こんばんは 吉村龍泉です。
芸能などで
活躍したければ、
ここへ行って来い
といわれる開運場所を
訊ねました。
そこは、
すいません。<(_ _)>
本番
(おののたかむらのみこと)は、
平安時代の初期から中期を生きた
実在の人物です。
小野氏は敏達(びだつ)天皇から
始まり、小野妹子を経て、
参議(朝廷の官職)小野岑守(みねもり)
の子篁へと続く家系で、
篁は、802年(延暦二十一年)に生まれ、
平安時代初期は儒学者や歌人として
識られ、下野国(しもつけのくに:現在の
栃木県)の任に着き、我が国の学校の
始めである足利学校を創設し、
遣唐副使の重任にも任ぜられ、
「令義解」を撰し、「経国集」 「和漢朗詠集」
「扶桑集」 「本朝文粋」等の文集を
残されてました。
百人一首 『わだの原 八十嶋かけて
漕ぎ出ぬと 人には告げよ
海士のつり船』の詠み人としても
知られ、野相公と称され、
学問の神様・芸能の神様として
広く尊崇されています。
また、子孫には書家で三蹟の
一人の小野道風や、歌人で
六歌仙の一人の小野小町が
居ります。
当社はもともと今から凡そ
千百餘年前の852年(仁寿二年)に
上野照﨑の地に創建され、
のちにこの地に移されました。
その願いが通じたのか、
ついににちの
国民的人気映画になる
主役の座を射止めることが
出来ました。
これ誰だか
分かりますか?
映画『男はつらいよ』
渥美清さんですよ。
『私、生まれも育ちも
葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、
姓は車、名は寅次郎。
人呼んで、フーテンの寅と
発します。』
まさに
大開運
このようなエピソードも手伝い、
若手芸人や音楽家、芸術家たちが
夢の成就を願って参拝に訪れる
ようになり、今でも、仕事や習い事の
上達を願い多くの方々が、
足を運んでいるようです。
お笑いコンビの
千鳥のノブさんも
東京進出にあたり、
ある方から云われて
小野照﨑神社に
参拝したところ、
すぐ売れるように
なったそうです。
(本人談)
これも開運!
芸能関係・音楽関係の方、
まだ訪れていない方は、
是非、参拝しては
いかがでしょうか。
また、芸事をされている方、
占い師もどうぞ!
私もお守りを頂いて
参りました。
そうだ !
忘れてた。
ここの宮司さん、
なかなかの
イケメンなんです。
写真を撮るの忘れました。
これは、訪れての
お楽しみ (^∇^)