こんばんは 吉村龍泉です。

 

 

のろいまじない、そしてうらないが、

 

どういうものなのか?

 

どう違うのか?

 

説明できますか。小鸡鸡思考

 

 

自分もあやふやなところがあり、

 

しっかりと述べることができないと思い、

 

ちょっと調べてみました。

 

 

のろいまじないは、

 

漢字では「呪」と書き、

 

同じ漢字を使います。

 

元々「呪」の字は、「祝」と同じで、

 

人が神前で祈りを唱えることを

 

表しています。

 

しかしのちに、「祝」は幸いを祈る場合、

 

「呪」は不幸を祈る場合に

 

分用されるようになりました。

 

のろいは、恨みや憎しみのある人に

 

災いをくだすように神霊にいのることで、

 

まじないは、災いや病気から逃れ、

 

またはそれを人に下すように

 

神霊にいのることです。

 

一方、うらないは、(術〔わざ〕をつくして)

 

未来を予知することです。

 

また、のろいまじなは、

 

それを行うことによって、

 

他者に変化をもたらす

 

可能性があるということ。

 

うらないは、

 

それを行うことによって、

 
他というより自分の心に変化を
 
もたらす可能性はあるが、
 
実質的何か変化は起こらない。
 
のろいまじないうらないについて
 
しっかり述べられている文章をみつけたので、
 
引用(記載)させて頂きます。

 

「のろい」も「まじない」も「うらない」も、

どの民族もが昔から持っていたもので

ある。昔の術者は、ひとりでこれらの

ものを修得し、行い得たから、世人は

同一系列のものと見なしてきた。が、

この三つは同根ではあっても、同じ

枝ではなく、同種の果実ではない。

・・ ・・原始未開の無智蒙昧な連中が

発想し、行ってきたものだから、と

同一視してはならない。

「のろい」と「まじない」には、ごく似た

ところがある。しかし、「うらない」は

違うのである。「のろい」や「まじない」

は、自然や人にはたらきかけ、冥々裡

につよい影響を与えると信じて、

行われたものである。のろいによって、

他者を変えうるとし、まじなうことに

よって、他者をうごかしうるとした。

のろう者の恃んだのは、呪術者の

超越的スピリットであり、まじなう者の

恃んだのは、禁厭者自身より偉大な、

超凡なパワーの持主である。

ところが「うらない」は、その点甚だ

無力であった。(時間的・空間的)

先見して、おのれを変えようとした。

他者と違和していれば、それとの

調和をはかり、あるいは順応し、

あるいは対処しようとした。

外のもの(私のいう易神)は、先見

を教えてくれても、呪術者の“神”の

ように、威圧を加えうるものとは見て

いないし、禁厭者の“神”のように、

術者に力を貸す味方とは見ていない

のである。「のろう者」も「まじなう者」

も、その“神”を僕(しもべ)として駆使

したが、「うらなう者」は、その“神”を

偉大な真理と見てきたのである。

 

実占研究の昭和43年6月号の

巻頭言より 紀藤元之介 述