昨日、衆議院議員会館にて会合があった。
訪問看護ステーションというのは従来、2.5人の常駐者がいて初めて開業権を得られる。
ところが、被災地では、医療過疎ということもあり、一人でも看護師がいてくれたら在宅医療サービスを推し進めることができるので、一人でも開業できるという震災特例ができていた。
これを継続してほしいという声と、これを全国に広めるべきだという声を議員や中央官僚に響かせたいというのが主旨目的だった。
しかし、この前日の8月21日に閣議決定がなされ、一人訪問看護ステーションは被災地でも需要無しと判断され、この特例が終了することが通達された。
会合一日前の閣議決定。 政治的な思惑がうかがえる。
ちなみに訪問看護ステーションの事業者数の推移だが、基本増えていない。 横ばいだ。
実情を見てみると年間300件ぐらいが創業していて、年間300件ぐらいが廃業に追い込まれている。 そら増えない。
300件の廃業件数の理由を見てみると、約150件、要は半分が2.5人の看護師を確保できないという理由である。
基準が満たせないのは仕方ないが、ここには「お客様」が置き去りになっている。
在宅で医療サービスを受けられない人が多く、制度によって、全国都道府県の約40%が在宅医療ができない現状である。
この東北の被災地においては、健康な方が、要支援、要支援者が要介護者になっており、この速度は今年かなり拍車がかかると僕は見ている。
が、この時期に、「需要無し」という判断での閣議決定で一人訪問看護ステーションの継続ができなくなるというのは、理屈がよくわからない。
一人看護ステーションが良いか難しいかの議論は僕は置いておく。 ここでは政治的な決定日と政治的な思惑と政治的な理屈の部分で、国民主体ではなく、利権主体である部分が見え隠れすることをお伝えしたい。
また、被災地からの突破口というのはそもそも今の政権下においてはやっぱり通用しない。
自民政権はしたたかである。 利権で継続してきた政権。 とある組織と団体には頭が上がらないだろう。
アプローチを変えるべきである。
真っ向勝負だ。 今は社会保障費の増大、地域の医療過疎、訪問型医療介護の重要性、TPPを皮切りにした外圧。 国際情勢、国内情勢共に規制緩和は避けられない。
しかし、ここで証明しておかなければならないことがある。
在宅でコメディカルの方々は本当に対応が可能なのか?
ここにも大きな課題がある。
医療介護関連有資格者の質、技術、知識量が大きく問われる。
何よりも、人間力が大きく問われる産業にならざるを得ない。
しかし、税金投入と保護された保険点数制度による収入確保と資格と言う「まやかしの安定」によって、努力と向上があまり見受けられなくなっているのも現状だ。
制度改革と同時に、医療介護従事者の学生時代からの教育改革が大きく必要になる。
知識や技術もだが、特にモラル基準の高さが現場では問われる。
今、国際競争にさらされたら、全く太刀打ちはできない。