こんにちは 吉村龍泉です。


いつもブログをお読みいただき、

ありがとうございます。



今日エチカ池袋鑑定所へ

来る時の出来事というか、

今までは気に止めない、

流していたことなんだと

思います。


それは、

駅のホームでの

通勤時間の光景。


駅員が立っている。

私は電車の窓ごしに

何気なく見ていた。

そろそろ電車が発車するかと

いうとき、

その駅員が、

『ドアが閉まっております。』

いった。

でも、電車のドアは閉まっていない。

嘘だ❗ 

駅員はウソをついている。



しかし、

これは、

電車安全運行を守るため、

駆け込み乗車を防ぐための

方便で。

いわゆる、

嘘も方便である。


ここでふと
変な事というか
観点の違うことを
考えてしまいました。

自分の行為についての
ことです。

この行為の表現としては、
駅員が何を言っているのだと
注意して聞こうとしている
わけだから、
「耳をそばだてる」とか、
「聞く耳をたてる」に
なるのでしょうか。

けれども、

鳥のさえずりを聞こうと
する時は、
「耳を澄ます」に
なりますよねぇ。

決して、「聞く耳を立てる」
とは、言わないですね。


行為としては、同じ注意して
聞こうとするものなのに、
対象や状況が違うと、
日本語は言葉の表現を
変えます。


日本語って
面白いですね。



また、こういうものも、
あります。

個性という言葉。

個として性(さが)ですね。

他の人とは違うということ。

これは、二つに分類できると
思うのです。

一つは、他人ができることが、
出来ない。

もう一つは、他人ができない
ことが、出来る。


これを個性の中の

長所・短所と云います。

しかし、

上記の出来る出来ないだけでは、

長所・短所は決まりません。


では、
何によって決まるのかはてなマーク


それは、世の中に
役立つか、役立たないに
よって決まり、
受け入れられるか、
受け入れられないかに
よって決まるのです。


だから、

他人ができないことが、

出来ても、世間に受け入れ

られなければ、それは、

短所になるわけです。


極端な話、
二人の人間が、
まったく同じことを行っても
ひとりが世間に受け入れられ、
もうひとりが世間に受け入れ
られない場合もある。

怖い話叫び叫び


あと、もう一つ

腐敗と発酵という言葉。

腐るという行為は、

どちらも同じです。


これも、

人間に利益をもたらすものが、
発酵で、
人間に不利益をもたらすものが、
腐敗になります。


場合によっては、
不利益なものが、研究などで
利益があるとわかれば、
腐敗が発酵に変わるわけです。


面白いですね。