素心塾長SNS講話(NO50号)

「葉隠」で生きる

 


舜人也、我亦人也


【舜も人なり、我も亦た人なり】(しゅんもひとなり、われもまたひとなり)

自分にはできないなどと言わない。

 

 

いつもいつも念じて

 

できる、できる・・できると

 

念じて日々を過ごせば

 

どんな人にもなれると指導しています。

 

できるのにできないのは

 

できないと思うからで

 

できると信じれば

 

必ず成りたいものになれる

 

できる・・できる・・必ずできる

 

自分の心の中で

 

いつもつぶやいていたら

 

いつの間にか気がついていたら

 

成りたいものになっているのです。

 

 

 

舜人也、我亦人也」
【舜も人なり、我も亦た人なり】(しゅんもひとなり、われもまたひとなり)

孟子の言葉

 

人は誰でも心掛けや努力次第で、

 

舜のような立派な人間になることができるということ。

名人の上を見聞して

 

及ばざる事と思ふ

 

ふがひなきことなり

 

名人も人なり我も人なり。

 

何しに劣るべきと思ふて

 

一度打ち向はば

 

最早その道に入りたるなり

 

「十有五にして学に志すところが聖人なり。

 

後に修行して聖人になり給ふにはあらず」

 

と一鼎(いってい)申され候。

 

初発心時弁成正覚ともこれあるなり。

 

< 訳 >

 

名人についていろいろ見聞して

 

及びもつかないと思うのは

 

ふがいないことである。

 

名人も人なら、われもまた人

 

何で劣るところがあろうか

 

奮発して一度対決してみれば

 

もはやその道にはいっているようなものである。

 

「世に聖者と言われる人は、

 

15歳ほどで学問に志したところが

 

すなわち聖人のゆえんなのである。

 

のちのち修行をされて

 

聖人になられたのではない。

 

と「石田一鼎が述べている。」

 

つまり、初発心時弁成正覚というのもこのことです。