こんにちは 吉村龍泉です。

 
今は、ちょっとした空き時間・息抜きに
 
Youtubeで落語が見られる・聴ける状態、
 
いい時代になったな~ぁ。と思います。
 
 
自分が落語に興味を持ったのは、
 
『山のアナアナ』からかなぁ。
 
2代目三遊亭歌奴、3代目三遊亭圓歌師匠の
 
新作落語『授業中』の一節で、
 
小さい頃好きでよく口ずさんでいたっけぇ。
 
これを云うと年齢がバレちゃうけどね。(笑)
 
 
ある落語家が、こんなことを云っていた。
 
「昔は、高座の上より、お客の方が学があった。
 
今じゃ、高座の上も学がある。
 
場合によっては、お客よりも
 
落語家の方が高学歴だ。」
 
東大出の落語家がいるくらいですからねぇ。
 
 
おっと いけねぇ。いけねぇ。
 
話が横丁に入っちまったい。
 
余計な要らんこと云うまえにと、
 
あぶねぇ。あぶねぇ。
 
 
この間、5代目古今亭志ん生師匠の落語を
 
聴いていて、勉強になったね~ぇ。
 
(いつもは、柳家小三治師匠や立川談志師匠や
 
古今亭志ん朝師匠や桂枝雀師匠や
 
古今亭菊之丞師匠の落語を聴いている。
 
ほとんどコジン魂 ドクロ
 
古いのは録音レベルが低く、雑音が入り、
 
聴きにくいと思い、敬遠していました。)
 
こういう諺があるんだぁ と思いました。
 
それは、『風呂敷』に出てくる言葉、
 
ことばが違っているようで、
 
内容が同じという同工異曲です。
 
「・・・女わねぇ。3階に家なしってくらい
なもんだ。3階に家なしって言葉だよぉ。
3階にいてだねぇ、下りるのが大変だから。
もう女は家はねえ(ない)。・・・」
 
女三階に家なし やじるし 女三界に家なし
 
女三界に家なし (本来は):
女は三従といって、幼い時は親に従い、
嫁に行って夫に従い、老いては子に従いと、
一生の間、どこにも安住の場所がないと
云うこと。現在は一概にはいえませんがね。
 
 
 「・・・貞女は屏風にまみえずといってなぁ。
貞女がこっちにいて、屏風がありゃ。
むこうが見えねんだ。悲しいことじゃねえか。」
 
貞女は屏風にまみえず やじるし 貞女は両夫に見えず
 
貞女は両夫に見えず (本来は):
亡夫に操を立てて、再婚はしない。
これも現在は一概に・・・?。
 
 
次の諺は知らなかった。
 
「・・・おでんおでんに靴くつを履かずという
のわねぇ。おでんおでん右を食べるのに靴くつ
履いちゃいけないんだよ。おでん屋おでん
靴を履いて食べてて、勘定をおかないで、
駆けだしたら速いだろう。むこうを心配
させんじゃねぇか。・・・」
 
おでんに靴を履かず やじるし 瓜田に履を納れず
(かでんにくつをいれず)
 
「・・・じかに冠をかぶらず。直に冠を
かぶったりしちゃあ、痛くてしょうがない。
そこに手ぬぐいでも何でも入れて
かぶらなくっちゃいけないという
親切な言葉だよぉ・・・」
 
直に冠をかぶらず やじるし 李下に冠を正さず
(りかにかんむりをたださず)
 
 
どちらも、他人に疑われるような事を
 
するなと云うことです。
 
瓜田に履を納れず (本来は):
瓜二つ メロンの畑の中で靴を履き直すと、
瓜を盗むと疑われると云うこと。

 

李下に冠を正さず (本来は):
すもも(すもも)の木の下で冠を被り直せば、
李を盗むと疑われると云うこと。
 
 
落語でことわざの勉強ができるとは、
 
思いませんでしたよ。(^▽^)