座禅ではお食事を頂くときに、感謝の気持ちを述べます。

岩下マナー教室で教わったこと。

 

一つには、功の多少を計り、彼の来処を量る。

・昔から八十八夜のもみ種を苗代におろしてから、一杯のご飯になるまでには、

八十八人以上の人手を煩わすといいます。

そうしてみますと、一杯のおつゆ、一皿の小菜などににも、

「目に見えない人たちのお世話にならねばならない」と心したいものです。

 

二つには、己が徳行の全欠をはかって供に応ず。

・沢山の手を煩わした尊い食事を戴くのに、自分は応えるだけの務めをはたしたかどうか、よく反省してみましょう。

 

三つめには心を防ぎ、過(とが)を離るることは貧等を宗とす。

・このように多くの手を煩わした食事に対して、不平不満をいだいてはいけません。

勿論、食べすぎ飲みすぎもよくありません。

 

四つには、正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり。

・食事は贅沢のために戴くものではありません。肉体が枯れるのを防ぐため良薬とおもいましょう。

 

五つには、同業を成せんが為、将に食を食をうくべし。

・人間は食べるために生まれてきたのではありません。働くために生まれたのです。

働くなかでお互いに助け合い、「おかげさまで」という気持ちを大切に生きていきたいものです。

 

私たちは、82歳まで生きたとしても3万日の人生です。

3度3度のお食事を頂ける回数も決められてるようです。毎回の食事を作ってくださった方、材料を提供下さった方たちに

感謝の気持ちを持って大切に頂きたいものです。

 

 

 

ある本で読んだのですが、

ある極一部の学校では「いただきます」を言わせない学校があるそうです。

話では、学校の給食費を払ってるのにいただきますはおかしいとクレームがあったり、

思想の強要だという方がいらっしゃるようです。

 

信じがたい事態が現在の教育現場でおきてるのですね。

 

素晴らしい言葉で日本の文化だと思いますが、、、

感謝の意味を理解してほしいものです。