素心塾長SNS講話「人を相手にせず、天を相手にせよ」NO37号

南洲遺訓

人を相手にせず、天を相手にせよ。

天を相手にして己を尽くして

人を咎めず、

わが誠の足らざるを尋ぬべし。

 

【萌え出る春】

人生苦もあり楽もある

だけど

人生とはいいものだ!

石はしる 垂水の上の さわらびの

萌え出る春に  なりにけるかも

其の老(お) ゆるに及んでや、

之を戒むるは、「得」に在り。

「得」の字、

指すの所の何事なるかを知らざりき。

余、齢已(すで) に老ゆ。

因って自心を以て之を証するに、

往年血気盛んなりし時は、

欲念も亦盛んなりき。

今に及んでは血気衰粍し、

欲念卻(かえ) って較澹(ややたん)泊(ぱく) なるを覚ゆ。

但だ是れ年(ねん)歯(し) を貧り、

子孫を営む念頭、

之を往時に比するに較(やや)濃(こま) やかなれば、

「得」の字或は此の類を指し、

必ずしも財を得、物を得るを指さじ。

人は、人は、死生命有り。

今強いて養生を(もと)め、

引(いん)年(ねん) を(もと)むるも亦命を知らざるなり。

子孫の福幸も、自ら天分有り。

今之れが為故意に営度(えいたく) するも、

亦天を知らざるなり。

畢竟是れ老悖衰颯(ろうはいすいさつ) にて、

此れ都(す) べて是れ「得」を戒むる条件なり。

知らず、他の老人は何の想(そう) を著(つ) け做(な) すかを。

<解釈>

得の字は何を言うのか知らなかった。

私は既に老人だから、内省してこれを確認してみると、昔の血気盛んな時代には欲望も盛んであったが今は血気も衰え、

欲心も淡白になっている。

ただ長生きしようと思ったり、

子孫の無事安楽を願い巧く暮らせるようにして置いてやろうとの考えが、昔に比べてやや強くなっているから、

「得」の字は或はこの類いの事を指摘し、

必ずしも財産とか物を得ることを指摘しているのではないと思う。

人間は生きるも死ぬも天命である。

この老年となり、強いて養生をし、長生を求めるのは、天命を知らぬことである。

子孫の幸福も、人間には天の与える分限というものがある。

子孫のために殊更に営為を計るのも天命を知らぬと言うことである。

つまり、これ等の事は、老いぼれて、心の乱れた者がすることで、全て「得」を戒める謂いである。

これらは自分の考えであり他の老人はどう思っておるのか知らない。

1人、立っている、室内の画像のようです

1鈴木恭世