「中国、インド、フェイスブック」。


本の帯に記載されている言葉の意味が分かるだろうか。


フェイスブックのユーザー数は、2011年1月の時点で約5億人。フェイスブック人口は、数字の上では世界第3位に相当するというわけだ。


日本では、まだピンと来ない人が圧倒的に多いかもしれない。同時点でのフェイスブックの日本人ユーザー数はまだ200万人弱。実は、日本は「フェイスブック後進国」なのだ。アメリカでは、初対面どうしが名刺を交換する代わりに、「フェイスブックをやっていますか?それでは、アカウントを教えてください。」というやり取りが行われるという。アカウントを持っていない場合、相手が困惑してしまう場合があるという。


この例が極端なのか、それとも標準なのか今の私には分からない。だが、近い将来の日本でも同じような光景が見られるかもしれない。


さて、私がこの著書を読んで感銘を受けた箇所は、フェイスブックの利用目的から考えられる脳への影響である。


元々フェイスブックは知り合うことが前提の「人脈開拓ツール」として出発している。ここから派生して、①世界中に友達をつくる、②ビジネスチャンスを広げる、③恋愛の対象探し、④より広い対象に商品・サービスを売る、⑤自分の可能性を見つける、などユーザーの目的は多岐にわたる。しかしながら、これらの目的を一言で簡潔にまとめるならば、「要するに、フェイスブックは思考の枠を広げる」ということになろうと思う。SNSが隆盛の時代、情報はいくらでも手に入る。会いたい人がいれば、なんとか手を尽くせば「早く」「色々な手段で」会える時代になっている。インターネットがない時代はこうはいかなかった。まして現代では、双方向型のコミュニケーションツールはひとつやふたつではない。自分からアクションを起こせば、できないことはない時代になっている。加えて、人間自体が移動できるスピードも10年、20年前と違い過ぎる。どの家にもTVくらいしかなかった時代とは、情報と出会うまでのスピード・人間と出会うまでのスピードが違い過ぎるだろう。やろうと思えば、できるのである。

 

どこからどこまでが自分の体なのだろう。起点を自分の脳みそに置いて、世界中が自分の身体の一部であるような感覚で歩いてみるのも良いのかもしれない。


まだ、フェイスブック未体験の人も、とりあえずアカウントくらい作ってみませんか。






「いやぁ、読書は良い。

さぁ、行動につなげよう。」