本当に、すごく楽しい小説を読んだな!
と素直にただそれだけ叫びたい気持ちだった。
けれど落ち着いてくるといろいろ言葉が出てきたので、吐き出しておきたい。
拙者がこの本を手に取ったのは、もちろん伊坂幸太郎先生の「とにかくこの小説を世に出すべきだと思いました」という赤い帯のおかげであったし、リアルなタッチのシロクマと目があったせいでもあるけれど、やはり「レプリカ」という言葉に引力を感じたことが大きい。
レプリカ。
ちょっと不気味な感じがする。
複製、偽物、量産、均一、冷徹。
そこはかとなく不気味なのだ。
レプリカたちの、夜。
小さい頃に読んだ、夜の博物館で剥製が動き出す小説を思い出した。
あんなふうに愉快な話かもしれないし、「レプリカ」の印象そのままのダークな話かもしれないとも思った。
読んでまもなく、どちらも正解だったことが分かる。
不気味な世界のなか、隅々まで散りばめられたユーモアが、声が出るほど面白いのだ。
拙者たちの感覚とは微妙に、確実にずれている価値観が心地よい。
それが主人公の穏やかさと相まって、ナチュラルにくすぐったいのだ、笑ってしまう。
ユーモアと、謎と、ニヒルで三編みみたいになっている。
最強トライアングルではなかろうか。大好きだ。
解説でも文体について触れられているけれど、拙者もあの文体が好きです。
なんでもないプラスチックが、素晴らしいメガネで見るとダイヤモンドに見えるみたいな現象が起こっている。
どの言葉のフィルターを通すかで、現実は格段に違って見える。
一條先生の言葉フィルター虫眼鏡みたいなのを使って、いろんな現象を観察してみたい。
きっと、どれほど下らない喧嘩でも、絶望の中の希死念慮でも、新しい言葉で形を変えてくれるに違いない。
さて、こうして感想を述べてきたわけだけれど、これは一体誰の言葉なのか。
もちろん、よその記事からコピペしてきましたとか、そういうわけではない。
この作品の核になる部分は、「自我」である。
拙者はこの類の話が大好きだ。
「自分探し」とか「本当の自分」とか、昔考えていた時期がある。
今思えばバカバカしい気持ちが湧くけれど、あのときは真剣だったし、実をいうと今だって気になっている。
けれど、拙者も、この作品も、ちょっと納得できる答えを見つけてしまったのだ。
遺伝、というのは恐ろしい。
性格のほとんどは、遺伝子に組み込まれている情報で決まるらしい。
あとは、周囲の環境から受けた影響。
拙者が「レプリカ」という言葉を不気味に思うのは、過去にそういう作品に触れたことがあるからかもしれない。
拙者が本を好きなのは、遺伝子に組み込まれていることなのかもしれない。
父は本が好きだ。
父は異世界転生モノが好きだけれど、拙者はそうでもない。
ではそこが拙者の自我、個性だろうか。
いや、友人の趣味とか、図書館にあった本とか、当時流行った漫画とか、そういう影響を受けた結果、父と趣味がずれただけだろう。
結局は周囲からの影響。
実際、高校生くらいまでは父と趣味が丸かぶりだった。
友人が少なく、お小遣いも少なかった拙者には、選択肢だって少なかった。
だから大人になって、多少自由にお金が使えるようになった今、これまでに受けた影響が反映されるようになったのだろう。
新しいジャンルに挑戦する金銭的な余裕が大きい。
ほら、外界からの影響!
昔は、既に追っている作品についていくだけでも精一杯だった。
だって本は毎月、何冊も刊行されるのだ。
では、そんな無数の選択肢から本を選び取るのは、拙者の自我と言ってもいいだろうか。
言いたいなあ。
言いたいけれども、「自我」とか「本当の自分」とかを突き詰めていくと、そんな簡単に、拙者の価値観でこれを選びましたと言えないような気になるのである。
本当の自分なんてない。
自分というのは常に流動的である。
常に外部からの影響を受けている。
拙者が今ブログを書いているのだって、拙者がブログを書こうと思ったのではない。
読んだ本があまりにも楽しいから、書かずにいられないのだ。
本に書かされている。
雨が降ったら早足になる。
いい天気ならゆったり歩きたくなる。
疲れてるからコンビニで夕飯を済ませる。
お祝いの日だからちょっといいお店に食べにいく。
すべては反応だ。
選択ではない。
……とか言っていると悲しくなってくる。
拙者ってなんなんだ。
また考えてしまうけれど、拙者はそれの脱出方法を知っている。
それは、あらゆる質問に答えられるようにしておくことだ。
・どんな本が好きですか?
ファンタジーとかミステリーとか百合とか暗いのとか。
・ミステリーってどんなのですか?
人が死ぬやつより日常系のやつです。
・探偵と警察と小市民、誰に解決してほしいですか?
もちろん探偵ではないでしょうか。小市民も好きだけど。
というか小市民が探偵やってるのが好きです。
・ミステリーの舞台はどこがいいですか?
学区内。
・学校が好きですか?
そんなわけはありません。
・セーラー服とブレザー、どっちが好きですか?
セーラー服。袖のふわふわがたまりません。
・学校で嫌いなものはなんですか?
黒板消し、扉、シューズ、トイレ、椅子、喧騒、人の目です。
・学校で好きなものはなんですか?
チョーク、教室の床、漢字テスト、桜、美術室の石膏、美術準備室。
・シャーペンは何を使っていますか?
ぺんてるさんのグラフギア、0.7ミリ。2B。お気に入り。
・消しゴムは?
なにかの参加賞でもらった黒いやつ。嫌い。
どうだ。
全部同じ回答の人がいるだろうか。
……いるかもしれない。
きっといるだろう。
けれど、もっと質問を増やしていけば、絶対に違う答えが出るはずだ。
哲学的に考えても、きっと「自分自身とは」なんて問いに答えは出ない。
ならばもっとフラットに、自分が何を好きで嫌いかを真剣に考えたらいいのだ。
その質問を重ねてできた形が自分自身ということになる。
もっと分かりやすいのは、本棚かもしれない。
この世に同じ本棚があるだろうか。
きっとない。
拙者の本棚には拙者の好きな本と、きっと好きであろう積読がある。
その並べ方も、大判であるか文庫であるかも、他の誰かとは違うだろう。
自分はなんなのかと不安になっても、自分の中に答えはないのだ。
人間は誰しも流動的で、外界からの影響を受け続けているからだ。
だから自分の形を知るためには、外側に意識を向ける必要がある。
そう考えると、この作品の登場人物たちは、確かに生きていたと思う。
音楽が好き、動物が好き、女性が好き。
それぞれ、特別な好意を抱く対象があった。
他のどんな記憶が消えても、根底にはそれがある。
それで十分ではないだろうか。
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