社参詣活発化→各地の情報交流活発化
 1814-1830 フランス復古王政
 1814年 イエズス会復興
 1815年 タンボラ火山噴火 インドネシア 1815年 ワーテルローの戦い
 1815-1848-1856 ウィーン体制 
 1816年 アメリカのブラック・ボール・ライン社がニューヨークとイギリスリバプール間の大西洋航路の定期船運航を開始
 1816年 夏のない年 ニューイングランド、北ヨーロッパ6-7月に雪が降る
 1816年 アルゼンチン独立 サン=マルティン 映画マネートレーダー銀行崩壊
 1816年 メトロノーム発明 ベートーベン利用
 1817年 ブルシェンシャフト運動
 1817年 ディオダティ荘の怪奇談義→吸血鬼とフランケン生む
 1817年 家斉、寛政の遺老達を遠ざけ、かつて田沼意次派に属した水野忠成を老中首座に任じた。忠成は文政小判の改鋳によって通貨発行益をもたらしデフレ不況から好景気をもたらした。
 1817-1824 アジアのコレラパンデミック
 反アジア感情を醸造する
 死亡100-200万人
 1818年 チリ独立 サン=マルティン
 1819年 恐慌
 1819年 大コロンビア(コロンビア、ベネズエラ)独立宣言 シモンボリバル ミタ制廃止
 「私は困難を恐れない大いなる事業の情熱に燃えているからだ」
 「団結せよ去れば我らは無敵となる」
 1819-1901 ヴィクトリア朝
 サリカ法のためハノーファーとの同君連合解体
 1820年 最初の恐竜の化石発見
 英医師マルテル イグアノドンの歯
 1820-1823 スペイン立憲革命
 1820-1821 カルボナリ(炭焼党)の乱
 1821年 メキシコ独立 イダルゴ
 1821年 ペルー独立 サン=マルティン
 1821-1829年 ギリシア独立戦争 詩人バイロン参戦
 1822年 オーストリアロスチャイルド5兄弟に爵位を与える
 1822-1889年 ブラジル帝国 ペドロ1世
 1823年 いや兄さんモロ孤立 モンロー宣言 英カニング
 1824-1886 ビルマ戦争
 1825年 ボリビア独立 シモンボリバル
 1825年 機械輸出一部解禁
 1825年 デカブリスト(12月党)の乱
 1825-1840 英→米2100万人移民
 1825.09.27 世界初の蒸気鉄道開通
 ロコモーション号 ストックトン→ダーリントン61km 時速16km
 1825年 イギリス恐慌
 1827年 写真発明 ニセフォール・ニエプス
 1829年 英オーストラリア領有
1830年-1850完成期 人は去れ7月革命
 1830年 ベルギー王国成立
 1830年 ヘンリー電磁誘導を発見
 1830ごろ ポーランド独立運動 ショパン(ポーランド)革命のエチュード
 1831年 リースの開業医トーマス・ラッタが脱水状態にあるコレラ患者に対して塩化ナトリウムと重炭酸ナトリウムの水溶液を静脈に注射した
 1831-1833 エジプトトルコ戦争
 1831-1865 パーマストン外交(外相首相)
 1832年 戦争論 クラウゼヴィッツ(独)
 1833年 英奴隷制廃止
 1833冉 最初の酵素、アミラーゼ発見
 1834年 独関税同盟成立 クルップ既にあり
 1835年 英国で全国絶対禁酒教会発足 紅茶普及
 1835-1836 テキサス革命
 1835-1837 天明の大飢饉
 期間は1833-1839上記は大規模期
 会津→「かてもの」救荒食の手引書
 大阪→大塩平八郎の乱
 田原→渡辺崋山「凶荒心得書」
◯1836年 電信の発明 デイビッド・オルター
 1836年 ヴィルヘルムフォンフンボルト膠着語提唱
 シュメール、バスク、日本語
 1837年 モールス信号・電信機発明 サミュエル F. B.モールス
 1837.02.19(釈奠) 大塩平八郎の乱
 天明の大飢饉で大阪の餓死者が出る中、代替わりのため江戸へ米送る
 階級制の穴、茶道と会読
貧しいほど情を行動原理として利他的になる
 暴れている間に奪え
 大阪は太閤贔屓、不正無尽
 英雄たちの選択 大塩平八郎
 1837-1901 ビクトリア女王在位
 ヨーロッパの祖母
 ヨーロッパの悲劇
 1837 アメリカ恐慌
 1837-1814 イギリス第二帝国 大英帝国
 1838戦争概論 ジョミニ(スイス)
 1839-1876 タンジマート オスマン帝国 ミドハト憲法成立まで
 1840-1842 嫌よお願いアヘン戦争
 1841-1843 天保の改革 大御所家斉死後
 1843年 機械輸出解禁
 1843年 ファクシミリ 英アレクサンダー・ベインが特許
 1844年 英 銀行勅許法(ピール銀行条例)紙幣発行権独占
 1844.06 オオミガラス絶滅 飛べない鳥
 1845-1849 アイルランドジャガイモ飢饉 
 仏でも凶作
 1846.10.16 エーテル前身麻酔
 https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/15.html
 1847年 センメルベイス・イグナーツ(ハンガリー)手洗い法で産褥熱防止できることを発見 
 予防法発表1861
 精神病院へ1865.07.30
 死亡   1865.08.13
 1847年 シーメンス創業(独)

ナポレオン戦争
1794年 テルミドール9日のクーデター
1799年 ブリュメール18日のクーデター
1804年 威張れよナポレオンいっぱい殺したんだから
ナポレオン皇帝即位
1812年 人は火に負けた ナポレオンロシア遠征
1815年 ワーテルローの戦い