こんばんは 吉村龍泉です。

 

昨日テレビで、急増しているニートが、

 

多数出てきた番組を観ました。

 

自称アイドルの家なき娘で募金で生活し、

やたら相手をイラつかせる発言で、

タレントを挑発する女性や

俺は大物で型にはまりたくないと豪語するが、

にやけたチャラ男や

ギャンブルの稼ぎだけで30年の間

なんとか暮らしてきた男性(たぶん税金は

支払っていないでしょうね)や

ブラック企業に入ってしまったことや

不向きな職業を選び自信喪失で、

働くことに怖さ抵抗を感じている人たちや

山奥で生きるニート青年、自給自足かと思いきや

支援するNPOに家などを提供されて生活。

 

さまざまなニートさんが出演していました。

 

但し、ニートさんの目はみんなくすんでいて、

何処となくオドオドしていました。

 

このようになったのはいろいろと事情があったのでしょう。

 

でも、自分がこのようになったのを

 

社会や自分以外の所為(せい)だと言うのは、

 

どうかと思いました。

 

 

『言葉はこだまする』と謂うことをご存じですか。

 

「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えれば、

「ありがとう」と返ってくる。

「バカヤロー、ふざけんな。」と叫べば、

「てめえこそ、ふざけんな。バカヤロー。」と

返ってくる。

 

言葉は言霊だからこだま(木霊)するのだと思います。

 

 

自分がしたことは、遅かれ早かれ必ず自分が味わう

 

と云うこと、

 

自分の行動や思いが、それに相応しい自分の人生を作る

 

と云うことなのです。

 

 

人相の古典『神異賦』にこんな言葉があります。

 

 人生富貴 皆由前世修行。

(人の富貴に生るゝは、皆な前世よりの修行に由る。)

 士處貧窮 是盡今世作悪。

(士の貧窮に處るは、是れ今世の作悪に尽く。)

 

金持ちの家に生まれるか貧乏な家に生まれるかという

“生まれ”とその人が持っている“相”は前世の修行に

因ると言っています。しかし、立派な人が貧窮しているのは、

今世の行いに間違いがあったからだとも言っています。

 

何でもかんでも前世に因るわけではないのです。

 

立派な人でも生まれてからの行動や思いを間違えれば、

 

貧苦するわけです。

 

 

 

皆さんは、どう思われますか?