今話題の安保法制について | 富山よしのぶオフィシャルブログ

富山よしのぶオフィシャルブログ

富山よしのぶオフィシャルブログ

安保法制。 知らん人もいると思うけど、日本の安全保障にかかわる法案。

日本の敗戦後、日本の再軍備を防ぐためにアメリカが平和憲法を作り、日本は戦争を永久に放棄をしたのだが、今回の安保法制はアメリカが戦争する時にアメリカの要請を受けて手伝いまっせという法案。

自国防衛や、国民の安全を守るために、とか永田町では色々言うてますが、基本は法案の条文にそんなことは書かれていない。 アメリカへの協力のために武器使用や自衛隊の米軍への協力に関しては明記されている。 

もちろん、日本自ら戦争をしかけたりはしないだろう。 そしてそんなことはできない。

あと、徴兵制とかそんなことにもならないだろう。

しかし、現実的に世界の戦火に巻き込まれる可能性、そして特に自衛隊員が戦場に限りなく近い地域に派遣され、命を落とす危険性、あるいはトラウマで自殺に追い込まれるリスクは高まるのではないかな。

日米同盟の強化法案とも言われる法案だが、前提条件としてアメリカの手伝いをすれば、アメリカが日本を守ってくれる。 だから中国や北朝鮮に対しても抑止力が増すから安全度が増すという理屈がほとんどだろう。 自民党議員もそう信じ込んでいる。

でも、アメリカは日本の無人島に対して血を流すのだろうか? 日本と中国の海洋資源の取り合いに仲介して、日本側について中国と一線を交える覚悟で交渉し、何だったら米軍を出動してくれるのだろうか? 10年前とは米中関係は大きく異なる。 中国がアメリカに大金貸しとるんやね。 中国市場がアメリカにとっては最大の市場なんやね。 そんな儲けられるところと喧嘩したいか? 相手がいくら我儘な奴でも儲けられるんやったらしたたかに行動するはずだ。 結構ドライなんや。 資本主義社会アメリカ。 国益重視。 感情論はそこにはない。 アメリカの国益にかなうのであれば、アメリカは日本を守るが、国益にならないのであれば日本を守らない。 以上。 なのだ。

さて、安保法制。

この法案が可決することにより、日本の自衛隊が米軍の行動に追随し、米軍の後方支援を徹底して行うことになる。 範囲は世界中どこでも。

僕は考えざるを得ない。 日本の国益に本当になるのか?

東日本大震災の支援活動でかけずりまわって感じること。 そこに人がおんねんな。

沢山沢山亡くなられた方がおって、その方を思う感情がそこにはあって、二度と繰り返したくないという強い思いがあるんやね。 自然に対しても憎悪感があるぐらい。

支援活動から今は事業をやっているが、4年経った今でも、ゆっくり観光したり、おいしいもの食べたり、そんなことすることに対して僕自身罪悪感を感じる。 震災直後の1年は食欲もあまり出なかった。 目の当たりにして、苦労されてる方があまりにも多かったからだろう。

人の死に直面するといろんな気持ちが出てくる。 僕の場合は新たな決意で動いたが、自衛官はどうなるのだろう。

戦地で死んでいく人達、死骸の山、子供たちの困窮、女性の自爆テロ、そして自ら銃弾を食らうかもしれない。 もっと悲惨なのは、指示だからと言って、任務だからといって、弾の引き金を引くかもしれないのだ。

僕は戦争を知らない。 現地に行ったこともない。 でも東日本大震災はある程度知っている。

自然災害で、沢山の心の痛みを見てきた。 人が作り出す戦争ではもっともっと沢山の不条理があるはずだ。

日本が自ら起こす戦争とは違い、他国が起こす戦争の戦地に日本人を軍隊として送り込んでいいのか? それが日本の世界への責任か? 他にやれることあるやろ。 日本らしくやるべきことはある。

最前線に立つ人達のことを考えると本当にこの法案で良いのかなぁと思う。

「骨抜き」とか言われるかもしれんけど、僕は戦争を知らない。

戦争を知っていたらどうだろう。 知っていたら、戦争する可能性が上がることは絶対に反対するんやろうなぁ。

このような感情が僕の論理にブレーキをかける。

一応大学院で国際関係学をアメリカで学んできた人間だ。 集団的自衛権の行使は台頭する中国の戦力を考えるとやむを得ないと思わざるを得ない、と教科書通りに考えると結論づいてしまう。 

しかし、本当にその戦略だけでいいのか? 安心なのか? 第二次世界大戦で亡くなった先人の方々を思うと本当にそれでいいのか?

日本らしい打つ手があるのではないか?

もう一回、これを機に国民が考えるべきなのではないだろうか。

安保法制は可決されるだろう。

でも、これを機に、国民が日本の安全保障や、歴史や、これからの方向性や、使命など、色々考えることができ、将来の日本に良い刺激を与えるのであれば、それがせめてもの救いである。

それが無ければ、非常にただただ残念である。