よしもん

今日は第8節「釈迦の悟り(1)-大悟」です。


ここでは、釈迦の悟りがいかなるものであったか、

それが説かれています。


Mさん

釈迦の悟りの内容を説く、というのは、

大川先生が、釈迦の悟りを超えていることを

意味しますね。


よしもん

その通りだと思います。

この1節だけを読んでみても、

「太陽の法」が、人類最高の悟りと言われる

釈迦の悟りをはるかに超えている、ということが

わかります。


釈迦は29歳で出家しましたが、出家当初、

当時のインドの伝統的な修行方法から

入っていきました。


それは、苦行であり、苦行を経て死んだ者は

最高の覚者であるとされていました。


釈迦も、体が骸骨のようになるまで苦行を続け、

もう、死んでしまう一歩手前で、スジャータという娘の

乳がゆの供養を受け、中道を悟り、その後、大悟された

とあります。


苦行のように、極端に体を痛めつけるのは、

緩慢なる自殺行為であるし、かといって、

本能のまま、欲望に生きることの中にも

真の幸福はない。


「真の人間の生き方は、左右の両極端をすて、

中道の中に真理を発見していく生き方である。

人間として均整のとれた生き方のなかにこそ、

中道があり、そこにこそ、苦楽を去った大調和の

世界が現出するのである。」

「太陽の法」幸福の科学出版より


Mさん

中道にあって、八正道を実践する中に、真の幸福が

ある、ということを悟られたのですね。


よしもん

そのように説かれていますね。

釈迦の真なる悟りは、私たちには計り知れませんが。


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中道、そして八正道、という教えを見たとき、

そこに信仰というものがあるのか、という疑問が

出てくるかもしれません。


しかし、八正道というのが、正しき心の探求である以上、

正しさとは何か、何をよりどころとして、正しい、と

判断するのか、そこに、仏陀への帰依の心が

求められるのです。


釈迦の教えに照らして、自分は間違っていないか、

正しい生き方をしているか、ということを反省する

ことができるのです。


現代に置き換えれば、大川隆法総裁先生の

教えに照らして、正しいかどうかを反省するのです。

そこに、再誕の仏陀への信仰があるのです。