『葉隠』は今も脈々と生きている。日本最高の書物です。
葉隠は江戸の中期の「武士道の書物」でした。
佐賀鍋島藩家老の「山本常朝」の著です。
藩士の「田代陣基」が家老の言葉を聞き書き写したものです。
日本人の在り方「武士の覚悟」が書いてある素晴らしい本です。
「武士道というは、死ぬ事とみつけたり」という名句は永遠のテ―マです。
毎日死ぬ覚悟をしておけ・・そうすれば何も怖くない
死ぬのは打算や損得ではない「死に物狂い」すればいいだけだと言い切る。
佐賀藩の兵が強かったのはここにあった。
終戦のどさくさに「米帝国主義者」に強制的に焼かされた本こそ「葉隠」だった
今考えると日本が弱く、情けない国になったのは「葉隠精神」を失ったからだろう
葉隠に生きる「武士道は死狂ひなり」
死中活ありとは、「何事も死に物狂いで行えば、必ず活路が見出せる」ということです。
死んだ気で生きてみろと言う事です。
宮司は、大病をして死ぬか生きるかの死線をくぐりぬけた・・・いわゆる、お花畑の上を飛んだ経験があるのです・・だからあの手術で死んでいたら、今はお釣りではないかと思う癖がついたのです。
吉田松陰先生は、死を覚悟した獄中から、
家族や弟子たちに宛てた手紙は、
百数十年後の現代においても、
読む者の心を奮わせる。
死して不朽の見込みあらば いつでも死すべし
生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし
(by21回猛士 松陰)
「死に物狂いの人」を神さまは助ける!
人生変えたい!って思ってるなら他人をアテにして頼ったらダメだ。
人が手を貸すのは頑張ろうとしている人にだけってことを理解するべきです。
あなたが本気で頑張ろうとしてるのであれば自然と応援してもらえます。
応援してもらえないのはあなたが最初から誰かを頼ろうとしてるからなのです。
人生変えたいなら死に物狂いでやれ。
ヒト、カネ、モノは後からついてくるものなのです。
金を追えば金は逃げて行くが、必死で歯を食いしばり
人を大切にすれば・・・・自然に人と金が集まる
『碧巌録』
直 (じき ) に 須 ( すべか ) らく 懸崖 ( けんがい ) に手を 撒 ( さっ ) し、 自肯承当 ( じこうじょうとう ) すべし
禅の修行においては、崖っぷちからパッと手を放して谷底へ墜落するような覚悟がなければ、自分自身が「これだ」と言いきれる確信を持つことはできないという誡め。われわれの生活においてもまた、人生の真実について自分自身が納得できるためには、一度死線を越えるような体験が必要であろう。
五祖法演 ( ごそほうえん ) という禅僧は「禅は 夜盗 ( やとう ) のようなものだ」と教えている。
別に泥棒の稽古をするわけではない。
それはこのような話である。
あるところに泥棒稼ぎで生きた男があった。彼は盗みの技術を伝授するため、一夜息子を連れてさる屋敷に入った。
親爺は宝の入っている長持ちの中へ息子を入らせると、いきなり蓋を閉めかぎを掛けて、大声で「泥棒だー」と叫んでひとり逃げた。
家じゅうの人に囲まれ、息子はどうすればいいか考え、鼠のような微かな音を立てた。家人が驚いて蓋を明けると、泥棒の息子は飛び出し、庭を横切り、その辺の岩を池に投げ込んだ。家人は泥棒が池に落ちたと思った。その隙に息子は屋敷を逃げ出て帰ってきた。この話を聞いた泥棒の親は、息子に泥棒の術を授けたという話。
本当のことを手にしようとすれば、このように命がけで体得しなければならないのだ。口先で習ったことなど、実際生活の場面になると、何の役にも立たないことが多い。やはりどんなことでも一度は恐い思いをして、身体を張ってやってみないと、自分のものにならないものらしい。
人から聞いて覚えたようなことは、いざという時、何の役にも立たないのだ。
自分が命がけで覚えたことは、どんな逆境に直面しても、ビリともしない底力を持っている。
それは人からもらったものではない、自分で作り上げた貴重な、自分だけの財産である。
〇死狂い
「武士道は死狂ひなり。
一人の殺害を數十人して仕かぬるもの。」と、
直茂公仰せられ候。
本氣にては大業はならず。
氣違ひになりて死狂ひするまでなり。
又武士道に於て分別出來れば、
はや後るるなり。忠も孝も入らず、
武士道に於ては、死狂ひなり。
この内に忠孝はおのづから籠るべし。
<訳 >
「武士道とは死に狂いである。
一人を倒すのに数十人がかりでも出来ない場合がある。」と
直茂公が仰った。
正気でいては大仕事を成し遂げることは出来ない。
気違いになって死に狂いするまでである。
また武士道では、変な分別が出てくると、
既に後れをとったも同然である。
武士道にとっては忠孝なども論外なので、
ただ死に狂いあるのみである。
その内に忠孝は自然と宿るものだ。
(素心塾資料)より
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