こんばんは 吉村龍泉です。

 

南青山にある根津美術館へ行って来ました。

 

『円山応挙展』を鑑てきました。

 

 

円山応挙といえば、「藤花図屏風」 非常に素晴らしいものでしたが、

 

自分としては、龍泉という名前なものですから、

 

「雲龍図屏風」が大変気になりました。

 

龍自身におどろおどろしさは感じなかったのですが、

 

立体感と存在感を受けました。

 

また、「写生雑録帖」では、写生の緻密さ・几帳面さが窺えました。

 

しかし、今回の本来の自分の目的は、「七難七福図巻」を鑑賞することでした。

 

「七難七福図巻」は、天災巻(上巻)・人災巻(中巻)・福寿巻(下巻)の三巻から

 

なっています。具体的には天災巻では地震、洪水、大火、雷、鷲、狼、大蛇と

 

恐ろしいシーンが続き、人災巻では盗賊、追いはぎ、心中、水責め、切腹、自殺、

 

火責め、獄門、斬首、磔(はりつけ)、鋸挽き(のこぎりびき)、牛裂きと目を背け

 

たくなるような場面が展開します。そして、福寿巻では、長寿の祝いのほか

 

幾つかの祝いの場と送迎するための車馬や従僕達、祝いのための食膳を

 

準備する台所の賑わいなどを一巻を通して描いています。

 

 

私が注目したのは、人災巻(中巻)の

 

 

盗賊や追いはぎなどの顔です。いかにも悪相そのものでした。

 

円山応挙は、人相(観相)を学ばれたと聞いています。

 

 

悪相とは、眼光が鋭く出ていて、顔も体型もデコボコ・ごつごつしており、

 

蛇のような、また鼠のような、険悪で執念深い印象を与える。それから声は、

 

狼のような恐ろしい声である。(古典『神相全編』より)

 

 

次に、福寿巻(下巻)においては、

 

 

注目したのは、身分の高い人とそうでない人の人相の違いです。

 

さすが、応挙よくお解りと思ったのは、眉と目の間の田宅という部分の描き方です。

 

田宅(宮)とは、世襲財産の事が現れる所で、先祖や親などから戴いた徳分や

 

地位などの無形の世襲財産と山林や田畑や宅地などの有形世襲財産が現れます。

 

ある意味、眉と目の間が広いほど世襲財産があると云えるのです。

 

但し、傷や黒子やシミや苞(でき物)などの障りが無い方がよいのですが。

 

○ 身分の高い人 (田宅宮が広い

 

 

田宅を広くするため、わざわざ眉毛を描いた方もいます。

 

財産が増えることを願って。

 

 

○ 身分の低い人 (田宅宮が狭い

 

 

 

 

「七難七福図巻」は、落款に明和五戊子年仲秋圖と記載されています。

 

明和五戊子年とは1767年 七赤金星で、仲秋とは秋分の頃で、

 

現在でいうとの9月22日か23日頃、辛酉月の一白水星ですね。

 

 

 

 

展示品を鑑賞した後、庭園へ・・・・・。

 

 

兎に角、都会の真ん中なのに、庭が広いこと。

 

紅葉がきれいでした。 

 

南青山で紅葉狩りができるとは。

 

リフレッシュできました。 感謝です。カナヘイうさぎ

 

 

立冬も小雪過ぎで

 

紅葉狩り 

 

これ如何に

 

お粗末でした。てへぺろうさぎ <(_ _)>

 

 

 

そして、帰路へ。

 

 

 

※ 根津美術館: 東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎

(1860年~1940年)が蒐集した日本・東洋の古美術品のコレクションを

保存し、展示するためにつくられたものです。