『男と女の脈拍」は違って当然だ!

男性の脈拍の方が強く打つ

女性の脈拍は弱く打つように

神秘的にできています

女性の脈拍より

男性の脈拍は強く大きくゆっくり

脈拍が打つべきです。

 

脈拍は心臓と血管が深くかかわっています。心臓は拍動を行うことで全身に血液を送るのです。

 

 

 

「男の脈拍数平均6

0~78回女性の脈拍数平均70~90回」

 

男性の脈拍の方が強いのです

 

葉隠に生きる!

 

「男と女は、脈拍の強さが違うべきだ」

 

 

男は、強くなければ男ではない!

 

男は、やさしくなければ生きて行く資格がない!

 

「男脈は極太で力強く、

女脈はやさしくなおやかに打つものだ」

 

男の脈は、50Kメートル歩き続けても、びくとも変わらないものだ

 

男の脈は相手から殴られようが蹴られようが微動だにしないものだ

 

・・平手打ちなどくらっても「平常心」を失わないように

 

幼い時から親が崖から落とし・・・崖から落とし・・這い上がる逞しさを

 

教えたものだ・・・・何かが起きても親から戴いた命は大事にするように育てられた。

 

終戦後「男らしい男が居なくなった。」

 

その原因は「徴兵制」が無くなったからだとも言われている。

 

韓国人が日本の男がなよなよしているのは

 

「徴兵制」がないから

 

気持ちが悪いと笑って馬鹿にした。

 

国を守り、妻を守り愛する恋人を守ると言う本能が失われたのである。

 

「まるで、男なのか?女なのか?わけの分からない男が増えてきた」

 

江戸の末期に「山本常朝は嘆いた。

 

まるで・・・平成の男を嘆いているようだ。

 

「愛する国も、愛する妻も子供も、愛する恋人も、守れない男は駄目だ」

 

そのためには・・平素から文武をおさめて、マッチョでなければならない。

 

鍛え抜いて、体が引き締まり気力が充実していなければ男ではない。

 

男脈と女脈が同じになったとき・・・・日本は滅ぶ!

 

葉隠聞書1036

 

 

男らしい男が居なくなった風潮

 

或人の咄に、享庵先年申し候は、

  「醫道に男女を陰陽に當て、療治の差別有る事に候。
  脈も替り申し候。然るに五十年以來男の脈が女の脈と
  同じ物になり申し候。爰(ここ)に氣がつき候てより、
  眼病の療治男の眼も女の療治に仕りて相應と覺え申し
  候。

 

男に男の療治をして見申し候に、その驗(しるし)
  これなく候。さては世が末になり、男の氣おとろへ、
  女同前になり候事と存じ候。これは慥(たし)かに仕
  覺え申し候事故、祕事に仕置き候。」

と申し候由。

 

これに付て今時分の男を見るに、いかにも女脈にてあるべしと思はるるが多く候。

 

あれは男なりと見ゆるはまれなり。

 

それに付今時少し力み申し候はば、安く上手取る筈なり。さて又男の勇氣ぬけ申し候證據には、しばり首にても切りたる者すくなく、まして介錯などといへば、斷りの云ひ勝を利口者・魂の入りたる者などと云ふ時代になりたり。

 股ぬきなどと云ふ事四五十年以前は男役と覺えて、疵無き股は人中に出されぬ樣に候故、獨(ひとり)してもぬきたり。皆男仕事血ぐさき事なり。それを今時はたわけの樣に云ひなし、口のさきの上手にて物をすまし、少しも骨々とある事はよけて通り候。若き衆心得有りたき事なり。

 

 

【訳】ある人の話だが、医師松隈前の亨庵がこういったという。

 

 「医術においては、男女を陰陽にあてはめて治療にも差別をつけており、脈も男女の相違があるものです。ところがこの五十年ほどの間に、男の脈も女の脈も差別がなくなってしまいました。これに気がついたので眼病の治療でも男に女の治療をするようになりました。そして男に男の治療をして見たところが、一向に効果があらわれないので、さては世も末になったので男の気がおとろえ、女同然になってしまったのかと気づいたことでした。

 

これは確かに体験したことなので、秘伝としてあります。」  このことを頭において近ごろの男を見ると、いかにも女脈のように思われるものが大部分であって、これこそ男と思えるような者はまれである。それだけに、近ごろでは、いささかの努力によっても、たやすく人の上位に立つことができるはずである。  

 

さらにまた、男が勇気を失ってしまった証拠には、縛り首にされた罪人を斬ることさえもよくできず、まして切腹の介錯などといえば上手に断る者が利巧で心がけのよいように思われる時代となってしまった。  

 

四、五十年以前までは胆だめしのため股に刀をつきたてるようなことが、男らしいとされ、疵のない股などは人には見せられぬほどであったから、自分の手でもやったものである。こうしたことはすべて男らしいこととされていた。

 

それが今日では、馬鹿もののすることとされ、口先の器用さで物ごとをすまし、多少なりとも骨の折れることは、よけて通るようになってしまった。  若い人々はこうした点をよくよく考えてもらいたいものである。